素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

受験と健康

2009年11月20日 | 日記
 今朝のNHKニュースの特集で、受験の時期を迎え神社仏閣へお参りする様子が例年とは少し違っているということを報じていた。青不動で有名な京都の青蓮院で取材していたが、人数が3倍ほど増えているということと、合格よりも健康に受験できますようにという願い事が多いとのこと。そして、お堂にぎっしりと集まった人が不動明王に一心不乱に厄払いの護摩祈祷をしている映像があった。

 私は不謹慎にも笑ってしまった。「何笑ってるの?」「この科学の時代に、平安時代と同じやん、人間って・・・」と答えながら、確かにこんなに長期に渡って新型インフルエンザに振り回され、勢いは衰えることなく、ワクチン不足となれば祈るしかないかと思い直した。まして、受験生にとっては深刻なことである。

 9月末にあった高校の関西支部の同窓会で11期生の世話役を引き受けてくれている佐藤(中瀬)義秀くんと40年ぶりに再会したのだが、席で目と目が合った時、「やぁ」の次の言葉が「あの修学旅行は・・・」であった。別府の宿で5~6人でほぼ徹夜で語り合った。

 話が深まったきっかけは、中瀬が「自分は一浪して入学している。1年半一緒に楽しくやりながらも、何かそのことがトゲのようにささっていて苦しい」ということを打ち明けたことである。

 中瀬はクラスの中心になって誠実にがんばるタイプで、私を含め残りのメンバーはどこかさめて、クラスをまとめていこうする中瀬にとっては困った部類の人間だったと思う。その中の一人が中瀬に向かって「お前みたいに苦労していない人間に俺の気持ちはわからん」というようなことが引き金に中瀬は入学以来心にかかえていた思いをぶちまけた。

 彼は情熱家で文才もある。、04年に『刻のきおく』という詩集を出版し、09年にブログ(http://rosco-rd.co.jp)をまとめた『刻のかたち』を出版している。2冊を同窓会の場で買ったのだが、そこに“春の風邪”と題して書いている。

 ・・・中学の頃から、季節の変わり目、三月になると必ずと言っていいほど風邪をひいていた。これは大人になってもあまり変わらない。中学二年の三学期の終わりだった。学期の最後の三日間やはり風邪をひいて学校に行けなかった。三年生からすでに転校が決まっていたので、その時の残念さは今も心のどこかに古い傷のように残っている。

 担任の女の先生が自転車で家まで最後の通信簿を持って来てくれた姿は今でも忘れられない。さらに転校先の三年生から高校進学の春三月、またしても私は受験の前日から高熱に見舞われてしまった。受験は終えたものの朦朧とした意識の中、帰るなり倒れてしまった。受験は失敗、一年間棒に振ってしまった。しかし、この経験は私に様々なことを教えてくれた。今までの私の人生の中で、一番辛く、苦渋に満ちた一年だった。大学進学の時には、三月を迎えることに、ほとんど恐怖に近いものがあった。二度とあのような経験はしたくなかった。しかし、後で振り返ってみた時、私を大きく育んでくれた一年であったことは間違いない。もう随分昔のことになってしまったけれど。・・・・

 彼が高校生活を充実したものにしようと学習にも、クラス活動にも積極的にかかわっている背景にあるものは、その夜に語り合ったメンバーにはよくわかった。表面的な言動にとらわれず人間を多面的に見るということを学んだ一夜であった。

 受験は残酷である。合格と不合格でがらりと人生が変わる。しかし、必要なものである。その結果を受け留め、次へのステップにつなげていくことが大切である。

 

 
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ONKYOのステレオにまつわる話

2009年11月19日 | 日記
 昭和40年代後半の大学生にとって、ステレオはかなり高額な買い物だった。貯めた金を持って店に行ったとき、当時メジャーではなかったがONKYOのものが音や見た目の重厚感がすごく気に入った。

 ただ、持ち合わせた現金では不足で、生まれて初めてローンを組んだ。今の時代ならともかく、当時は学生の身で借金をして物を買うということは一般的ではなかったが、欲しいという一念に押されてしまった。

 もともと愛知県で働くつもりはなかったので、ふるさとの三重県と当時教員不足に悩んでいた大阪府の採用試験を受けた。三重県のほうは不採用。大阪府の中でもベッドタウンとして人口が急増していた枚方市にすべり込みで採用された。採用の決定が3月上旬と遅かったので、とりあえず香里園に住んでいた叔父の家に間借りさせてもらった。

