東北大震災が引き金となった福島原発事故から5年が経過し、目先の汚染除去や廃炉処理などの遅れが大きく取り上げられている中で、政府や電力会社の方は原発再開に突き進み、福島原発事故の原因究明と今後の進め方に関する根本的な論議がなおざりにされているのではないかと危惧されます。
先日の大津地裁による関西電力高浜原発3号機の運転差し止め命令で“司法は生きている”と感じたのもつかの間、昨日福岡高裁宮崎支部は九州電力川内原発の運転差し止め申請を棄却しました。
この件については少し拘りすぎかも知れませんが、わずか5年しか経過していないのに「のど元過ぎれば…」ではないが、人々の記憶が薄くなっている様に思われます。
万が一にも再び似たような事故があれば、もう“想定以上だった”との言いわけをしないようにすべきだと思いますし、何よりも子孫たちに本当に“安全で美しい国、日本”を引き渡す責任があると思うからです。
少し長くなりますので、次回との2回に分かれますが、原発に対する私なりの考えを、改めてまとめて見たいと思います。
①日本は災害列島であることの再認識
・日本は地震/津波/火山/台風などの自然災害の弾薬庫とでもいえる国でしょう。
福島の原発事故で経験した様に、いつ何時“想定以上”と言われるような、或いは過去の記録に残っている以上の災害が起きてもおかしくなく、また起こりえると覚悟すべきでしょう。
・人類の記憶に残っている災害は精々2,000年位のものですし、ある程度正確な記録として残っているのはこの200年位でしかないでしょう。地球の長い歴史の中ではほんの一瞬といっても良いようなもので、地球への新参者としての人類は自然の力の前にはもっと謙虚であるべきでしょう。
・現在の科学水準では正確な地震予知もまだできない状態ですし、間違ってもこれらの自然災害をコントロールできるとの錯覚は持つべきではないでしょう。
仮に予測できたとしても、人的な被害を減少させられるかもしれませんが、地震や津波の大きさなどを制御できるわけではなく、改めて人間の無力さを感じさせられることになる恐れの方が大きいでしょう。
②原発の安全性
福島原発の事故で、今まで言われていた「安全神話」は脆くも崩壊してしまったのを体験しましたが、原発稼働の安全性は本当に万全と思っている人は、どれ位おられるのでしょうか。
・新しく制定された原子力規制委員会の規制基準は「世界一厳しい」と言われ、政府の原発推進の材料としてこの規制値設定を拠り所にしていますが、万一の事故の恐れは本当にないのでしょうか?
田中委員長自ら、“100%完全とは言えない”と発言された記憶がありますし、地震/津波などの想定にしても、営利会社である電力会社は規制値を満たせば良いと判断すると思いますが、充分な安全余裕の折り込みが必要でしょう。
・今回の川内原発の運転差し止め申請を棄却した判決のなかでも、“巨大噴火を想定すべきという社会通念が確立していない”という理由で、原子力規制委員会の判断は合理的という、何ともいい加減な言い方をしています。(毎日新聞を参照)
・また、福島の事故の場合もメルトダウンがあったとの判断発表が遅れた様ですが、これらの段階の判定も含めて、起こりえるヒューマンエラーが完全に排除できる保証はないでしょう。
・何よりも恐ろしいのは、「規制基準」を見直すことで、“科学技術で危険性を克服できる”と錯覚してしまうことです。あたかも、科学技術に限界が無いかの如くに…
③原発運転に伴う廃棄物の処理問題
この件は、上記の<原発の安全性>に含むべきでしょうが、余りにも大きな問題なので、別項にします。
・どんな産業でも、稼働に伴って発生する廃棄物の処理は自己責任でしょう。
原発の低レベル廃棄物については、とりあえず中間貯蔵までは電力会社の責任になっているようですが、その中間貯蔵場所も確定していませんし、更に最終的な処分方法や場所などが未決定なのです。
更に高レベルの廃棄物については、国が処分方法や処分地などを決めるようですが、ご存知のようにこちらもまだ具体的な処分方法・場所は白紙のようです。
まさに、“トイレのないマンション”状態なのですが、このような状態での原発稼働を政府が推進していること自体が最大の問題で、他の産業では考えられないことでしょう。
・放射性廃棄物の厄介な点は、その危険性が他の産業廃棄物に比べ、桁外れに長く、一世代或いは子供や孫の世代で解決できるものではなく、恐るべき期間継続するということです。
その間には、場合によれば今までの人類が経験したこともないような自然変動があるかも知れませんが、それまでも考慮する想像力がなければならないということでしょう。
・また、更に厄介なのは使用済み核燃料で、これは再処理して(大部分は海外に委託)プルトニュームとして原発で再利用する計画だったために、日本のプルトニウム保有は国の内外で何と48トン近くにも達するようです。
しかし、このプルトニウムを再利用する予定だった「もんじゅ」やプルーサーマル計画が宙に浮いたままで、再利用のサイクルは全く進まず、核兵器が何千発も出来るプルトニウムを日本が保有しているという事態になっています。
この意味からも、絶対に安全で確実な放射性物質の処分方法が確立されるまでは、原子力に依存すべきではないと思います
