土曜日の山谷は穏やかな陽射しのある良い陽気だったこともあり、500人のおじさんたちがカレーを食べに来てくれた。
ボランティアはその週によって多かったり少なかったりする。
先々週は53人のボランティアだったが、先週はたぶんそれよりはかなり少なかった。
とは言え、何が変わると言うこともでもなく、いつものようにことが進む。
ボランティアが少ないと、気にすることは食べた後の容器集めである。
配るところだけにボランティアが多くては容器が集められなくなるので、何人か声を掛け、容器を集めてもらうようにお願いする。
クレームが入り、ここで配れなくなることは自分たちとおじさんたちにとって大きな問題になってしまう。
そうならないように最善の注意を払うことと、一人ひとりのおじさんとの会話を持てるようにボランティアに願う。
大切なことは相手の尊厳を守り、心を配ると言うこと、それはマザーの願いに沿うということである。
「一人、そして、また、ひとり。
私は決して助けた人を数えたりしません。
ただ一人ひとり、そして、また一人。
私は大仕掛けのやり方には反対です。
大切なのは、一人ひとりの個人。
愛を伝えるには、一人の人間として相手に接しなければなりません。
多くの数が揃うのを待っていては数の中に道を見失い、一人のための愛と尊敬を伝えることはできないでしょう。
「一人ひとりの触れ合い」こそが何よりも大事なのです。
マザーテレサ
この炊き出しでのおじさんたちとの一つひとつの出会いは神さまから与えられた奇跡である。
これにどう答えていくかはその人次第であるが、どうありたいか、どうあるべきか、何が最良であるかを祈り求めるものは祝福を得られるのではないだろうか。
場所は違えど、今日誰にもその奇跡は与えられている。
受けることにイエスと言えるようにありたいものである。