カトリック信者になってから二度目のイースターを迎えることが出来た。
自分ですら不思議に思うほど幸せな思いに包まれるイースターであった。
あと何度こうした幸せな思いに包まれるのかと思うと感慨深い。
イースターを記念して普段はあまり更新したりしないフェイスブックを新しい写真を三枚載せた。
それは一年前のカルカッタの写真、マザーが最初に借りたアパートの前でグレッグと撮った写真とそのアパートのすり減っている階段、そこからマザーが毎朝向かった大通りAJCBoseRoadへ向かうアパートの前の道を載せた。
この日は昨年私のカルカッタ滞在の最後の木曜日だった。
マザーハウスでの朝のミサを終えて、グレッグと岡さんを私はそこに連れて行った。
カルカッタに何年も滞在していたことのある私の兄弟のようなグレッグもこのアパートを知るのは初めてだった。
もちろん、いつもシアルダーで働いていたのでこのアパートの近くを何度も通ったことであったがあまり関心がなかったようだ。
長期滞在のボランティアはそういうものかも知れない、と言うのはいつも仕事に追われっぱなしであるからだ。
だが、この日私とグレッグは普通の旅行者のようにそこの写真を撮りまくった。
この日は木曜日で仕事は休みだった。
普段は仕事に向かう時にカメラなどは絶対に持って行くようなタイプのボランティアではない私とグレッグであるが、何かいつもと違う初々しさも感じながらシャッターを押していた。
グレッグはたぶん家族にその写真、私の写真を見せるために撮っていたことが分かった。
グレッグは私に会うためにイースター休暇の前から家族より先に一人でドイツからカルカッタに来てくれた。
グレッグの家族に会えないのは残念だったが、それでもグレッグが来てくれたことはほんとうに嬉しかった。
10年ぶりの再会だったのだ。
グレッグとは1995年以来の親友であり、私たちは気が合い、言い尽くすことが到底出来ぬほどほんとうにいろんなことがあった、一緒にも働いていた、共に不条理な現状に胸を痛めることが何度となくあったが彼と働いている時には私は何の心配もいらなかったし、笑顔も絶えることがなかった。
彼は私の生涯の親友であり、愛の兄弟である。
以前彼らに会ったのは私が2004年のカルカッタの帰りにダッカのNGOの病院で働いていた彼のもとに数日寄った以来だった。
奥さんのタンや三人の子供たちにも会いたかったが、でも、これは奥さんタンからの洗礼のお祝いだと思っていた。
{つづく}