素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

実りの秋となりにけり

2011年10月26日 | 日記
  近くの法面にざくろの木がある。朝は近所のお年寄りが散歩の時に足をとめてあいさつをかわしている。夕方には学校帰りの小学生の一団が毎日見上げては何やら話している。また、犬の散歩をしている人たちも立ち止まり自然と話に花が咲く。井戸端会議ならぬ“ざくろ端会議”である。実がつき始める頃になると始まる。普段なら通り過ぎる人たちの足をとめてくれるのも実りの秋ならではのことである。

 手の届くところから実が減っていってしまった。後はカラスの出番?

  柿の実も色づいてきた。中学2年生のこの時期に、大腿部剥離骨折で1ヶ月入院していた。見舞いにたくさんの柿が届けられた。それまでは果物の皮をむくことなどなかったが、昼間食べるとなると、自分でむかざるを得ない。同室の付き添いのおばさんに教えてもらって“皮むき特訓”が始まった。6人の相部屋でみんな時間を持て余していたので野次馬も多かった。笑われたり、おだてられたりしながら一人前にむけるようになった。幼い子の“初めてのお使い”と同じで、ちょっと誇らしげな気分になった。自立への階段を登るとはこういうことの積み重ねなのだろう。

 ほかにも銀杏やくり、さつまいもなども近所からいただき、秋の味覚を楽しむ毎日である。
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第4週に入っている朝ドラ『カーネーション』欠かさず見ています

2011年10月25日 | 日記
 第1週“あこがれ”は、少女時代から女学校入学まで、第2週“運命を開く”は、町のパッチ屋で偶然見かけたミシンに魅せられ、放課後のパッチ屋通いから女学校を中退してパッチ屋で働くことになるまで、第3週“熱い思い”は、パッチ屋での3年間と不況のためクビになるまで、そして、第4週“誇り”は、新しい仕事を探している時に、東京からミシンの実演販売に来ている洋裁の先生との出会いである。

 和から洋へと大きく移り変わっていくダイナミックさと不況の影が宿る昭和初期の世相がよく出ているとともに子供から大人(社会人)へと目覚めていく過程をさりげない会話の積み重ねの中でうまく伝えている。
 また、各週のタイトルは“花言葉”からとっているらしい。
 第1週“あこがれ”は“ひまわり”第2週“運命を開く”は“プリムラ”第3週“熱い思い”は“カンナ”第4週“誇り”は“アマリリス”の花言葉である。

  “足踏み式ミシン”がよく登場するが、見るたびに小学校時代の家庭の授業を思い出す。

 エプロンをつくる授業だったが、ミシンが家になかったのは私を含めて3人であった。今とは違って、材料を用意するのも、授業で出来ない分を補うのもすべて家庭の責任であった。ミシンのある家の子は、親に手伝ってもらいながら家のミシンを使ってどんどん進んでいく。ミシンのない3人はいつも放課後残されての作業。ミシンがないということはミシンの扱いも不慣れということである。糸通しで散々苦労して、やっと縫える態勢になっても、足を踏むリズムと布を送るリズムのタイミングがとれなくて、すぐに糸がぐちゃぐちゃになってしまう。

 あのどうしようもない糸と布の惨状は忘れられない。

 毎日がそれの繰り返しで、1週間たってもまったく作業は進まなかった。さぼって逃走をしたりしてかわいくない生徒でもあったが、担当の女先生がアドバイスなしの皮肉と叱責100%の人だったので3人にとっては地獄の1ヶ月であった。結局、3人ともエプロンは完成できなかった。それでも苦をともにしたということで3人には連帯感めいたものが生まれた。

 しかし、通知表の家庭の評価は私は2で、後の2人は1であった。3人でなんで?と聞きに行ったら「本当は1をつけたかったけど、1は2人しかつけられないから仕方ない。運が良かったな。」という答えであった。「なんでお前だけが?」という2人のシラッとした感じと「自分も1やったら良かったのに」というこの時の釈然としない思いは長く残った。

 以来、ミシンを見るのも「ダッダッダダダダ・・・・・」というミシンの音を聞くのも嫌になったが、今となってはなつかしい良き思い出になっている。私とは真逆のミシンに恋焦がれている主人公の生きる世界は、私にとって未知の世界でもある。それゆえ新鮮に感じるのかもしれない。


