教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

なぜ保育所と幼稚園があるのか?―戦後日本保育制度史

2011年04月19日 23時24分37秒 | 幼児教育・保育

 2011年4月15日、拙稿が収録された保育士養成課程用教科書が出版されました。拙稿「日本の保育の制度史(戦後)―なぜ保育所と幼稚園があるのか?」(池田隆英・上田敏丈・楠本恭之・中原朋生編『なぜからはじめる保育原理』建帛社、2011年、97~104頁)の紹介です。この教科書は、保育士資格必修科目の「保育原理」用教科書です。出身研究室の大先輩から声をかけられまして、諸事情あっていろいろ悩んだのですが、せっかく声をかけていただいたので参加しました。拙稿以外の内容も充実していますので、ぜひ手に取ってみられてはいかがでしょうか。
 さて、拙稿の論文構成は以下の通り。「保育二元体制」と「幼保二元体制」との使い分けは、あまり気にしないでください。

1.占領期における保育二元体制の確立
 (1) 幼稚園の学校化
 (2) 母親の就労を支援する保育所
 (3) 「保育に欠ける」概念の形成
2.経済成長期における幼保二元体制の維持
 (1) 女性就労の拡大期における保育政策
 (2) 幼保二元体制における保育内容一元化
 (3) 「幼児教育」と「保育」
3.低成長期における保育二元体制の見直し
 (1) 保育要求の多様化の進行
 (2) 少子化対策としての幼保一元化

 内容は、戦後直後の占領期(1945~1950年代初頭)から、独立後の高度経済成長期(1950年代半ば~1970年代初頭)、高度経済成長にブレーキがかかって以降の低成長期(1970年代半ば~現在)における幼保二元体制(幼稚園・保育所の並行設置体制)の変遷を整理したものです。占領期において二元体制が確立したのは、保育所と幼稚園に関する戦前以来の一般的認識が働いたとともに、戦災・貧困から子どもと保護者を救うために幼児を収容する施設の増設が優先されたためでした。高度経済成長期に二元体制が維持されたのは、すべての子どもに対する教育よりも「保育に欠ける」乳幼児の養護が優先されたためでした。低成長期において幼保一元化が現実味を帯びてきたのは、財政負担軽減・少子化対策の推進により、幼稚園と保育所との弾力的運用が認められたためでした。…とまぁ、こんな事を論述しています。
 なお、拙稿は、幼稚園側の歴史記述の軸に『幼稚園教育百年史』(ひかりのくに、1979年)を、保育所側の歴史記述の軸に中村強士『戦後保育政策のあゆみと保育のゆくえ』(新読書社、2009年)をつかって、岡田正章氏の論攷で補填しつつ、資料集などから史料をあさって再構成したものです。『百年史』以後の幼稚園側の歴史は、保育所側の歴史を参考にして、自分で調べました。もう少し言いたいことはあったのですが(とくに教育課程)、紙幅の都合上ひっこめたことも少なくないです。本当は、見ておきたい先行研究もあったのですが、物理的時間・体力・精神力および紙幅が圧倒的に足りなかったのと、おおよそ言いたいことは言えたようなので、この程度の利用にとどまっています。
 現在、幼保二元体制はすでに歴史的役目を終え、幼保一元化(一体化)へと移行しつつある、と感じています。ただ、一元化(一体化)のあり方は、幼保の違いを無視してごちゃ混ぜになるようではマズイ、と私は思っています。そもそも、幼稚園と保育所はねらいも対象も違います。幼稚園の「すべての子どもに対する教育(発達保証)」(教育の機会均等原則)と、保育所の「保護養育に欠ける子どもに対する養護」(最低限の文化的生活の保障原則)とは、それぞれに重要かつ必要な実践理念です。どちらも無視されてはならない理念です。幼保一元化(一体化)の過程において最も問題ある選択は、幼保両方の「良さ」「意義」をきちんと理解していない者たちにイニシアティブを明け渡し、なし崩し的に「ごちゃ混ぜ」にされてしまうことだ、と私は思うのです。一元化・一体化せざるを得ないならば、それぞれの理念・実践とを生かしながら実現させることが大事です。(それには、おそらくかなりの時間と労力が必要でしょう。幼稚園関係者と保育所関係者との間の距離は、実際のところ、かなりあるように感じます(私自身も含めて)) 本稿を書く前からぼんやりと思っていたことですが、今回、戦後の二元化体制の歴史をまとめたところ、余計に強く思うようになりました。
 幼保両面の「良さ」「意義」を生かすような一元化・一体化を実現するには、何が必要か。それは、いろいろあると思いますが、私は次のように思います。それは、一人一人の子どもに応じた保育ニーズ(この子には教育がどの程度必要なのか、養護がどの程度必要なのか、そして保護者へどの程度支援が必要なのか)を見極めて実践できるような保育者です。保育者養成課程に携わる者としては、そういう力量の基礎となるものを学生たちに培っていきたいと思っています。

 なお、拙稿を書くときに気をつけたのは、とくに次のことでした。
 それは、なぜこういう体制が作られたのかということを理解するために、制度・政策形成過程における教育関係者と福祉関係者との思惑に言及することでした。制度は人が作るものです。何らかの思い(目指すもの)が込められているものです。だからこそ、制度を批判する余地もあるし、逆に積極的に遵守することもできるのです。そういうことは、制度の形成過程を振り返ることでしか気づけません。保育者養成教材としての制度史の役割は、ここにあると思って書きました。そのため難易度はちょっと高くなってしまったかも…と思いますが、制度名の羅列には絶対にしたくなかったので、書ききりました。
 「歴史なんて振り返る価値なんてない…」と思われがちな日本社会において、「歴史を振り返ってみると、こんなことまでわかるんだなぁ」と感じる人が少しでも増えてほしい、そんな気持ちです。

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