前編で、「森氏の発言を直接に聞きながらその場でそのおかしさを指摘する人がいなかったという事で、考えようによっては森氏の発言内容よりも、後者の方がより大きな問題ではないかと思います。」と書きましたが、この背景としては前編でしたマイクロアグレッションだけでなく、日本の文化や儒教の影響を受けている特性もあろうかと思います。
即ち、日本においては伝統的な儒教精神に基づく「親や先輩に逆らわない」という考えだけでなく「和を持って貴しとする」とか「周りに迷惑をかけないように」という教えもあり、自分の意見を主張して周囲に波風を起こすよりは、周りの空気を読んで同調すると方がベターだという価値判断が浸み込んでいる事も事実で、特にかって学生時代に運動部などに属していた高齢者にはこの傾向が強いようです。
しかし、世界的に見れば「沈黙は容認である」と見なされるのが一般的であり、今回の森氏の発言への対応についても、このような見方が一般的になりつつあります。
その場では反論せず、後になっての“実は、自分は反対だった・・・”というような言い訳は通用しないことを肝に銘じておくことが必要でしょう。
幸いにも、私は商社時代の海外駐在や外国人との交渉の経験で、反論したいことはその場ではっきりと言っておくことの大切さを肌で経験しましたが、この事だけは男女を問わずに実行すべきでしょう。
特に最近のメディアの発展に拠り、今迄ならそれ程公けにならなかった事も、瞬時に世界中に伝わることをわきまえて、その場での瞬時の対応が非常に大事なものとなるでしょう。
それ以上に、寅さんの言い草ではありませんが、「それを言っちゃ、おしめいよ!!」という言葉があるのだという事を、社会人として肝に銘じておくことが大切でしょう。(まさ)