ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

人生において、幸せだけを求めていても、永遠に幸せにはなれない。

2014年10月16日 | Weblog
人生において、幸せだけを求めていても、永遠に幸せにはなれない。

『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。

幸せは人それぞれで、何が本当にいいのかはわからないものだ。むしろ何か目標に向かって夢中になっているとき、努力をしていて、何もかも忘れているときかもしれない。

または、その途中でふと立ち止まって、ほっとしたひと時だったりするものだ。森永氏は幸せは人生の目的ではなくて、人生がたどりつく結果だともいう。

小さなことでも幸せを感じることはたくさんあるものだ。森永氏はコレクションの新しいミニカーを手に入れたときも幸せを感じる時だという。またコンビニで買ったお茶のおまけグッズでも感じるらしい。

もし、いまの自分なら何に幸せ感があるかとふと考えてみた。やはりコミュニケーションがうまくいっている時かもしれない。一例をあげるとすれば、デジカメで撮った写真をFBにアップしてそれに共感してくれる人が多いと嬉しいと感じるものだ。

大きな幸せはどんなものかは実感がわかないが、小さな幸せ感をいくつも持っていたいと思っている。そのためには何らかの行動を起こさねば無理だろうな。

静かに行く者は健やかに。健やかに行く者は遠くまで。

2014年10月15日 | Weblog
静かに行く者は健やかに。健やかに行く者は遠くまで。

『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。

レオン・ワルラス(1834~1910)、フランスの経済学者の残した言葉だった。これだけだとあまり意味がピンとこない。そこで、森永氏は別のわかりやすい言葉を例に出していた。

それは「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのスローガンだった。世界中のすぐれたアスリートたちはこれを目指している。

先日、体操の世界選手権が行われていたが、それを見ていると、以前に比べて実に困難と思われる技が増えていた。つまり高難度の技をどんどん開発して身につけていたのだ。

どこまでが限界かはわからなくなってしまう。やはり超一流のアスリートは、常にイメージを膨らませて、より高いレベルに行こうとしているのがわかる。

内村選手などは、金メダルを獲得して、外からみてすごいと思っていても、本人にとってはまだまだ満足ではないというような言葉を残していた。やはり自分で納得の演技ができなければまだまだということなのだろう。

森永氏は、一般の人には「より静かに、より健やかに、より遠く」のほうがふさわしい、と語っていたが、まさにその通りだろう。

人生最大の喜びは、周囲に「君には無理だ」と言われたことを実現することだ。

2014年10月14日 | Weblog
人生最大の喜びは、周囲に「君には無理だ」と言われたことを実現することだ。

『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。

これはウォルター・バジョット(1826~1877・経済ジャーナリスト)の残した言葉だった。確かにこの言葉が実現できれば気持ちがいいことだろう。

森永氏の友人に、こんなことを実現した人がいたのだ。それはおもちゃコレクターの北原照久氏だった。ブリキのおもちゃを集めている人間が、かつては皇族だった人の別荘を手に入れるとはだれも思わなかった。

それは海岸沿いに建てられたアールデコ調の白亜の豪邸だった。以前何かの雑誌で写真を観たことがあるが、すごく贅沢な建築物だった。いまだに印象に残っている。

北原氏が「いつかこんな家に住んでみせる」といってもまわりの人は相手にしなかったようだ。しかし、その時の悔しさがバネとなって最終的には成功していたのだ。森永氏は、反骨精神が人を育てる、とも語っていた。

人間は、まだ満ち足りていないからこそ、ささいな出来事に感動できる。

2014年10月13日 | Weblog
人間は、まだ満ち足りていないからこそ、ささいな出来事に感動できる。
『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。

ここでのタイトルは「人間が一生懸命に働くとき、お金はその理由の一部に過ぎない」となっていた。これはロナルド・ドーア(1925~)イギリスの経済学者の言葉だった。

単にお金のためだけに働くなら味気ないものだ。必要以上のお金があればきっと浪費してしまうものだろう。しばしば高級時計や宝石が売れるものだが、それらは生活にはまったく関係がない。単なる自己満足や人への自慢のネタだろう。