 新任研に地元のいろいろな場所をバスで巡るというものがあった。その中に、オンキョーの工場見学が入っていた。ステレオは愛用してきたが、オンキョーが大阪の会社だということは知らなかった。

 しかも、本社と工場が、香里園の叔父の家から歩いて20分ほどの所にあると知って、“縁”みたいなものを感じた。退屈なバスめぐりの中で、自分の持っているものと同じものが作られていると思うだけでワクワクした気持ちになった。スピーカーのボックスがいかに頑丈でしっかり作ってあるかということをハンマーで叩いて実演してくれた時、「やはり、自分の目に狂いはなかった!」と心ひそかに喜んだが、冷静に考えれば自社製品の優秀さを宣伝するのは当たり前である。喜ぶようななことではない。「若かった。」ということか。

 人口が急増していた枚方市では、私が就職した時に10校目と11校目が開校し、以後ほぼ1年に1校の割合で建設され20校目の長尾西中学校が1986年に開校されて建設ラッシュは終わった。

 必然的に新任の採用も多く、組合でいうところの青年部の数も多かった。私が赴任した村野中学校も教職員の半分は青年部だったと思う。12,3名ほどいたと思う。少し落ち着いた4月の休みを利用して、職場の青年部のメンバーでハイキングに行った。そこに、妻もいた。

 香里園の駅で解散した後、私を含め3人ほどで彼女の住んでいる文化住宅(この名称と実際の佇まいのギャップには大阪に来て驚いたものの1つ)に寄せてもらった。部屋に入って私の目にとびこんだのが、まったく同じONKYOのステレオである。名越さん流にいうと『私はステレオに“居着いて”しまった。』

 私のステレオは叔父の家に荷造りしたままだったので、次の休みの日にレコードを入れた袋をぶら下げて彼女の部屋に行き、お気に入りの曲を聴いて過ごした。そして度々通うようになった。そのあたりのことを何年か前に妻に話したが、まったく覚えていない。とのこと。

 人生に“If”はないが、あの部屋にONKYOのステレオがなかったら、違う道を歩いていたかもしれない。

 2つの双子のようなステレオ。1つは結婚のとき処分した。もう1つは、こちらが目を離している間に4歳の長女がふたを開け、中のアームをおもしろそうに持ち上げて遊び、折ってしまい、The End。丈夫なスピーカーは踏み台、子どものベンチと活躍した。

 
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Eugen Cicero - simply the best - Hungar...なつかしいです

2009年11月18日 | 日記
Eugen Cicero - simply the best - Hungarian Rhapsody N°2


 以前のブログで昔買ったレコードの処理についてもう一度聴いてみたいものがあるのでどうしようか迷っている。と書いた。それがオイゲン・キケロの演奏である。ルーマニア出身のジャズ・ピアニストでクラッシックのジャズ化でたぐいまれなる才能を発揮した。

 浪人、大学生の5年間は名古屋の中村遊郭の跡が色濃く残っていた所に下宿していた。市電のもより駅は「大門通」である。

 下宿といっても、基本は行商人とか季節労働者が利用する6部屋しかない小さな旅館である。素泊まりの値段は1畳100円。私は3畳の部屋だったので1日300円。1ヶ月で9000円だが超連泊なので8000円。

 その狭い部屋に、必死でためたお金で不釣合いなでっかいONKYOのステレオを買った。接近しているのでヘッドホーンを使わないと聴くことができない有様で、おかみさんは「どうするだがね」とあきれていたが、一番ほしかったものだったので、布団をひくと部屋にほとんど隙間がなくても大満足であった。

 ジャズに興味をもったのがオイゲン・キケロとの出会いからである。ラジオから流れた時に「誰だ?」となった。名前もうまく聞き取れず、なんとなくこんな感じの名前をたよりにレコード店をまわった。

 夜中に、ヘッドホーンをつけて聴いていた時、夢中になって定規で拍子を打っていたみたいで、階下で寝ている旦那さんを睡眠不足にさせてしまったこともある。彼の演奏を聴いているとなぜか元気が出てくる。

 陽水とブログとYou Tubeのおかげで再会できた。感謝。

 大学4回生のころ『神田川』がヒットした。“三畳一間の小さな下宿 窓の下には神田川・・・”私の場合は“窓の下にはトタン屋根・・・”で、小さな石鹸をカタカタ鳴らして一緒に行く人もいなかったが、心にしみた歌だった。このLPが名古屋で買った最後のレコード。

 本と同様に音楽との出会いも自分の人生の1コマ1コマに大切な思い出となって残っている。 
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今日の4紙朝刊の一面トップを見る!

