教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

評論と研究の違い

2005年05月31日 17時23分22秒 | Weblog
 まだ研究者として未熟なとき、つい、実証せずに物事をいろいろ評論してしまうことがあります。このような状態のとき、先生には「証拠を持ってこい!」と怒られ、それに対して「なぜ評論ではいけないのか」と開き直る・疑問に思うことがあります。まあ…私と私の周りにいる人だけかもしれませんが…
 とりあえず、このような状態の院生に一言。

 「評論は消費されるが、研究は蓄積される」

 すなわち、評論の大半は読まれてそれで終わりだが、研究は批判され次の研究の土台となって蓄積されていく、という意味です。(評論については異論があるかもしれませんが…) 研究者をめざすからには、ぜひ、蓄積され、次の高みにつながっていく研究を行って欲しいという願いが込められています。
 ジャーナリズムとアカデミズムの違いという、とんでもなく大きい問題を抱えた言葉ですので、こんなに気軽に放言していいかわかりませんが、書き留めておきたかったし、皆さんの意見も聞きたかったのでブログに書いておきます。この言葉は、今日、後輩と話していてふと私の口から出てきた言葉です。が、すでに誰かが言っているかも。私には心当たりがないので、もし知っている人がいたら、教えてください。
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