むしろ少ない収入でも、やりくりして欲しかったもの、必要だったものを手にした時のほうが喜びは大きいはずだ。

仕事では、働くことが楽しいと思えなければ苦痛だろう。楽しめれば、苦痛とは感じられないものだ。低収入でもやりがいのある仕事につけたほうが幸せだとも思える。

一緒にごはんを食べて、楽しい相手になっているか意識する。

2014年10月12日 | Weblog
一緒にごはんを食べて、楽しい相手になっているか意識する。

「テンションを上げる45の方法」中谷彰宏著より。

食事は毎日するものだが、やはり一人より仲間と一緒のほうが楽しい。しかも話が弾んでいるときほど味わえる気もする。一人で食べても味気ないものだ。食事の場をどれだけ楽しめているだろうか、とふと思ってしまった。

さらに、テンションのほどほど高い人と一緒に食べると、よりおいしく食べられそうだ。ただし、勝手に一人だけが話して聞き手というのは逆にテンションは下がってしまう。何ごともほどほどだろう。

中谷氏は自分のテンションをキープしていないと、本を読んでくれる人に低いテンションを伝えることになってしまうから注意しているようだ。

これは一般的にも、自分が何かを書く時も同様のことが言えそうだ。テンションが低いまま書いていると、つまらないことを書いてしまいそうな気もする。またテンションが高ければ、いいアイデアも浮かびやすい。

負けることでテンションが上がる。

2014年10月11日 | Weblog
負けることでテンションが上がる。

「テンションを上げる45の方法」中谷彰宏著より。

ここでは面白いことが書かれていた。それは、「失敗しないことが、最もテンションが下がることです」とあったからだ。意外な発想だった。

考えてみれば、トライしなければ失敗もしない。でも、それだけではテンションは下がりっぱなしということになってしまう。そう考えれば理解できる。

やはりドキドキしながらやって、それがうまくいった時の喜びは大きいものだ。そのとき初めてテンションがあがる。逆にチャレンジがなければ失敗もない代わりに楽しみも味わえない。

夢の実現はめんどうくさいことだったのだ。ラクして夢は実現できないという意味だった。先月映画で「柘榴坂の仇討」と観たが、復讐するのが夢の実現だったが、それを実現するというのは実に大変なことだと思われた。

