老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

安倍首相の「印象操作」

2017年06月27日 20時01分45秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
 先日このブログで、安倍首相の国語力についてふれました。
 その時には触れていませんでしたが、首相が被害者のような立場で良く使われる言葉に「印象操作」というのがあります

 6月25日の毎日新聞の「時代の嵐」というコラムで、作家の中島京子さんが“傲慢さにじむ安倍政権”というテーマで、印象操作という言葉にふれられました。非常に面白く読ませていただきましたので、その一部を紹介させていただきます。


◆「印象操作」という言葉について、「広辞苑」によれば「他者に与える自分の印象を、言葉や服装などによって操作すること」とある。 普通に読めば、他者の印象を操作する主体は自分であるように受け取れる。
しかし、首相は「他者(国民)に与える自分(首相)の印象を、(野党が)言葉などによって操作すること」と解釈して使っていたようだ。

◆首相や野党にとっても他者である一国民である私(筆者)が、誰によってどのような印象を操作されたかを考えてみると、首相の印象を決定的に悪くしたのは、首相自身の言葉や態度であった。

・私の印象に残っているのは、「印象操作だ」「民主党もやっていた」「ヤジをやめて下さいよ」というような答弁の本質から離れた言葉の連呼であり、質問に真面目に答えている姿はほとんど印象にない。

・それ以上に印象に刻まれたのは、「早く質問しろよ」とか「くだらない質問で終っちゃったね、また」というような首相自身のヤジだった。

・もう一つ、非常に印象的だったのは、金田法相が野党の質問に答えようと手を挙げた時に、横から大慌てで肩を押さえて止める首相の姿だった。法相に答えて貰っては困るという首相の切実な思いが印象付けられた。

◆このように、どう考えても、私の印象を操作したのは野党ではなく、首相自身だった。
印象がそれ程に大切なら、これは首相が国民に対する本来の意味での印象操作(自分自身を他人に芳しく印象付ける)に失敗したと言えるでしょう。

◆傲慢さや横柄さ、不遜さは内面からにじみ出てくる。表面的に態度を変えて見ても、人に植え付けた印象までは変るものではない。


 正に中島氏が書かれている通りだと思います。(まさ)

(追記)私にも余り馴染みがなかった言葉で、今まで余り気に留めていませんでしたが、これを機に少し調べてみると、「印象操作」はマスコミ関係者などで使われる文章表現上の一つの技術だそうで、断定的な口調で自己の判断を提示し、それがあたかも「一般的」であるかのような印象を読み手に与える手法だそうです。
ピクシブ百科事典では“第三者に対し、任意の人や物事に関して自分の都合のいい印象を与えようとする事”とありました。上記の広辞苑の内容と大きな違いはないようで、あくまで“自分の印象を良くしよう”ということのようです。