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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

同じ誕生日の人

2023年04月25日 | 日記
 ジムの血圧を測る器械の斜め前に、個人カルテを入れるボックスがある。日付、入退時刻、体重、血圧、トレーニングメニューなどを記入していくもので個人情報が詰まっていることもあり目をそらせて測定しているのだが、今日はたまたま一番手前の人のものが少しはみ出ていて生年月日欄が目に入った。1961年1月25日。同じ誕生日ということで強く目に留まったのかもしれない。

 うるう年でなければ、1年は365日、366人以上の人が居れば必ず同じ誕生日の人がいるのだから不思議なことではないが、その存在を知る機会が血圧測定のこの時に生じたことに「おおっ!」と心が動いた。

 確率の授業をしていた時、「集団の中に同じ誕生日がいる人の確率」というものを考えたことがあった。計算上は23人の集団であれば確率は50%を少し超え、35人で81%余り、41人で90%を越える。当時は1クラス40人余りだったので「全校の各クラスには同じ誕生日の人が居る」可能性は極めて高いという仮説が成り立つ。それを終礼の時間に手分けして聞いて回り検証するということを
行なった。ずい分昔のことなので詳細な結果は覚えていないが、ほぼ理論的な値と差はなかった。確率の授業の面白さは、理論的な値を実験で検証できるという点にある。他にもいろいろ試みたが、いい思い出として残っている。

 同じ誕生日では、小、中学時代にも思い出がある。私の小、中学時代は出席順が生年月日順だった。高校に入った時アイウエオ順で驚いたが、これが普通だということは以後の学校生活で知ることになる。逆に、なぜ生年月日で出席順にしていたのか?ということが疑問になっていたのだが、あるテレビ番組のルポで「村では屋号で呼び合うのですね」というリポーターの質問に「みんな同じ姓やから区別がつかない」という趣旨の答え聞いた時「そういうことか」とハタと気づいた。

 私の小中学校を過ごした志摩郡阿児町鵜方には、谷川原、中村、東山という姓が多く1クラスに数名同じ姓の人が居た。アイウエオ順では分かりづらいということで生年月日で並べるということになったのだろう。

 当時は1クラス50人余りだったが、同じ誕生日の人は、谷川原、中村、東山の姓を持つ人よりも少なかったことは確かである。私と同じ誕生日を持つ谷川原君が1人いた。小2から中1までたまたま同じクラスで、学年が変わるたび2人の順番が前後した。この基準は未だに分からないが、「次はどちらが先かな?」を2人で楽しんでいた。

 5年生の時に、東(あずま)くんが転校してきた。生年月日が1月25日と紹介された時、谷川原くんと顔を見合わせて驚いたことを覚えている。

 50人のクラスに、2人の同じ誕生日の人がいる確率は95.6%だが、3人いる確率は13.2%とグンと下がるからドラマチックな出合いと言ってよい。6年生になったら順番がどうなるか?というのが3人の密かな愉しみとなった。2人だと2通りしかないが、3人だと6通りと選択肢も広がる。どうなったのかの記憶はない。

 たまたまジムで同じ誕生日の人のカルテに出合ったことで懐かしい思いがよみがえった1日となった。
誕生日が一致する確率(N人中2~5人、グラフ表示)
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「げんげ」とは言ってこなかった70余年

2023年04月24日 | 日記
 毎日新聞の朝刊には、坪内稔典さんの「季語刻々 今・昔」のコーナーがある。小さなスペースだが毎日の楽しみとなっている。季節の移ろいに沿って、今と昔の俳句が掲載される。4月20日と21日の句を思い出させる風景に昨日、山田池公園に行く途中で出会った。
 

会ひに行く母にげんげを摘みながら  露木佳世子
 句集「呂宋(るそん)の壺(つぼ)」(文学の森)から引いたが、句集には母を追悼した句があるから、作者としては墓参の句だろう。でも、たとえば介護施設に入っている母を訪ねる句としても読める。この句の主人公はかつて母といっしょにげんげ(紫雲英)を摘んだ思い出があるのかも。作者は1954年生まれ、神奈川県湯河原町に住む。<坪内稔典>

げんげ田の広大これが美濃の国  山口誓子
 昨年の秋、岐阜城に上って美濃の平野を眺めた。あの広大な平野が一面にげんげ田になると空想すると、なんだか愉快。斎藤道三か織田信長、あるいは信長にふんした木村拓哉が、すべての田にげんげをまけ、と命令を下し、現在の濃尾平野が一面のげんげになったらすごい。何十万もの人がげんげ田に群れるのではないか。<坪内稔典>

 20日にこの句を見た時、「げんげ」という言葉に違和感を覚えたでも翌日の句も「げんげ」とあった。私はずっとこの花を「れんげ」と言ってきた。気になって、明鏡国語辞典や日本の歳時記を引っ張り出して調べてみた。

 当然だが「げんげ」がこの花の主たる名前。漢字では「紫雲英」と書く。紫雲がたなびくさまからとのこと。そして花の形が蓮の花に似ていることから「蓮華草」(れんげそう)とも呼ばれている。私は「草」を省いて「れんげ」と呼んできたのだが、俳句の世界では「れんげ」は蓮の花で夏の季語となる。 

