教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

授業の仕方を変えなくては、という逼迫感

2016年10月27日 23時59分30秒 | Weblog

 ご無沙汰しています。以下独り言です。

 

 仕事の種類・数と責任にやられて、やる気減退、ストレス減らない、体重も増えて体調不良で、気絶しそうです。日常業務の問題だけでなく、自分で引き受けた学会や研究関係の仕事も多いので、自業自得ですが… 

 何より、日常の授業について、うまくいっていない感が強いのがダメージ大きいです。今年度から望んで新しい立場になって担当科目が変わったのですが、科目内容自体は何年も前から担当してきたものなので大丈夫、と思っていました。対象の学生が変わっただけなので、とくに問題ないはずが、何かかみ合っていない感がぬぐえない。しかも、教室設備までも、自分のやろうとしている授業になんだかハマってこない感も強く感じています。教育対象と教育環境に対応できていない感じです。改善しようにも、膨大・多種多様な仕事のため物理的時間・エネルギーが足りず、かつ毎日の授業や卒論指導、委員長職、論文執筆、学位論文出版、県史編纂などのプレッシャーのため、やる気もなかなか出てこない。なんかおかしいなーという日々が続いています。

 このままじゃあいけないので、この土曜にある月曜振り替え授業から、思いっきり授業のやり方を変えようと思いました。学生が変わったんだ、同じ科目だからって同じ事をしていて万事オッケーなんてことはありえない。授業のやり方を変えたらシラバス(契約)違反のような、負けのような気がしてストレスを感じていたけれど、そんなのは自分のエゴや思い込みなんじゃないか。

 いままで一斉授業とアクティブラーニングを組み合わせた独自の手法(悪く言えば中途半端なやり方)を試していましたが、アクティブラーニングをもっと積極的にやってみようと思います。事前学修の意義説明や指示はこれまでずっとやってきたし(やる学生はしっかりやっているようだし)、幸い、内容に対する学生の関心も高まっているような気がする。実行の準備は整っているんじゃないか。うまくいかなければ元に戻すのは簡単だから、やってみる価値はある、ような気がする。

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