老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

森氏の発言 ~問われているのは日本人全体とオリンピックのあり方~

2021年02月09日 19時34分24秒 | その他

 今回の東京五輪・パラリンピック組織委員会の森会長のつまらない発言が、“女性蔑視でオリンピック精神に反している”とかの物議を醸しています。

 確かに、森発言の「女性軽視/蔑視」問題は非常に大きな問題で、森氏だけの問題ではなく、敢えて言えば男性全体(更にこれを黙認したり、機会があるにも拘わらずに反論していない女性も含めて)や政界/財界が、森氏を反面教師或いは他山の石として、改めて考えるべき問題であり、私も今後更に掘り下げてみたいと思っていますのでもう少し時間を下さい。


 今回問題にしたいのは、森氏の発言に対する周囲の反応と、オリンピック精神に関することで、この問題は単に森会長が辞任すれば済むような問題ではないでしょう。

 問われているのは、このような発言をすることが判っている彼を組織委員会の会長に選んだ日本という国と、オリンピックそのものだと思われます。

 即ち、森氏の発言を表面上は同意しがたいとしながらも擁護する発言の多くは、「彼は発言を取り消して、謝っている。ここで大きな問題にして彼が辞任でもすれば、オリンピック/パラリンピックの開催がおかしくなる」というような内容でしょう。


◆まず、問題は「彼は発言を取り消して、謝っている」と、彼の発言をなかったものとして、何とか擁護してこのまま間近に迫った大会を何とか波風を立てずに開催させたいとする政府や関係者の態度です。

・そもそも彼のような問題が予想される人間を組織の会長に選んだ政府や委員会役員の考え方の基本は、日本での大会の開催が最大の目的であり、その為には大会の精神などは二の次であり、元総理で国内外に影響力があり、纏め役としては適している(別の言い方をすれば、政権やスポンサーが使いやすい便利な存在である)森氏を委員長に起用しようという事で進んできたのでしょう。

・今回の森氏の発言が大きく取り上げられると、今頃になって政府首脳や関係者が「彼の発言はオリンピック精神に反する」などという位なら、過去の同氏の言動から見て、その就任そのものを問題にすべきだったでしょう。
ある意味では、学術会議の会員選出の基準などよりも、もっともっと国際的にも全体的な俯瞰を要する人事だったでしょう。

・それにも増して、問題なのは組織委員会のメンバーである各競技団体の代表者の態度でしょう。
森氏の発言を身近で聞きながら(笑いながら聞いていた人もあると報じられています)、その場で直ちに反論した人は殆どいなかった(?)ようで、これでは関係者全員が彼の発言を容認していたと言われても仕方ないでしょう。

・スポーツ界だけでなく、政治や経済、学術などの全ての分野で、女性の社会進出を含めて、今一度組織のあり方を見直すとともに、おかしなことには直ぐにその場で「おかしい」と言える組織にすべきでしょう。
もういい加減に「権力者には逆らわず、長い物には巻かれよ、」という忖度を善とするような無責任な態度では、国際的にも孤立して行くだけでしょう。


◆更に、もう一つの「ここで大きな問題にして彼が辞任でもすれば、オリンピック/パラリンピックの開催がおかしくなる」という問題です。

 私は、「そもそも、現在のオリンピックやパラリンピックは、当初のオリンピックの精神に合致したものか」という問い直しをすべき絶好は機会だと思っています。

・近代オリンピックを提唱したクーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿は、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というものだったと思いますが、現在のオリンピックはその姿を大きく変えてしまっています。

・オリンピックの期間中も戦争や紛争や人種差別が中止されることありませんし、逆に不参加やボイコットが一般的になると共に、大会でのメダル獲得数が国力を表すものとなって、有力選手の優遇/争奪や果てはドーピング問題までが蔓延する事態になっています。
 
 更に、オリンピックそのものが完全に商業化し巨大利権の場となってしまい、開催地招致に際して巨額のワイロが動くと共に、開催する為には莫大な資金の掛かる施設などが必要となるだけでなく、参加する選手が最も実力を発揮しやすい季節や時間帯などはもはや考慮されなくなっています。

・この為、オリンピックはもはや当初の理念を生かしたものとは言い難く、日本に於いても各競技団体はオリンピックへの参加資格と成績向上を目指す結果として、資金源としての五輪・パラリンピック組織委員会の発言権が強くなり、その意向に逆らう事が出来なくなっているのが実情でしょう。
 その結果、組織委員会の構成員そのものが、本当の意味でのオリンピック精神やスポーツマンシップなどを語る資格があるのかは大きな疑問です。


 以上見てきたように、当初の純粋な「オリンピック精神」なるものは参加するスポーツマンの中に引き継がれているだけで、それを運営する組織の中にはもはや存在しておらず、商業主義の塊のようなイベントとなっているのです。
 
 これらの現実を無視して、あたかもオリンピック精神なるものがまだ生きているかのような前提のもとで、森氏の発言を云々するのは正に茶番劇でしょう。(まさ)