フランクルには精神的無意識と言う大発見あった。
「この考えは、いわゆる無意識だけが無意識なのではなく、意識そのものもその根底にはおいて無意識であることを指摘しているからである。しかも、彼{フランクル}は、その無意識の状態こそ、意識が最も純粋に働いている状態なのだと言う。「人格は自らの精神的作用の実現のなかで完全に忘我の状態になっていまうから、自らをその真の存在において反省することは不可能」である。しかもその時こそ、人格は最も完全な姿で「実現の現在」として「実存」するのである。」
フランクル回想録 解説フランクルと現代 山田邦男氏より。
今日山谷で久しぶりにインドのプリーにあるNGOの仕事で4年半を終えた坂本君に会った。
彼のインドの仕事の繋がりから山谷にデリーにある高校生の修学旅行のガイドとして、12人のインド人の高校生を連れてきた。
久しぶりに会った彼が言っていた。
「こんなに人ごみの日本で自分が生きれるか、ほんとうに帰った着た当初は辛かったです。コンクリートの建物ばかりで耐えられない感じがしました。Tetsuさんが言っていた「まずはゆっくりとした方が良い」と言った意味が分かりました。
彼には以前カルカッタのボランティアが日本に馴染めずに精神的に発病する子達が多いことを話し、そうならないように話をしたことがあった。
「そうか、否定的な自分が多くなったら、なぜそうなのか、良く自分に聞くことが大切だよ」
「そうですよね。やっとどうにかなりそうです」
少し経ってから、彼にカレーを配っているところで話しかけた。
「どう、山谷に来ると少し落ち着かない?」
「そうですね、でも、それはどうしてでしょう?」
「たぶんね、誰かが誰かを支えていると言う事実を目の当たりにし、それを心のどこかで無意識に感じ安心しているかもしれない」
「そうですね、自分もそうだと思います」
自分はこう感じる。
この精神的無意識はそのなかに居なくても、それを実際に自分が行っていなくても、それを見た者の精神的無意識に連鎖するものであるということ。
自分が意識する意識しない関係なく愛・良心は連鎖するのである。
それは誰のなかにも「価値の実存的根源」としてあることをフランクルは語り続けた偉大なる人である。
{つづく}
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