今日の毎日新聞朝刊の「週刊金曜経済・けいざい最前線」の欄を開くと
「世界思想社教学社 上原寿明社長 赤本が開く、教養の扉 1954年創刊、今や378大学に拡大」
の見出しが目に飛び込んできた。上原社長は入社して30年ほど赤本の編集に携わり、2010年に取締役に就任し、2014年から社長をされている。自身の経験もふまえ創業から75年となる世界思想社教学社のバックボーンについてのインタビューをもとに編集されている。
私の頃は共通テストもなく、各大学それぞれの入学試験のみの大学受験であったが、今は制度も大きく変わり、ネット社会となり紙文化の出版業界は苦境に立たされている中で「赤本」が存続しているということが驚きだった。
私は、千葉大学園芸学部造園学科だけを狙った一本釣りのような大学受験をしたので「赤本」が勉強の羅針盤だった。古典は「枕草子」に比重をかけ、地理では地形図の読み取りを鍛えた。2年間チャレンジしたが結果は不合格に終わったが「赤本」にはお世話になり、良き思い出として残っている。
記事を読んでいて、単に、大学ごとに入試に出題された問題を集めた過去問集にとどまらず、大学受験の文化としても定着している理由が何となくわかったような気がした。
先ず、創業のきっかけである。次のように話している。
「太平洋戦争の末期、創業者の高島國男は20歳の時に大阪で空襲に遭い、親戚がいた京都で家族を養う方法を探りました。なぜ戦争が繰り返されるのか、平和を築く仕事はできないか――。親鸞の思想や東洋的な死生観などを読み込む中で、学問の進歩と広い教養が人間を育て争いを抑止することにつながるという考えに至ります。
敗戦直後は書籍が乏しく、国民は多様な思想に触れる機会がありませんでした。そこで高島は京都大学前に貸本屋を設立し、出版業を始めるにあたって世界思想社と名付けました。48年のことです。
貸本屋で京大の教授や学生との交流が生まれ、その一人が日本の刑法学の基礎を築いた瀧川幸辰・元京大総長です。高島の理念に共感し、創業の翌年に「刑法読本」を出版。続いて教育部門の教学社を設け、高校社会科の副読本や資料集を刊行します。高校教諭とのつながりから大学入試の過去問集を出してはとの助言を受け、54年に「大学入試シリーズ」の刊行が始まりました。」
そして、最初は京大、同志社大、立命館大、大阪市立大、神戸大の5大学を扱う3冊から始まった時は青や紫色などのさまざまな表紙だったが、主要な大学の過去問集がそろってきた1964年に書店の本棚で目立つようにと朱色に統一され「赤本」という愛称で呼ばれるようになるのだが、長く編集に携わった上原さんの思いについて次のように語っている。
「同じテーマの問題でも設問形式は大学によって個性が出ます。例えば東大や一橋大は伝統的に論述が基本。その場で考えて表現する力が問われます。
入試問題は「これが分かる大学生に来てほしい」という大学側からのメッセージ。受験競争に勝つための道具ではなく、自らを成長させる知恵を得ていく糸口です。問題の背景に何が示唆されているのかを読み取ることが重要です。例えば、国語の読解問題は「こういう考え方に接してはどうか」という文献から抽出されていて、出題者はそれを糸口に教養を深めてほしいと願っています。
正答率は気になるでしょうが、偏差値は受験が過ぎれば意味をなしません。しかし、教養は広げ深めることができ、社会に出てからも生きて働きます。人生は良いことばかりではありません。悩みを抱えて困った時に役立つ知恵を得る方法を学生時代に身に付けてほしいと思います。」
おおらかな時代だったのか、千葉大学の2年間分の入試問題はその場で回収されず私の手元にある。地理の問題を改めて見ると上原さんの言葉に得心する。
いいインタビュー記事だった。
「世界思想社教学社 上原寿明社長 赤本が開く、教養の扉 1954年創刊、今や378大学に拡大」
の見出しが目に飛び込んできた。上原社長は入社して30年ほど赤本の編集に携わり、2010年に取締役に就任し、2014年から社長をされている。自身の経験もふまえ創業から75年となる世界思想社教学社のバックボーンについてのインタビューをもとに編集されている。
私の頃は共通テストもなく、各大学それぞれの入学試験のみの大学受験であったが、今は制度も大きく変わり、ネット社会となり紙文化の出版業界は苦境に立たされている中で「赤本」が存続しているということが驚きだった。
私は、千葉大学園芸学部造園学科だけを狙った一本釣りのような大学受験をしたので「赤本」が勉強の羅針盤だった。古典は「枕草子」に比重をかけ、地理では地形図の読み取りを鍛えた。2年間チャレンジしたが結果は不合格に終わったが「赤本」にはお世話になり、良き思い出として残っている。
記事を読んでいて、単に、大学ごとに入試に出題された問題を集めた過去問集にとどまらず、大学受験の文化としても定着している理由が何となくわかったような気がした。
先ず、創業のきっかけである。次のように話している。
「太平洋戦争の末期、創業者の高島國男は20歳の時に大阪で空襲に遭い、親戚がいた京都で家族を養う方法を探りました。なぜ戦争が繰り返されるのか、平和を築く仕事はできないか――。親鸞の思想や東洋的な死生観などを読み込む中で、学問の進歩と広い教養が人間を育て争いを抑止することにつながるという考えに至ります。
敗戦直後は書籍が乏しく、国民は多様な思想に触れる機会がありませんでした。そこで高島は京都大学前に貸本屋を設立し、出版業を始めるにあたって世界思想社と名付けました。48年のことです。
貸本屋で京大の教授や学生との交流が生まれ、その一人が日本の刑法学の基礎を築いた瀧川幸辰・元京大総長です。高島の理念に共感し、創業の翌年に「刑法読本」を出版。続いて教育部門の教学社を設け、高校社会科の副読本や資料集を刊行します。高校教諭とのつながりから大学入試の過去問集を出してはとの助言を受け、54年に「大学入試シリーズ」の刊行が始まりました。」
そして、最初は京大、同志社大、立命館大、大阪市立大、神戸大の5大学を扱う3冊から始まった時は青や紫色などのさまざまな表紙だったが、主要な大学の過去問集がそろってきた1964年に書店の本棚で目立つようにと朱色に統一され「赤本」という愛称で呼ばれるようになるのだが、長く編集に携わった上原さんの思いについて次のように語っている。
「同じテーマの問題でも設問形式は大学によって個性が出ます。例えば東大や一橋大は伝統的に論述が基本。その場で考えて表現する力が問われます。
入試問題は「これが分かる大学生に来てほしい」という大学側からのメッセージ。受験競争に勝つための道具ではなく、自らを成長させる知恵を得ていく糸口です。問題の背景に何が示唆されているのかを読み取ることが重要です。例えば、国語の読解問題は「こういう考え方に接してはどうか」という文献から抽出されていて、出題者はそれを糸口に教養を深めてほしいと願っています。
正答率は気になるでしょうが、偏差値は受験が過ぎれば意味をなしません。しかし、教養は広げ深めることができ、社会に出てからも生きて働きます。人生は良いことばかりではありません。悩みを抱えて困った時に役立つ知恵を得る方法を学生時代に身に付けてほしいと思います。」
おおらかな時代だったのか、千葉大学の2年間分の入試問題はその場で回収されず私の手元にある。地理の問題を改めて見ると上原さんの言葉に得心する。
いいインタビュー記事だった。