事実30年前に発生したチェルノブイリ原発事故でも、本格的な処理はまだ何も終っていないのです。(まさ)
先日の大津地裁による関西電力高浜原発3号機の運転差し止め命令で“司法は生きている”と感じたのもつかの間、昨日福岡高裁宮崎支部は九州電力川内原発の運転差し止め申請を棄却しました。
この件については少し拘りすぎかも知れませんが、わずか5年しか経過していないのに「のど元過ぎれば…」ではないが、人々の記憶が薄くなっている様に思われます。
万が一にも再び似たような事故があれば、もう“想定以上だった”との言いわけをしないようにすべきだと思いますし、何よりも子孫たちに本当に“安全で美しい国、日本”を引き渡す責任があると思うからです。
少し長くなりますので、次回との2回に分かれますが、原発に対する私なりの考えを、改めてまとめて見たいと思います。
①日本は災害列島であることの再認識
・日本は地震/津波/火山/台風などの自然災害の弾薬庫とでもいえる国でしょう。
福島の原発事故で経験した様に、いつ何時“想定以上”と言われるような、或いは過去の記録に残っている以上の災害が起きてもおかしくなく、また起こりえると覚悟すべきでしょう。
・人類の記憶に残っている災害は精々2,000年位のものですし、ある程度正確な記録として残っているのはこの200年位でしかないでしょう。地球の長い歴史の中ではほんの一瞬といっても良いようなもので、地球への新参者としての人類は自然の力の前にはもっと謙虚であるべきでしょう。
・現在の科学水準では正確な地震予知もまだできない状態ですし、間違ってもこれらの自然災害をコントロールできるとの錯覚は持つべきではないでしょう。
仮に予測できたとしても、人的な被害を減少させられるかもしれませんが、地震や津波の大きさなどを制御できるわけではなく、改めて人間の無力さを感じさせられることになる恐れの方が大きいでしょう。
②原発の安全性
福島原発の事故で、今まで言われていた「安全神話」は脆くも崩壊してしまったのを体験しましたが、原発稼働の安全性は本当に万全と思っている人は、どれ位おられるのでしょうか。
・新しく制定された原子力規制委員会の規制基準は「世界一厳しい」と言われ、政府の原発推進の材料としてこの規制値設定を拠り所にしていますが、万一の事故の恐れは本当にないのでしょうか?
田中委員長自ら、“100%完全とは言えない”と発言された記憶がありますし、地震/津波などの想定にしても、営利会社である電力会社は規制値を満たせば良いと判断すると思いますが、充分な安全余裕の折り込みが必要でしょう。
・今回の川内原発の運転差し止め申請を棄却した判決のなかでも、“巨大噴火を想定すべきという社会通念が確立していない”という理由で、原子力規制委員会の判断は合理的という、何ともいい加減な言い方をしています。(毎日新聞を参照)
・また、福島の事故の場合もメルトダウンがあったとの判断発表が遅れた様ですが、これらの段階の判定も含めて、起こりえるヒューマンエラーが完全に排除できる保証はないでしょう。
・何よりも恐ろしいのは、「規制基準」を見直すことで、“科学技術で危険性を克服できる”と錯覚してしまうことです。あたかも、科学技術に限界が無いかの如くに…
③原発運転に伴う廃棄物の処理問題
この件は、上記の<原発の安全性>に含むべきでしょうが、余りにも大きな問題なので、別項にします。
・どんな産業でも、稼働に伴って発生する廃棄物の処理は自己責任でしょう。
原発の低レベル廃棄物については、とりあえず中間貯蔵までは電力会社の責任になっているようですが、その中間貯蔵場所も確定していませんし、更に最終的な処分方法や場所などが未決定なのです。
更に高レベルの廃棄物については、国が処分方法や処分地などを決めるようですが、ご存知のようにこちらもまだ具体的な処分方法・場所は白紙のようです。
まさに、“トイレのないマンション”状態なのですが、このような状態での原発稼働を政府が推進していること自体が最大の問題で、他の産業では考えられないことでしょう。
・放射性廃棄物の厄介な点は、その危険性が他の産業廃棄物に比べ、桁外れに長く、一世代或いは子供や孫の世代で解決できるものではなく、恐るべき期間継続するということです。
その間には、場合によれば今までの人類が経験したこともないような自然変動があるかも知れませんが、それまでも考慮する想像力がなければならないということでしょう。
・また、更に厄介なのは使用済み核燃料で、これは再処理して(大部分は海外に委託)プルトニュームとして原発で再利用する計画だったために、日本のプルトニウム保有は国の内外で何と48トン近くにも達するようです。
しかし、このプルトニウムを再利用する予定だった「もんじゅ」やプルーサーマル計画が宙に浮いたままで、再利用のサイクルは全く進まず、核兵器が何千発も出来るプルトニウムを日本が保有しているという事態になっています。
この意味からも、絶対に安全で確実な放射性物質の処分方法が確立されるまでは、原子力に依存すべきではないと思います
事実30年前に発生したチェルノブイリ原発事故でも、本格的な処理はまだ何も終っていないのです。(まさ)