 
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今、読んでいる2冊の本

2011年10月24日 | 日記
 先週後半から2冊の本を読み始めた。落語家の立川談春さんの書いた『赤めだか』と元都立高校長の渡部謙一さんの『東京の「教育改革」は何をもたらしたか』である。両方ともちょうど半分ぐらいまで読み進んできた。

 前著は17歳で立川談志に入門した談春さんの修行時代を綴ったもの。後著は教頭、校長として東京都の教育改革と向き合ってきた渡部さんのもの。両者の立つ位置は異なるが、“教える”“学ぶ”とは?ということに関しては共通のものがある。

 渡部さんは、教育という営みの本質を次のように書いている。

 『授業が学びの場であるためには教室が自由な空間になっていなければならない。“間違わない所”ではなく、“間違ってもいいんだよ”という、何でも思ったことを自由に発言できる場でなくてはならない。一人の生徒の思いもかけない発言が生徒間に問いを投げかけ、互いに考え合い、学びをつくっていく。そこから私もいつも学ばされてきた。それと同じように、この職員会議の教育論議を通してこそ個々の教師の教育観、教育に対する姿勢、実践をも知る場であったはずである。』

 『間違いをおかす人間』をどうとらえるかということで、物事の見方、対処の仕方は大きく違ってくるように思える。

 談春さんは、中学卒業間近に上野鈴本で聴いた談志の高座での話を書いている。

 『あのネ、君達にはわからんだろうが、落語っていうのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。どんな芸能でも多くの場合は、為せば成るというのがテーマなんだな。一所懸命努力しなさい、勉強しなさい、練習しなさい。そうすれば必ず最後はむくわれますよ。良い結果が出ますよとね。・・・(中略)・・・人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。寄席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェョ。でも努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。“落語とは人間の業(ごう)の肯定である”。よく覚えときな。・・・』

 “『間違いをおかす人間』『人間の業』を肯定すること”が根底にない“厳しさ”は人を伸ばすことはできないと思う。かといって肯定し過ぎて“甘やかす”ばかりでも人は育たない。このあたりの匙加減のむずかしさが「教育には正解がない」ということになるのだと思う。

 若い時出会った詩に「教室はまちがうところだ」(まきたしんじ・作)というのがある。新聞、雑誌などで時々取り上げられているのでよく知られていると思うが、2冊の本を読んでいてなつかしく思い出したので


  教室は まちがうところだ
  みんな どしどし 手をあげて
  まちがった意見を 言おうじゃないか
  まちがった答えを 言おうじゃないか

  まちがうことを おそれちゃいけない
  まちがったものを ワラっちゃいけない
  まちがった意見を まちがった答えを
  ああじゃないか こうじゃないかと
  みんなで出しあい 言い合うなかで
  ほんとのものを 見つけていくのだ
  そうしてみんなで 伸びていくのだ

  いつも正しくまちがいのない
  答えをしなくちゃならんと思って
  そういうとこだと思っているから
  まちがうことが こわくてこわくて
  手もあげないで 小さくなって
  黙りこくって 時間がすぎる

  しかたがないから 先生だけが
  勝手にしゃべって 生徒はうわのそら
  それじゃあ ちっとも伸びてはいけない
  神様でさえ まちがう世のなか
  まして これから人間になろうとしている僕らが 
  まちがったってなにがおかしい 
  あたりまえじやないか

  うつむき うつむき
  そうっとあげた手 はじめてあげた手
  先生が さした
  どきりと胸が 大きくなって
  どきっどきっと 体が燃えて
  立ったとたんに 忘れてしまった。
  なんだかぼそぼそ しゃべったけれども
  なにを言ったか ちんぷんかんぷん
  私は ことりと座ってしまった