2009年11月17日 | 日記
 今朝の毎日新聞の一面トップを見て驚いた。「これが一面トップか!???」という感想をすぐに持った。そこで、他の3紙はどうなっているかを是非知りたくて図書館に行ってきた。

 その結果である。

毎日学力テスト 人のきずな成績左右  阪大など分析 離婚、持ち家要因に  経済要因より影響大

朝日天下り嘱託幹部並み給与  厚労3独法 公表の対象外

読売マニフェスト予算圧縮  週内に作業部会 高速無料化など   「仕分け」成果1兆円越す

産経政府 「デフレ」20日にも宣言  3年ぶり 日銀に対応促す


 当然だが毎日の一面トップはである。  今は、何に目をつけるかはともかく、政府の動きが一番だと思う。
 しかも、分析の結果があたかも大正解と認められている扱いである。 この分析は2007年の全国学力テストと1964年の全国テストを社会環境を加えて分析したものである。

 その結果、学力を左右する要因として[離婚率][持ち家率][不登校率]の3指標の比重が高まっていると分かった。したがって「年収など経済的要因よりも、人間関係の『つながり格差』が学力を左右する傾向にある」と研究チームは指摘している。

 これはあくまでも一つの仮説で、使用した資料や分析結果の妥当性など慎重に検討すべきものだと思う。一面トップで大々的にとりあげるものではないと思う。

 私自身は基本的に、原因を何かに絞り込んで述べることに抵抗を感じる。研究者と現場で生きてきた人間との違いといえばそうかもしれない。現実はもっと複雑で簡単に言い切れない。

 ただ、昨日、大阪府教委が今年度の全国学力テストの市町村別平均正答率を開示したこととリンクさせて、学力問題に一石を投じたいという毎日の意図は理解できる。

 ちなみに、各社とも[大阪版]で開示については扱っている。各社の見出しを比べてみると

毎日正答率小・中で明暗  府結果“点数偏重”に懸念も 環境の乱れ点数にも影響も

朝日市町村別学力調査結果 大阪府09年度分も開示  課題見つめ動く自治体

読売府内学テ結果 大阪府教委 市町村別公開  中学正答率に開き 全国順位も低迷 対策急務

産経学力テスト「いすにきちんと座ろう」大阪府 学習態度指導で成績向上 
      学力テスト 市町村別の平均正答率 開示最後の可能性も

 
 開示内容の扱いも各紙で異なる。

読売産経は市町村別の正答率を一覧表でそのまま掲載
朝日は市町村名はのせずに、小中別に、上位と下位の5市町村を北部、東部、南部として掲載。
毎日は正答率は一切表にせず、簡単に記事の中でふれ、学習状況調査の結果はグラフを使って大きく掲載。そして、同じ面に一面トップの研究グループの中心である大阪大学の志水宏吉教授へのインタビューがある。

 その中で、4つのことが述べられている。

市町村別データの公開は弊害が大きく反対。

平均点が高くなくても、教育的に不利な社会環境に育った子を伸ばせば評価するという考え方も必要。

家庭や近隣社会あるいは学校と子どものきずなの強さが課題。

「しんどい子」を支える基本的スタンスが必要。「百マス計算」や携帯ゲーム機といった単品主義の取り組みで学力は上がらない。各学校の学力向上プランに対し、自由に使える予算を配分すれば子どもの実態に合わせた教育が展開できる。

 
 トータルに見ると毎日が紙面も多く使い、ていねいに取材を重ねているのだが紙面構成にもう少し工夫があればと残念である。

 




 





 

 
 

 
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ANA TV CM - 新しいラプソディー/井上陽水をブログに貼る

2009年11月16日 | 日記
ANA TV CM - 新しいラプソディー/井上陽水


やっとこさパソコントラブルから脱出できた。その過程で今までわからなかったこと、できなかったことのヒントが得られた。今、それを試みている。

 「裏山歩き」では、複数枚の写真をやっと入れることができた。基本のわかっている人にとっては、ごく簡単なことなのだが、私にとっては大きな壁があった。

 今日は、You Tubeの動画が貼れるという記事をみつけたのでためしてみた。

 「トラブルは考えようによっては、前進の原動力である。」を実感した。

もう一つ実感しているのは『餅は餅屋』ということ。

 

コメント (1)
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