夜のニュースで、芭蕉直筆の「野ざらし紀行」図巻が50年ぶりに再発見されたというニュースは驚きだった。小澤實さんの「芭蕉の風景」(ウェッジ)もちょうど第二章の「野ざらし紀行」の半ばを過ぎた部分を読み進めているところである。テレビ画面で図巻を広げていくを見たが、こんな風に書いていたんだと新鮮な驚きがあった。挿絵のようなものも描かれていて、専門家の話だと、もう一つの直筆本にはないので今後の研究で論議を呼ぶだろうとのこと。
さて、小澤さんの解説によると、「野ざらし紀行」は、貞享元(1683)年,41歳の芭蕉が江戸深川の庵を発ち、伊賀、吉野、美濃、尾張、伊賀(越年)、京、尾張、甲斐と9ヶ月に及ぶ旅だった。その旅の中で芭蕉は、現代の俳句に寄与する2つの試みを行っていると言う。
1つは、取り合わせ俳句の発明。季語とそれ以外のフレーズとの取り合わせを試みている。→秋風や藪も畠も不破の関
という句をあげているが、俳句にうとい私にははっきりわからない。本の中でおいおいわかってくるのではと思っている。
もう1つは、瞬間の発見。時間を瞬間にまで絞りきることによって、像をくっきりと立ち上がらせる。→道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり
このことは、何となくわかる。小澤さんは、超有名な句「古池や蛙飛こむ水のおと」も瞬間の発見に関わっていると考えている。
また、100分de名著で松尾芭蕉の「おくのほそ道」を取り上げた、俳人の長谷川櫂さんは「おくのほそ道」に出かける3年前に詠まれた古池の句が重要な節目となる句だと解説している。
古池の句はそれまで他愛ない言葉遊びでしかなかった俳句に、初めて心の世界を開いた「蕉風開眼の句」と位置付けている。長谷川さんは「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」とふつうには解釈されるが、そうではないと言う。
「ある日、芭蕉は隅田川のほとりの芭蕉庵で何人かで俳句を詠んでいた。すると庵の外から蛙が水に飛びこむ音が聞こえた。そこでまず”蛙飛びこむ水のおと”と詠んだ。その上に何とかぶせたらいいか、しばらく考えていたが、やがて”古池や”と決めた。」と古池の句の誕生のいきさつを門弟の支考が書き残している。
長谷川さんは、古池→蛙飛びこむ→水のおとではなく、「蛙飛びこむ水の音」という現実の音を言葉で写し取った後心に思い浮かんできた「古池」というイメージをかぶせたと解説する。現実と心の世界という次元の異なるものの合わさった《現実+心》の句であり、異次元のものが一句に同居しているものが詠まれたという点でこの句は画期的な意義を持っていた。と言う。
私にはまだまだ深いところはわからないが、小澤さんや長谷川さんたちのガイドで芭蕉の歩みをゆっくりたどりながら考えて行きたい。「野ざらし紀行」直筆本の再発見のニュースはカンフル剤になった。
さて、小澤さんの解説によると、「野ざらし紀行」は、貞享元(1683)年,41歳の芭蕉が江戸深川の庵を発ち、伊賀、吉野、美濃、尾張、伊賀(越年)、京、尾張、甲斐と9ヶ月に及ぶ旅だった。その旅の中で芭蕉は、現代の俳句に寄与する2つの試みを行っていると言う。
1つは、取り合わせ俳句の発明。季語とそれ以外のフレーズとの取り合わせを試みている。→秋風や藪も畠も不破の関
という句をあげているが、俳句にうとい私にははっきりわからない。本の中でおいおいわかってくるのではと思っている。
もう1つは、瞬間の発見。時間を瞬間にまで絞りきることによって、像をくっきりと立ち上がらせる。→道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり
このことは、何となくわかる。小澤さんは、超有名な句「古池や蛙飛こむ水のおと」も瞬間の発見に関わっていると考えている。
また、100分de名著で松尾芭蕉の「おくのほそ道」を取り上げた、俳人の長谷川櫂さんは「おくのほそ道」に出かける3年前に詠まれた古池の句が重要な節目となる句だと解説している。
古池の句はそれまで他愛ない言葉遊びでしかなかった俳句に、初めて心の世界を開いた「蕉風開眼の句」と位置付けている。長谷川さんは「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」とふつうには解釈されるが、そうではないと言う。
「ある日、芭蕉は隅田川のほとりの芭蕉庵で何人かで俳句を詠んでいた。すると庵の外から蛙が水に飛びこむ音が聞こえた。そこでまず”蛙飛びこむ水のおと”と詠んだ。その上に何とかぶせたらいいか、しばらく考えていたが、やがて”古池や”と決めた。」と古池の句の誕生のいきさつを門弟の支考が書き残している。
長谷川さんは、古池→蛙飛びこむ→水のおとではなく、「蛙飛びこむ水の音」という現実の音を言葉で写し取った後心に思い浮かんできた「古池」というイメージをかぶせたと解説する。現実と心の世界という次元の異なるものの合わさった《現実+心》の句であり、異次元のものが一句に同居しているものが詠まれたという点でこの句は画期的な意義を持っていた。と言う。
私にはまだまだ深いところはわからないが、小澤さんや長谷川さんたちのガイドで芭蕉の歩みをゆっくりたどりながら考えて行きたい。「野ざらし紀行」直筆本の再発見のニュースはカンフル剤になった。