  体が すうっと涼しくなって
  ああ言やあよかった こう言やあよかった
  あとでいいこと 浮かんでくるのに
  
  それでいいのだ いくどもいくども
  おんなじことを くりかえすうちに
  それから だんだん どきりがやんで
  言いたいことが 言えてくるのだ

  はじめから うまいこと 言えるはずないんだ
  はじめから 答えが当たるはずないんだ
  
  なんどもなんども 言ってるうちに
  まちがううちに
  言いたいことの半分くらいは
  どうやら こうやら 言えてくるのだ
  そして たまには 答えも当たる

  まちがいだらけの 僕らの教室
  おそれちゃいけない ワラッちゃいけない
  安心して 手をあげろ
  安心して まちがえや
  まちがったって ワラッたり
  ばかにしたり おこったり
  そんなものは おりゃあせん
  
  まちがったって 誰かがよ
  なおしてくれる 教えてくれる
  困ったときには先生が
  ない知恵しぼって 教えるで
  そんな教室 つくろうやあ

  おまえ へんだと 言われたって
  あんた ちがうと 言われたって
  そう思うだから しょうがない
  だれかが かりにも ワラッたら
  まちがうことが なぜわるい
  まちがってること わかればよ
  人が言おうが 言うまいが
  おらあ 自分であらためる
  わからなけりゃあ そのかわり
  誰が言おうと こづこうと
  おらあ 根性曲げねえだ
  そんな教室 つくろうやあ


 若い時は、教室に掲示したり、学級通信に載せたりしていた。しかし、30も半ばぐらいになった時に、この詩を紹介することをやめてしまった。そういう教室、授業をつくりえていない自分に対する恥ずかしさからである。“詩の言葉”だけを教えても意味がない。日常の生活、授業を通して“詩の心”を感得させるために実践しなければいけない。という思いに強くとらわれた。

 それ以来、この詩は“自分の心の中”に掲げてきた。柱の1つとしてずい分支えてもらった。
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枚方市立第三中学校創立50周年記念式典祝賀会に行ってきました

2011年10月23日 | 日記
デジブック 『枚方三中50周年式典』
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三人寄れば文殊の知恵

2011年10月22日 | 日記
 来月の6日に、名古屋で“愛知教育大学同窓会49年次会懇親会”がある。12時から始まる会に、妻が「何で行くつもり?」と朝、突然尋ねてきた。月末のイベントが終わらないと次のことが考えられない状態の私ではあるが、「車というわけにはいかないから、新幹線かな?」と適当に答えた。「いくらかかるの?」とたたみかけられと「まだ何も考えていない」と言わざるをえない。その話はそれで終わってしまったのだが、昼近くになって中途半端に時間があったので「新幹線と近鉄ではどちらが安いのだろう」と思いつき調べてみた。すると、新幹線は6690円かかるが近鉄だと4530円である。朝、星田駅を9:47に乗るか、8:31に乗るかの違いだけなら近鉄で行くほうが経済的だと思った。

 夜、娘と孫が明日の自治会主催の“イモ堀り”に参加するため泊まりに来た。娘にその話をすると「お父さん、高速バスのほうが安いのと違う?」と新たな提案。その手もあるとパソコンで調べていると娘も部屋にやってきて一緒に参加。3500円というのを見つけたが、朝7:30発である。「出発時間で適当なものがないからバスはだめやな」と言うと、娘が「ぷらっとこだまは?」と突然言った。聞きなれない言葉に「何にそれ?」と聞き返すと「私は出張の時によく使うんやけど、本数もあるしけっこう安いと思う」と言いながら“JR東海ツアーズ”を検索して“ぷらっとこだま”を出してきた。「ほら、9:50に新大阪で10:58には名古屋に着く。4200円でワンドリンク付き。」「こんなのもあるのか」「私けっこうこういうのを調べるのは好きやねん」と話していると仕事から帰ってきた息子が「何やっているんや?」と入ってきた。

 ことの顛末を聞くといきなり「ぜいたく者!」ときた。「名古屋ぐらい近いんやから新快速で充分。特急券なんか使うな。」すると娘も「私も時間にゆとりある時は名古屋まで在来線乗り継いで行くこともある。」と新たな展開。「わかった。いろいろ調べてみるから」と二人には部屋から出てもらった。

 名古屋へ行くだけでもいろいろな方法があるものやと妙に感心した。

 8:16に星田駅を出発して、京田辺→新田辺→京都→米原→名古屋と行けば、11:43に到着。3140円。息子の提案を採用することにした。今まで使ったことのないルートはとても魅力的に感じる。楽しみが1つ増えた。
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