「げんげ」または「れんげそう」を使うのが本筋ということで落着。田植えに向けての農作業が始まっていた。もう少し遅ければ「げんげ田」を見ることが出来なかった。いいタイミングだった。
 
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山田池公園のヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)

2023年04月23日 | 日記
 山田池公園のヒトツバタゴが見頃だと知人から教えられたので、絶好のサイクリング日和の今日出かけた。知人は「ナンジャモンジャ」と呼んでいた。
 ただ厳密に言えばナンジャモンジャは、名前のわからない樹木を呼ぶために付けられた愛称で、特定の木の、正式な名前ではないらしい。珍しい巨木やご神木など、その場所で見慣れない木に村の人がナンジャモンジャと名付けたと伝えられる例が、日本全国にたくさんあるので時々混乱する。

 ☆「何の木ですか?」と問われているうちにそう呼ばれるようになったから
 ☆神事などに使用されていたために直接木の名前を呼ぶのを控え、呼び名として使用
 ☆水戸光圀公が「この木は何という木だろうか」と自問自答した木であるから
 ☆水戸光圀公が将軍様に「この木は何という名の木だ」と問われてとっさに「なんじゃもんじゃの木」と答えたから

など諸説いろいろある。園芸の世界では、ヒトツバタゴ=ナンジャモンジャとなっているみたいで山田池公園の木の名札にも2つの名前が併記されていた。
遠目には真白いかたまりに見えるが、近づくとプロペラのような特徴的な花がからまったようにたくさんついていた。  
 思っていたより木の本数が多く、雪山のようで美しかった。

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白色の花の紫外線対策は?

2023年04月22日 | 日記
 ツツジなどのきれいな花びらは虫や小鳥たちに目立って、花粉を運んでもらうためだけではなく、きれいな色素で紫外線対策をしていることを昨日のブログで書いた。しかし、ツツジの花の中には、きれいな色をもたない白色のものもある。今、我が家の玄関先で一番目立っているのが白色のクレマチスである。
 これら白色の花の紫外線対策についても興味深い記述があった。またまた、田中修さんの受け売りである。

 白色の花には「フラボン」や「フラノボール」という色紙が含まれていて、それらが紫外線の害を消去する抗酸化物質で、きれいな花同様に紫外線対策はなされている。ただ、これらの色素は、白色の色素ではなく、無色透明か薄いクリーム色なので、花びらが白色に見えるのは色素以外の別の仕組みがあると田中さんは解説している。

 「花が白色に見える理由は、花びらの中に多くの空気の泡が含まれるからです。小さな泡があると、光が当たったときに反射して白く見えるのです。たとえば、水しぶきは滝などでは白く見えますが、滝に流れている水は普通の水です。
 同じように、白色の花びらの中には小さな泡が含まれていて、それらが花を白く見せているのです。ですから、白い花の花びらから泡を追い出したら、白色でなくなります。一枚の花びらを取り出して親指と人差し指で強く押しつけてみてください。その部分は透明になります。」

 ということで、クレマチスの花びらを1枚拝借して泡を追い出してみた。田中さんの解説通りとなった。


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花の色は・・・奥深い

2023年04月21日 | 日記
  花の色に使われる色の素は、主に「アントシアニン」と「カロテノイド」だそうだ。

 アントシアニンは、赤い色や青い色の花に含まれる。カロテノイドは、黄色や少しピンクがかった赤色で鮮やかさが特徴である。昨日のツツジでもふれたが、これらの色素で美しく装うのは、虫や小鳥たちに花粉を運んでもらうためだが、もう一つ大切な理由があることを田中修さんの「日本の花を愛おしむ」(中央公論新社)で知った。

 それは、植物たちの紫外線対策だという。人間にとって紫外線は、体に当たると「活性酸素」を発生させることでよく知られている。これからの時期は特に「紫外線対策」に注意をはらうのだが、植物にも例外ではないという。ここからは、田中さんの解説を引用させてもらう。

 『活性酸素とは、からだの老化を促し、多くの病気の原因となる有毒な物質なのです。そのため、自然の中で、植物は、紫外線から自分たちのからだだけでなく、花の中で生まれてくるタネを守らなければなりません。ですから、紫外線が当たって生み出される有害な活性酸素を、花の中から消去しなければなりません。
 そこで、植物は、活性酸素を消し去る働きをする「抗酸化物質」とよばれるものをつくります。抗酸化物質の代表は、ビタミンCとビタミンEです。それら以外、植物がつくる代表的な抗酸化物質が、アントシアニンとカロテノイドという、花びらをきれいに装う物質です。
 植物は、これらの色素で花を装い、花の中で生まれる子どもを守るのです。植物たちが、花をきれいに装うのは、紫外線で生み出される有害な活性酸素を消去するためであり、植物たちの生き残り戦略の一つなのです。』

 とあった。これえを読んでツツジの花を見る目が少し変わった。UVカットの傘を貸してあげようかと言いたくなった。
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