主人公はむしろ、切腹させてもらったほうが楽だったのだろうが、それをさせてもらえないというのも苦労だったと思われる。夢の実現には多くの苦労が伴うのだろう。

アイデアは、話せば話すほど、テンションが上がって成長する。

2014年10月10日 | Weblog
アイデアは、話せば話すほど、テンションが上がって成長する。

「テンションを上げる45の方法」中谷彰宏著より。

ここでの、小タイトルは“企画は、話すことで、テンションの高い企画になる”とあった。もちろんこれは話す相手が誰か、によるものだとは思うが。

いい反応をし示してくれる人なら、よりアイデアが膨らんでくるかもしれない。人に話すのと同時に自分にも話していることで成長するらしい。

ここでは、もし誰も聞いてくれる人がいなければ、自分自身にアイデアのプレゼンテーションする、という表現もあった。実に面白い考え方だ。

たとえば、ここをこうしたらもっとウケるだろう、と考えているうちにテンションがあがることもある。自分をノセることも大事なのだろう。

自分で新しいことを気づくためにも人に話すのはいいかもしれないな。話している間に別のことを思いつくこともあるものだ。

テンションを上げるためには、集まった情報の数は関係がない。

2014年10月09日 | Weblog
テンションを上げるためには、集まった情報の数は関係がない。
「テンションを上げる45の方法」中谷彰宏著より。

むしろ情報をたくさん持っている、という人ほどテンションが低いそうだ。ただたんに情報が集まってもあまり意味がないのだろう。

テンションが上がるのは、入ってきた情報から新しい価値を生み出す時だったのだ。当然なことだが、要するにある意味、情報の質が問題だとも言えそうだ。

人によってはダメな情報を集めて安心したい人もいるらしい。つまり言い訳情報ということになる。

できれば情報収集はテンションを上げるためにしたいものだ。いかに集まった情報を活かせるかがポイントだった。情報が手に入ってもそれを生かして動くことが大事だった。

お客様はいい悪いではなく、好き嫌いで決める。

2014年10月08日 | Weblog
お客様はいい悪いではなく、好き嫌いで決める。

「諦めない人が成功する」中谷彰宏著より。

いくらいい商品であっても、もしそこの店のスタッフが嫌いであれば、その店で買う必要もないだろう。それはしばしば日常でもあることだ。

逆にその店のスタッフの対応がいつも気持ちよければ、商品はその人が勧めるものなら買ってもいいかなとも思うものだ。

あなたが勧めるものなら間違いがない、と思ってもらえたら最高だろう。そのためには常にお客様の立場に立ったサービスを考えておく必要がある。

こちらの都合ばかりで商品を勧めても、気持ちが通じていなければどんなに商品がよくても決して買ってはもらえないはずだ。

好きか嫌いかはサービスで決まるという。自分の話を聞いてくれる人。相談に乗ってくれる人。クレームにつきあってくれるような人だった。これがうまくいけばサービス業も楽しめるのだろう。

お客様が求めているのは、決して商品の説明だけではない。

2014年10月07日 | Weblog
お客様が求めているのは、決して商品の説明だけではない。

「諦めない人が成功する」中谷彰宏著より。

たとえば、お客様がレジでお金を払って、その場を去ってもそこで終わりではなかった。帰りがけにもう一度ショーウインドウを見ることもある。

実際に買ったものとそこに並んでいるものを比較している場合もあるからだ。自分も何か購入したあとで、やはりいい買い物をしたと満足するときは、そこに並んでいるほかの商品を帰りにもう一度見た時でもあった。

販売員なら、商品に詳しくても、人間に対して詳しくない人、人間の気持ちがわからない人は売上げも上がらないようだ。お客の立場からすると、ちょっとした気の使い方で買ってもいいかなと思う時がある。

大事なのは経済学より心理学だという。これは鈴木敏文氏も何度も言っていることでもあった。モノよりさきに心のやりとりができているかどうかが問題だったのだ。

サービスは、お客様を年齢で決めつけないこと。

2014年10月06日 | Weblog
サービスは、お客様を年齢で決めつけないこと。
「諦めない人が成功する」中谷彰宏著より。

ゲームやオモチャは単に子供向けだけとは限らないようだ。むしろ大人になってからやった方が楽しめるゲームなどもある。「人生ゲーム」などはその一例だった。

また全国にキディランドという店もあるが、それも子供向けと考える必要はないようだ。ホームページを見れば、「総合カルチャー産業のリーダー・・・」ともあった。

中谷氏によれば、キディとは「遊び心」のことで、「遊び」ではなかった。その中には、ファッション、オシャレ、ドキドキ、ワクワク・・・というような気分が入っているそうだ。

