私は昨夜フランクルに関する本を一つ読み終えた。
何度も思うことであるが、私はフランクルの言う「態度価値」とは人間の崇高な永遠なる礎になるものであると。
「態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されている。フランクルは人間が最後まで実現しうる価値として態度価値を重視するのである」
実は土曜日に山谷で素敵な女性を友達が紹介してくれた。
彼女はある日本の自動車会社の社長のアドバイザーとしてフランスから二カ月に一回日本に来日するのである。
私は友達から前々から彼女の話を聞いていて、そんな役職に就く人はどんな人なんだろうと興味を持っていた。
その彼女はインドにも住んでいたことがあり、施設なども作っていたこともあってなおさら興味を持っていたのである。
私の彼女の第一印象は彼女は相手に何の威圧感も感じさせることなく、親しみ深い笑みを保ち明るい態度で誰にでも接する人間不信のない肯定的な素敵な女性だと思った。
ボランティアをしている時もまったく同じようであった。
そして、一度会った人は絶対に忘れないような記憶力を持ち、そして、明るいながらも冷静でもあり、いつも相手を受け容れるようなゆっくりとした動きもある。
「流石だな」と思わずにはいられない、人間性の美しさが伺えた。
彼女とは別れ際に思いっきりハグをして笑い合って別れた。
その後友達は彼女の病気のことを教えてくれた。
彼女は目にガンが転移していてその片目はほとんど視力がなく、フランスに帰ってからオペをして義眼をはめることになるとのことだった。
私は改めて彼女に脱帽した。
自らがガンに侵され不安な思いもあるだろうに、他人には微塵もそんな素振りも態度も見せず、ただ愛を降り注いでいた彼女であった。
私が彼女の中に見た人間性の美しさはまさしく本物であった。
神さまは愚かな私をいつも導くように人生の師に逢わせてくださる。
私はそのご恩にどうお返しをしなくてはならないのだろうか。
その人生からの問いに答えられるように今日と言う日を、今を生きたい。