素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

無駄の効用

2009年11月25日 | 日記
 日曜の朝にあるNHKの『ルソンの壺』という番組に、去年ははまっていた。印象に残っている会社がある。大きな会社ではないが、画期的な商品の素材などを開発して成長しているのである。研究部門では、会社のためになるかどうかはわからないが、研究員個々が関心を持っているテーマの研究を経済的にしっかりバックアップするということが徹底されているのである。したがって、研究員たちは長期的な展望で研究に没頭できるのである。

 さまざまな研究データーの蓄積から、会社が商品の改良や開発をする上での画期的なアイデアが生まれるのである。そのために、その会社は上場していないそうである。社長は「株式を上場すると、株主の利益を要求され、今のように会社のために役立つかどうかわからない研究にお金を使うことは株主総会で追及され、縛りがかかってくるだろう。」とコメントしていた。

 今日のニュースの中で、科学関連事業に対する事業仕分けの結論があまりにも科学の研究に対する認識にズレがある。ということを各分野で著名な科学者のコメントを通じて述べられていた。これを聴いていて「役に立つかどうかわからないこと」にしっかり経済的なバックアップをする会社のことを思い出したのである。


 次世代スーパーコンピューター開発に関するやりとりで「世界一を目指して研究開発していきたい」という答弁に、蓮舫議員は「どうして世界一ですか、世界二位じゃだめなんですか?」という質問をした。お粗末極まりない。「金メダル目指します」と言ったオリンピック選手に「どうして金ですか、銀じゃだめなんですか?」と尋ねても答えようがないであろう。

 私がその立場であれば、こんな意識の低い、低レベルな人間とやりとりしなければならないことに情けなくて涙が出る。

 どの分野においても、最高を目指して研究、工夫を重ねていくのである。その過程において関連する数多くの財産の蓄積が得られるのである。それらが人類の進歩を支えてきたのである。

 円周率を教える時、スーパーコンピューターによる日米の争いにふれる。生徒たちは円周が直径の何倍かという数字をそんなに求め続けて何になるのかという素朴な疑問を持つ。蓮舫議員はこのレベルである。

 円周率の歴史は奥が深い。これを短時間で説明するのは不可能である。しかし何千年もの間求め続けた人間が世界中に数知れないほど存在したことは紛れもない事実であり、現代では、いかに速く、正確に、大量の演算をこなすかというスーパーコンピューターの性能を測るバロメーターになっている。日本の技術の証にもなり、ひいては日本製品への信頼につながるのである。

 以前、今の事業仕分けの感じでは、大事なものを失う気がすると書いたが、その具体的なものを科学技術関連のニュースの中に観た。

 『無駄を省く』ということにあまりにも急ぎすぎている。『無駄の効用』ということも一息入れて考えに入れる必要がある。
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松の木が少なくなった!!

2009年11月24日 | 日記
 保育所に勤めている娘が、クラスで工作するのに松ぼっくりが30個ほど必要と言うので気安く引き受けた。10年ほど前にも職場の同僚から松ぼっくりをたのまれたことがあり、近所の法面で拾ったことがあった。結構立派なものがあり喜ばれたので、同じところに行けばよいと高をくくっていた。

 昼過ぎから雲行きがあやしくなってきたので、「濡れてしまう前に拾ってきましょ」と気安く出かけた。階段から法面に入って行ったが、あったはずの松の木がない。良く見るとあちこちに切り株が残っている。

 イルミネーションの飾りつけをしている古老にたずねると、6~7年前の松くい虫騒ぎ時に、シルバーボランティアの手によって順番に伐採されていったそうだ。いつも通っている坂道の法面だが、関心がないときは見えていなかった。

 松の木に注意を向けてあるいてみると、本当に少なくなっている。広場で2本、法面で1本だけ見つけ、かろうじて松ぼっくりを30個確保できた。生態系の変化が時々ニュースになっているが、身近なところでも変化しているんだと妙に感心した。

娘のおかげで、自治会内の法面を、松の木だけを見ながらまわり、最新の分布地図が頭に入った。どの木に手ごろな松ぼっくりがあるかも把握。大きな木であればいいというものではないこともわかった。

