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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「げんげ」とは言ってこなかった70余年

2023年04月24日 | 日記
 毎日新聞の朝刊には、坪内稔典さんの「季語刻々 今・昔」のコーナーがある。小さなスペースだが毎日の楽しみとなっている。季節の移ろいに沿って、今と昔の俳句が掲載される。4月20日と21日の句を思い出させる風景に昨日、山田池公園に行く途中で出会った。
 

会ひに行く母にげんげを摘みながら  露木佳世子
 句集「呂宋(るそん)の壺(つぼ)」(文学の森)から引いたが、句集には母を追悼した句があるから、作者としては墓参の句だろう。でも、たとえば介護施設に入っている母を訪ねる句としても読める。この句の主人公はかつて母といっしょにげんげ(紫雲英)を摘んだ思い出があるのかも。作者は1954年生まれ、神奈川県湯河原町に住む。<坪内稔典>

げんげ田の広大これが美濃の国  山口誓子
 昨年の秋、岐阜城に上って美濃の平野を眺めた。あの広大な平野が一面にげんげ田になると空想すると、なんだか愉快。斎藤道三か織田信長、あるいは信長にふんした木村拓哉が、すべての田にげんげをまけ、と命令を下し、現在の濃尾平野が一面のげんげになったらすごい。何十万もの人がげんげ田に群れるのではないか。<坪内稔典>

 20日にこの句を見た時、「げんげ」という言葉に違和感を覚えたでも翌日の句も「げんげ」とあった。私はずっとこの花を「れんげ」と言ってきた。気になって、明鏡国語辞典や日本の歳時記を引っ張り出して調べてみた。

 当然だが「げんげ」がこの花の主たる名前。漢字では「紫雲英」と書く。紫雲がたなびくさまからとのこと。そして花の形が蓮の花に似ていることから「蓮華草」(れんげそう)とも呼ばれている。私は「草」を省いて「れんげ」と呼んできたのだが、俳句の世界では「れんげ」は蓮の花で夏の季語となる。 

「げんげ」または「れんげそう」を使うのが本筋ということで落着。田植えに向けての農作業が始まっていた。もう少し遅ければ「げんげ田」を見ることが出来なかった。いいタイミングだった。
 
コメント
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