「目に青葉 山ホトトギス 初鰹」の季節の今日、あんと天神山にホトトギスの声を聴きに行った。
日曜日にはカツオを食べたし、青葉は至る所に姿を見せ始めている。
あとはホトトギスだと言うことである。
歳の所為なのか、そんなことに面白味を感じるようになっている。
パセリやセロリを美味しいと思って食べるような感じなのであろうか。
私の中に青年期にはない、風流だと感じる感覚がきっと熟してきたのであろう。
そして、森林浴の心地良さも今まで以上に身を惹かれている。
ここには命の限りを感じて来たことの証しのようなものも少し作用しているのかも知れない。
今年の春を、今日の春を、この瞬間の祝福された春を心に収めたいと私の魂が言っているようだ。
穴澤天神社の参道を登っていくと、湧き水の香りする。
私はこの湧き水の香りが好きである。
なぜ好きかは分からないが好きなのである。
何か落ち着くような感じをそこに覚えているからだろうか。
目に青葉を映せば、小鳥のさえずりはあちらこちらから聞こえて来た。
さっそくホトトギスである。
うん、うん、風流だとあんに言っても、あんはそこら中をクンクンしているだけで、時たま吹く強い風に身体を振るわせてはまたトコトコと歩いていた。
ウグイスのさえずりも素敵である。
待ちあびた春に喜び勇んで恋の歌を歌っているようだった。
青葉の間から眩しい陽射しが光りの線となって地面を照らしている。
遅咲きの山桜の花びらがあまりに美しく空に舞っていた。
「綺麗だな」と思わず呟いた。