 松ぼっくり探しの代償は、盗人萩である。いつのまにかジャージや上着の袖にべったりとくっつき、取るのに往生した。
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近所の秋景色

2009年11月23日 | 日記
 朝、自分の部屋のカーテンを開けると、目に飛び込んでくるのが、朝日に輝く銀杏の木と桜の木の渋い赤である。銀杏並木もいいが、スクッと立っているのもまたいい。



 我が家の門の前は、緑化フェアでもらってきたミニシクラメン、ビオラやらコリウス、ミニバラなどでにぎわっている。



 歩いて1分ほどの階段の下には、10数本の皇帝ダリアが咲き誇っている。高さは3mほどもあり、皇帝という名がつくにふさわしい堂々とした気品を感じる。



 妻と娘2人と孫で、昨日から白浜の方へ1泊で出かけている。とても静かな秋の日をゆったりと楽しんでいる。
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思いを語ること

2009年11月22日 | 日記
 私が就職した頃、枚方市の中学校では信州(主に戸隠)での3泊4日、しかも各クラスごとの分宿による連泊という形の修学旅行が多かった。自然の中でさまざまな活動をするのだが、メインイベントと位置づけられていたのが“ミーティング”と称するものである。

 どこかの夜にクラス全員集まり、自分のかかえている悩み、思い、辛かった経験などを一人ずつみんなの前で語っていくというものである。1年目は3年の担外であったので直接かかわらなくて良かったが、2年目は3年の担任になったのでそうはいかなかったが、結局できなかった。いろいろな所で感動的な実践報告を聞く機会があったが、その後も“ミーティング”という取り組みはできずに終わった。

 高校の修学旅行での徹夜の語り合い、私だけでなく多くの人が経験していることと思う。人間はさまざまな思いをかかえながらも、日々の生活ではその場に応じた顔で生きている。生徒たちとて同じである。修学旅行で過ごす数日は日常から離れた別の空間を生きる。特に夜はそうである。「就寝時間やで」という注意をかいくぐって生徒たちは群れてしゃべりたがる。

 私はお互いに自分の思いをしゃべるということは大切なことだと思っている。他人に話しながら同時に自分に語りかけているということがあると思う。話すことで自分の思いが整理できたり、聞くことで「自分だけではなかったのだ」と共感の気持ちが起こったり、「そういう思いでいたんだ」と人を見る目が深くなったりと語り合う中で、それぞれの心の中では化学反応を起こし、新たに生きていくエネルギーをつくり出していくのではないかと思っている。

 “ミーティング”というのは本来人間が持っている基本的な欲求を、学校というシステムの中に組み込んだものだと思う。したがって、生徒は強制的に参加させられるのである。私はそこに抵抗を感じた。修学旅行という非日常の中で、信頼できる仲間の中で自然発生的に生まれればよいことで、その部分についてはタッチすべきものではないと考えている。

“自分の中にかかえているしんどさ”を語るには、聞いてくれる人、状況、タイミングなどが必要である。それらは意図してできるものではなく、偶然何かの拍子でできるものである。高校時代の中瀬の話もそうであった。あの時、「自分は受験に失敗して、一浪している」という話をし、本音を語るという場の空気ができた中でそれぞれが自分の思いを語った。しかし、私は語ることができなかった。そのことが自分にとってはまた心のおもりとして残っていった。

 私も受験に失敗している。ただ、補欠(2~3人)という形でひろわれた。そういうシステムの存在は知らされていなかったので、寝耳に水という感じで釈然としないままの入学であった。

 伊勢高校は同じ中学から5人で受験した。私の番号は42番だった。縁起の悪い番号やなと冗談を言っていたが、現実に「死に番」となった。掲示板に貼り出された中に、自分の番号だけが抜けていた。発表を見た後、電車で帰ったが私以上に合格した友人も気を遣い、なんともいえない複雑な空気であった。家に入り一人になった時、落ちたことより、その空気から脱け出たことにホッとした思いを持った。