だから年齢にはこだわる必要もなかったのだ。キディランドは決してオモチャ屋さんではなかったということのようだ。

どんなサービスでも、「遊び心を持った大人」をターゲットにするという考え方を持てば、商品やサービスの提供の仕方も変わってくるのだろうな。

ほめてくれる人を、持つ。

2014年10月05日 | Weblog
ほめてくれる人を、持つ。

「テンションを上げる45の方法」中谷彰宏著より。

人間はほめられるとヤル気がでるものだ。逆にけなされたり、説教をされるとテンションはグッと下がってしまう。

だから上司は、部下のテンションを上げることが大事なのだろう。テンションを上げてもらえるようにするには、それなりの努力が必要だと思われる。

どんなに小さなことでもほめてくれる人は大事にすべきだった。ほめられてダメになる人はいないものだ。

ものごとをうまくやるためには、まずテンションをあげることが大事なことだ。短所を指摘するより、長所を見つけてホメるほうがメリットは大きい。

ここでの結論は、「ほめよう、ほめられよう」だった。身近な小さいことから始めてみたいものだ。

書くことでテンションを上げよう。

2014年10月04日 | Weblog
書くことでテンションを上げよう。

「テンションを上げる45の方法」中谷彰宏著より。

テンションを上げるためには書くことがいいようだ。というのも、書いているうちに次に書きたいことがわいてくるからだった。

ポイントはなんでもいいから書くことだった。どんなにくだらないことでもよかったのだ。くだらないアイデアもたくさん出すうちに、意外がものも思い浮かぶことがある。

先日は職場で、催しやイベントの反省を書くように依頼された。その時いったん書いたが、そのあとでまた書い足りないことがあって追加で書いたものだった。

頭で考えているうちは出てこないが、書いているうちに出てくるアイデアもある。いい意見である必要ななかった。とにかくいくつか手書きすることだった。

アイデアを出せる人は、くだらないことを言えるかどうかの差だった。中谷氏はいくら書いても書き足りないようだ。それは書いているうちにテンションが上がるからだった。

くだらないことが書ける、人と、それをくだらないという人では、書ける人の方がレベルが高いようだ。

道具はそれを使うだけではなんら成果は生まれない・・・

2014年10月03日 | Weblog
道具はそれを使うだけではなんら成果は生まれない・・・

「朝令暮改の発想」鈴木敏文著より。

このあとには、「価値を生み出すのは人間にしかできないことを忘れてはいけない」と続いていた。ここでの道具とはITのことを指していた。

大事なことはまず、問題意識を持つことだった。それなしに、単なる出てきた数字だけを見ても何も浮かび上がってこない。データの活用というより数字に振り回されてしまう。

POSやIT機器、コンピュータに振り回されたら意味はない。大事なことは人間が判断するためのデータを出す道具だと考えるべきだったのだ。

パソコンやスマホを持っていても、単にそれを見る(検索する)だけや遊ぶためだけに使っているだけではつまらないだろう。私などPCは文房具だと思っていた。またネットは検索だけではなく、積極的に自分なりの情報を発信してこそ得るものがあるとも考えている。

ただ単に人がつくった情報を眺めているだけでは、進歩しないのではないだろうか。

新しい価値のある情報は「内」ではなく「外」にある。

2014年10月02日 | Weblog
新しい価値のある情報は「内」ではなく「外」にある。

「朝令暮改の発想」鈴木敏文著より。

何かのノウハウ本を読んだり人の話を聞いているだけでは、誰もが知っている情報しか入ってこないという。まさにその通りだろう。テレビやインターネット、新聞に掲載された情報はすでに多くの人が目にしているものだからだ。

むしろ会社やお店の外に出ていって、どれだけ積極的に情報を取ってこれるかが大事なことだった。外に踏み出していく意欲と努力をしているだろうか。

ここまで考えると既存のお客様だけでは、新しい売り上げも頭打ちになることは予想できる。大事なことはどれだけ新しいお客様を創造できているかだろう。かつてドラッカーも企業にとって大事なのは顧客の創造と言っていたのを思い出す。

鈴木氏の言葉では、「新しく価値ある情報はこれまで行ったことのないところへ出かけ、門を叩き、相手の中へ飛び込んでいって初めて得られるもの」と語っていた。

新しい売れ筋商品も店の内ではなく、外にあるという。これまで店になかった商品を提供すれば、これまで来てもらえなかった新しい顧客を呼ぶこともできると考えたからだ。

その例がセブンイレブンのおにぎり、調理めん、浅漬けなどのデイリー商品だった。これらは挑戦し続けた結果、コンビニエンスストアになくてはならない商品になっている。

ここでのポイントは、日ごろから頭のなかにどれだけ問題意識や関心のフックを持っているかだ。マンネリ化にならないように気をつけねば。