素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

便りが無いのは・・・・・・

2009年11月03日 | 日記
 パソコンのトラブルで、ブログに3日間の空白ができてしまった。昨夜、「私の身に何かあったのでは?と心配した。」というメールをいただいた。心配をかけたみたいで恐縮の限りである。

 私は高校卒業後、予備校に通うために名古屋に出て下宿生活を始めたが、月1回の仕送りをしてもらった時以外は実家とは音信不通であった。基本的には「便りが無いのは元気な証拠!」というのが我が家の考え方である。大学時代も就職して大阪にきてからもお互い連絡を取り合うことは少ない。逆に、予測しない時に連絡が入ると「何か悪いことがあったかな?」と思ってしまうのである。

 そういう話を以前実家のほうでしていた時に「所変われば」と私の父が安乗中学に教頭で赴任した最初の年のエピソードを話してくれた。昨夜メールをもらった時、ふとその話を思い出した。

 安乗は志摩半島の入口の東端にあり太平洋に面した漁師町である。かつては下関に出荷していた「ふぐ」を町おこしの一環として地元で「ふぐ」料理を食べさせる取り組みを始め、結構有名になってきている。

 父が赴任した時は今のように交通の便もよくなく、独立した地域として特有の文化を持ち、慣れるまで大変だったみたいだ。

 当時、浜島や波切でもそうだったが漁師町では、夕方前になると町に漁船名とその位置、天候などの有線放送が流れる。修学旅行の留守をあずかった教頭の父が校長から「今日は予定通り無事に終わった。」という連絡を受けた後、有線放送の事務所に流すことを知らずにいたため、定時の有線放送に修学旅行の情報がなされなかった。

 安乗では、(連絡が無い)=(何か事故が起こった)となる。学校で帰り支度をしていた父に、今、町では大騒ぎになっているという連絡が入り、神社にかけつけると町の人たちが集まり神様に「無事祈願」の祈祷をしていたそうだ。連絡を忘れたことを詫びて、解散してもらったそうだが、『板子一枚下は地獄』と言われる漁師の世界では、消息がない船があれば町中の人が神社に集まり、その無事を祈願するということが根付いているのだ。

 30日、31日、1日は予定が入っていた上に、トラブル処理が加わり、私自身は心身ともにフル稼働状態で動いていたが、その裏で心配していてくれた人がいたんだと思うと「有難いことだよ」と自分に言い聞かせる。

 今日は午後から、京都の大谷ホールで、第九の指揮者との初練習がある。できるだけ暗譜でと言われたが、とんでもない。まだ見てもおぼつかないドイツ語。パソコン同様ストレスフルな半日になりそうだ。
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