素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「ロシアの第二次世界大戦の対独戦勝記念日」にグダグダと考える

2022年05月09日 | 日記
 5/7の毎日新聞朝刊「時の在りか」は【文学を探しにロシアに行く】というタイトルで、ウクライナ問題を異なる角度から切り取っていた。今日は、かねてから節目の日として考えられてきたロシアの第二次世界大戦の対独戦勝記念日。露大統領プーチン氏の演説を中心にどのメディアも大きく取り上げていた。中身としては新鮮なものはなかった。

 そういう中で、伊藤智永さんの話は考えさせられるところがあった。勝海舟晩年の時局談話集「氷川清話」にある幕末、帝政ロシアが武力で対馬を占領しかけた事件を外交で解決した回顧談が紹介されていたが、「そうだったのか」と思わずつぶやいた。

 「朝鮮半島と九州、日本海と東シナ海を結ぶ要衝・対馬は、西欧列強から日本進出の足がかりに虎視眈々(たんたん)と狙われていた。桜田門外の変の翌年、ロシアの軍艦が修理を口実に対馬の湾に居座った。測量し、小屋を建て、土地の者に乱暴し、退去を迫ると開き直る。「事実上占領されたも同然」(海舟談)となった。

 クリミア戦争でロシアが英仏などに敗れて間もない頃。幕府の外交官たちは半年後、巧みな外交術で対抗勢力の英軍艦を現地に向かわせ、ロシア艦撤退に成功する。幕末の対馬は、第二のクリミア半島になっていたかもしれないのだ。」
という指摘はうなづける。第二次世界大戦後、北方四島を強引に占拠したのも同様の戦略的意図があったのだと改めて思った。アメリカにとっての沖縄も同じだろう。まもなく復帰50年になるが、ちょうど大学3年の時で校内で熱心に議論をした。当時、沖縄の主権が日本に戻ればもっと自由に沖縄の基地問題などを解決していけるだろうと思っていたが、甘かったことを痛感している。

 ロシアの蛮行、中国の台頭によってさらに困難になってきたとため息が出る。こういう状況では勇ましい武力による抑止という話にうなづきがちだが、ここはひと呼吸おく必要があると伊東さんのコラムを読んで思った。
 
 軍事の何たるかを知ればこそ、勝海舟はいかに武力を使わず争いを収めるかを考えていた。その思想は、江戸城無血開城に通じるのだが、外交による問題解決を探ることは「意気地なし」「変節漢」の悪評にさらされることがよくある。海舟のように「ご勝手に」と受け流していく度量というものも政治家には必要だ。

 ドキュメンタリー映画専門のウクライナ出身のロズニツァ監督の作品「ドンパス」は、実際起きた地域崩壊の現実を13の物語に構成し、俳優に演じさせ、18年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞している。世界注視の激戦地、ウクライナ東部ドンバス地方で近年何が起きていたかを知るために、試写会を見ての言葉、『戦争に至った経緯や両国の歴史を知れば知るほど、正義と悪の二元論で語れない複雑さが沈黙を強いる。戦争が外交の延長なら、外交は政治、政治は生活の延長である。戦争の影は始まる何年も前から、日常の間に潜んでいたに違いないのだ。』は重い。

 ふと、1か月余り前に読んだ毎日新聞の「月刊・時論フォーラム」で、京都大学准教授・藤原辰史さんの【露のウクライナ侵攻・背景学び続けよ】を思い出した。

 【ウクライナと現在呼ばれる地域は古来、言語、民族、宗教ともに複数が存在し、モンゴル帝国、リトアニア、ポーランド、ロシア帝国、ソ連、ナチス・ドイツなど、多くの勢力が支配してきた。ソ連邦に組み込まれたウクライナ人民共和国では、ソ連の圧政に苦しむ人にとっては、攻めてきたナチスは解放者でもあった。逆に、ナチス占領期の暴力の被害者にとっては、ソ連は解放者にもなったが、ナチスの「協力者」と疑われた人を流刑や死刑に処しもした。

 複雑な歴史を理解しながら、ロシアのウクライナ侵略を、欧米やロシアの枠組みを借りることなく批判することの難しさと重要さについて私はミシマ社のホームページで論じた(「ウクライナ侵攻について」)。たとえば、前記の歴史を知れば、プーチンがウクライナ政府を「ネオナチ」と非難し、そこを占領することを「非ナチ化」と呼ぶことや、そうしたプロパガンダにロシアの人びとがなびいてしまう歴史的背景を、もう少し踏み込んで理解できよう。

 ロシアの蛮行の罪を減じるために述べているのではない。むしろ逆である。昨年発表されたプーチンの歴史論文を読めば、こうした歴史を踏まえた上で、それを、ウクライナの文民を殺すことの正当化に「利用」していることがわかる。この利用は、ナチスの暴力に苦しめられたウクライナのユダヤ人やロシア人たちに対する冒とくだ。私たちは、単純な勧善懲悪的世界観やどちらも悪いという相対主義に陥らないように、日々、背景を学び続けなければならない。】
  

 今日はモヤモヤ感いっぱいの日だったが、考えることだけはやめないでいこうと改めて思った。

 
 

コメント
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