 今でもそうだが、基礎からきっちり積み上げるという手堅い学習ができないのでいたるところに穴がある。得意、不得意がはっきりしているタイプなので成績も不安定であった。苦手な分野が多く出ていてテスト中から「こりゃ駄目かもしれない」という予感があったので、自分の中では不合格が意外なことではなく、仕方がないこととして受け入れ、次の私立高校での生活に思いを馳せることができた。ただ、まわりの人たちのなぐさめや励ましはわずらわしかったので1週間ばかりは誰にも会わずに過ごした。

 私立は四日市にあったので、下宿を決め、教科書、制服を買ったりと結構いそがしかった。荷物もすっかり準備ができ、明日、出発という昼前。突然、担任の先生がオートバイで家に駆けつけ「補欠で合格した。1時から英数の事前テストがある。親には連絡してあるからとにかくこれに乗れ」ということで担任のオートバイに乗って、何がどうなっているのかわからないまま高校へ行き、英数のテストを受けた。

 あまりにも突然のことだったので私自身不可解極まりなかった。同様に、同じ中学から受験した4人にとっては「なぜお前がここにいるのだ?」と怪訝な思いだったと思う。結局4人とは卒業するまで廊下ですれ違っても、同じクラスになっても口をきけなかった。説明不能な不可解さが自分の中にわだかまりとしてあったからだと思う。

 英数のテストが返されたとき、席次もついていて、100番台の前半だったと思う。その時、漠然と入学試験という1回のテストは絶対的なものではないということを感じた。今、全国学力テストで学力低下うんぬんと騒がれているが、1回きりの、生徒にとって今の自分になんら益にもならず、モチベーションも上がらない中でのテストで学力を測ったつもりになっていることへの生理的な嫌悪感がでるのはこのあたりに源があるのかも知れない。

 義務教育を終えた後は社会システム上、あらゆる場面で選抜試験があるのは仕方がないことである。その後、私は大学受験、採用試験においても第一希望はすべて不合格であった。しかし、そのことで自分自身を必要以上に過小評価せず、自分に与えられてきたポジションでベストを尽くしてきたという自負はある。だから、若い時には語れなっかたことも出せるようになった。

 「思いを語る」ことは決して強要してはいけない。でも「思いが語られた」時は耳を傾けたいものだ。
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公立高校の募集人員発表

2009年11月21日 | 日記
 今朝、10年度公立高校募集人員が紙上に発表されている。去年の今頃は3年生の担任としてこの数字を眺め、最後の詰めの進路相談に入っていった。と考えると時の流れは早い。経済的な理由から公立志向が高まる中、私立専願への変更や私立の併願校の変更など現実の壁に思い悩むのがこの1ヶ月である。

 同じ紙面に、府高野連が来春のセンバツ21世紀枠に交野高校を推薦したという記事もあった。去年担任した生徒の中に野球少年がいた。経済的なことや、自分の成績などをにらみながらどの高校を選択するのがベストか、よく話し合った。私立の場合は指導者が固定されある程度予測がたてやすいが、公立の場合は中学同様クラブ顧問で人員配当はないので、指導者によるしっかりした活動ができるかどうかは定かではない。最終的に2人は交野高校を選び合格した。その後2人がどうしているかについてはわからないが、決める段階で、近隣の公立高校でしっかりした活動をしているのは交野高だろうというアドバイスはまちがっていなかったと安心した。

 担任として進路相談にかかわる時、34人いれば34通りの事情、思い、夢などがある。それらを一つひとつ受け留めながら、現実の制約の中で着地点をみつけていく作業は骨が折れる。「夢ばっかり追っていてもだめだ。」と言わなければいけないかと思えば「もっと夢をもとうよ」とも言っている。「もっとしっかり勉強せんかい」とハッパをかけてるかと思えば、「もうそんなにがんばらなくても、リラックス リラックス」となだめていたりと個々の置かれた立場、状況によって正反対のことをコロリと言わなければならないのが教師である。

 人生に挫折はつきもの。どの時点でそれを味わうかはわからない。3月までの4ヶ月、生徒にとっても教師にとってもしんどい日々が続く。

 
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