カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

ハッピーイースター!その2。

2015-04-07 12:58:19 | Weblog
 
 マザーが初めて借りたアパートを前にして、いつも思うことがある。

 マザーはこのアパートを借りる前までにどれほどの苦難にあったことかと。

 このことは世間ではあまり知られていないだろう、いや、カルカッタでボランティアする者のなかであれ、そのことを知る者は多くはないと私は思う。

 このアパートを借りる約二か月前からマザーは「イエスの小さな姉妹の友愛会」に身を置き、そこから毎日長い道のりを歩き、いまマザーハウスのある前を通り、シアルダー近辺のスラムに出向くようになった。

 そのあまりにも酷い痛ましい現実を前にして与えるものが何もない自分の無力・貧しさを痛感し、身体も消耗しきり、探し求めていた自らの拠点となる部屋もなかなか見つからず、もといたロレット修道会に戻ろうとも考えたこともあった苦難に満ちていた時期である。

 そしてマザーはこのアパートを借り、イエスズ会の神父が祝福しにくれた日には一目はばからず大泣きしたのである、それまで一滴の涙も流さなかったマザーがである・・・。

 この当時のマザーの苦難はまさにマザーのカルワリオであろう。

 私はその当時のマザーのことを心を通して目に映るように想像してみる、どんな思いでマザーはこの家{三階の一室を借りていた}の階段を降り、仕事を終えて、どんな思いで階段を上ったのか・・・、そのすり減った階段のようにマザーは心をすり減らし、また神さまへの揺ぎ無い信頼と狂うほどの愛により、歩き続けたのであろう正しくマザーが眺めてたであろうその光景の中に佇むと熱いものが胸に込み上げて来てしょうがなかった。

 このアパートからスラムに向かうには左手に行く、その方向に朝日が昇る。

 その光り射す方へ毎朝マザーは向かっていったのだ。

 私は時代の違いはあれど、路上で長く仕事をして来たのでマザーがどのような場面に出会ったのかが容易に想像できる。

 マザーのその痛みを感じれば感じるほど、それが私のこの上ない励みとなっていた。

 マザーと同じ道を歩いている、マザーのカルワリオを歩いている、マザーが傍にいるような気がしている、私が肩を落とし嘆きながら歩けば歩くほど、マザーを身近に感じ、マザーは私を励まし続けてくれた。

 さて、グレッグや岡さんはどう思ったのかは分からない。

 岡さんは山谷のMCで出会ってからもう20年来の友達である。

 きっと岡さんにもマザーとの会話の場としてあったように思うし、もちろん、グレッグもそうであったであろう。

 私たちはマザーを愛するものに違いはないのだから。

 岡さんがいてくれたのでグレッグとのツーショットの写真もそこで撮れた。

 私はその写真を私は見飽きることがない、きっと10年後も20年後も、私の死のその時まで見飽きることはないだろう、そこから私の洗礼までのいたるマザーの導きやあまりにも美しい想い出たち、愛の兄弟グレッグとの終わることのない会話が生まれ続けているからである。

 ハッピーイースター、マザー。
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