東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻里府 住吉神社祭礼 2017(2/6)

2017年05月02日 | 歴史探訪他ウォーキング

動画 約30分


 子供神輿を先頭に、尾津東の方々と住吉神社に行きました。住吉神社に着くと、子供神輿と一緒に急な石階段を登って本殿に行きました。見田団地の方々はすでに到着していました。そして、中郷の方々を迎える段取りになりました。しばらくすると、中郷の子供神輿が急階段を上がってきました。皆さん全員が到着すると、住吉神社本殿内で神主さんのお祓いが始まりました。

    住吉神社本殿で神主さんがお祓い中、お祈りをする麻里府の方々


  神主さんによる子供神輿や麻里府の方々へのお祓いが済むと、各神輿と一緒に麻里府各地への行幸の始まりです。本殿に安置された本神輿を外に出すため注連縄が外されました。注連縄が本神輿に引っかかるため外すとのこと。とても立派な本神輿です。子供神輿と比べてとても重いようです。重さに慣れないためか、本殿から下りる時に本神輿が少しゆらゆらしていたように思います。本神輿を担ぐ方々は大変だったと思います。

  本殿を出る本神輿     急石階段を降りる    子供神輿も降りる
  

 本神輿が住吉神社の急階段を降りると、続いて各地区の子供神輿や太鼓も降りました。住吉神社の石鳥居前で順序を整えると行幸の始まりです。他の神社では、御神輿は軽トラックに乗って各地区を回ります。しかし、麻里府の住吉神社は全員が子供神輿を先頭に各地区を歩いて回ります。100人位の方々が大声をあげながら行列をするのです。呪文のような大声「じょーいさん、じょい!」は何の言われがあるのでしょうか。

 中郷地区子供神輿が先頭    続いて見田団地     最後に本神輿が続く
  

 行幸の順番を見ると、早く到着する地区の子供神輿順になっているのでしょうか。つまり、中郷の子供神輿が先頭で、最後が本神輿なのです。その昔、尾津西、尾津中地区の子供神輿があった頃は、中郷、尾津西、尾津中、見田団地、そして尾津東の順だったのかも知れません。

           中郷地区の御旅所に向かう四つの神輿


 なお、同じ麻里府内でも上組は子供神輿が出ていません。理由は、上組は妙見神社でお祭りをするためとの事です。以前古老から聞いたことがあるのですが、妙見神社と住吉神社のそれぞれのお祭りにはお互いに参加しなかったそうです。一種の競争意識があったのかも知れません。ちなみに、住吉神社は海の神様で妙見社は百姓の神様だそうです。なお、今回の住吉神社のお祭りで上組の方をお見かけしました。今はどちらのお祭りにも自由に参加できるようです。

 中郷集会所前広場に到着した御神輿群      お祓いを受ける中郷の方々
 

 上組妙見神社のお祭りには、かつて人形芝居,操り人形,神舞などが催されたそうでとても賑やかだったそうです。妙見神社のお祭りが今どのようにされているのか分かりませんが、いつか参加させていただきたいと思っています。ちなみに上組は確か、中村じょう、横尾じょう、岩金じょう、成川じょうの四つの地区から成っていたように思います。昭和初期には75軒ほどの家が上組にあったそうです。

             中郷集会所前広場に置かれた子供神輿


 住吉神社を出発してから20分後位でしようか、行幸は最初のお参り地点である中郷集会所前広場に着きました。中郷の方々によるお接待がありました。各地区ごとに机が設けられていました。15分位お接待を受けました。晴天に恵まれたお祭り日でした。なお、この付近は明治期まで八幡田(はちまんだ)と呼ばれていたようです。また、今の舗装道路は昭和になって通されたとか。

              御神輿の行幸ルート


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