私の脳裏には初夏のような陽射しを浴びながら表参道を行きかう人々を目に映しながらもあのシアルダーの雑踏をスライドを見るように重ねていた。
きっと遠藤氏も同じように彼の消し去ることの出来ぬ記憶を時代が流れに流れたこの雑踏の中に探し脳裏に再生していたのだろうと思えた。
当てもなく私の想像は春のつぼみのように膨らみ、その底辺には雑踏から絶え間なく流れてくる街の音があった。
意識を表面にすれば、いつからこんなにも外国人の観光客が増えたのだろうと思わずにはいられなかった。
目の前には片側だけをモヒカンにし、髪の毛を赤く染め、ピアスをたくさんしているフランス人女性が彼とタバコをくわえていたり、ビニール袋からコンビニの巻きずしをだし、口に頬ばるイギリス人らしい青年、その友達は500ミリのスーパードライを飲んでいた。
一本のタバコを吸い終え、私は靖国神社の前に行った。
久しぶりに来たが、やはり立派な門構えだと改めて思った。
辺りからは中国語も聞こえてきたり、インド人もいた、また外国人観光客に英語で靖国神社のことを説明する日本人のツアーコンダクターもいた。
みんな海外から来た人たちはこの日本をどう感じているのだろうか。
それは私の想像し切れるものではないことを十分承知しているが、マンウォチイングしているとこれもなかなか楽しいのである。
答えのない問いを問い続けながら、春の陽射しと一緒にそれを楽しんだ。
そろそろ、待ち合わせの時間である、駅前に戻ると、さて、どこが一番あやちゃんたちと良いのだろうか。
未だ駅前は誰かのコンサート会場のような混みようである。
私は通りを渡ったGAPの前にいるとあやちゃんにメールした。
そこは西日がもろにあたる場所、着慣れないスーツは肩のあたりがなんか違和感がありぎこちないのである。
気を入れ直すかのように何度も私は肩を回した。
私の目の前を切れることなくずっと人が流れに流れていく。
若いフランス人らしき女性の三人組が頭に猫のようなカチューシャをしてブロンドの髪をなびかせ通って行った。
彼女たちと私では何の話しも続かないのではないかとふと思うと何だか笑えた。
{つづく}