ガンディーは自分のもとに来た者たちに良く聞いた質問がある。
「汚い仕事は出来ますか?」
その汚い仕事とはトイレ掃除のことである。
インドではこのトイレ掃除の意味が日本のそれとはかなり違う。
まずカーストの高いものは絶対と言って良いほどトイレなどの掃除はしない。
ましてや、貧しい人たち{アンタッチャブル}が住むところにカーストの高いものは行かない。
ガンディーの真理にもあったが、ハイカーストの者が貧しい人たちのケアをしたいとのことで貧しい人たちの住む場所に行ったが、親からの言いつけで、その後には必ず風呂に入ることしていたことなどが書いてある。
こうした文化のなか、トイレの掃除の意味は日本のそれと違うことを分かってもらえるだろう。
ガンディーの妻カストゥルバも南アフリカ時代に一緒に住むようになったアンタッチャブルの人のトイレ掃除を激しく拒否し、ガンディーと激しいケンカをしたことなどからも、インドのトイレ掃除の意味を知ってもらえるだろう。
ガンディーはいろんなところでトイレ掃除をした。
清潔の意味を自分の真理への純粋性に同一視していたのかもしれない、もちろん、そこには人間としての平等をも移していたのかもしれない。
また自分の出したものものへの責任もあったかもしないし、人の嫌がることを率先してやる勇気の意味もあったのだろう。
マザーもトイレ掃除が好きだった。
彼女はマザーハウス内の質素に出来たトイレの掃除を自分の特権としていた。
ガンディーもマザーも、トイレ掃除は神さまのために美しいことをしていることに違いなかっただろう。
ならば、自分たちもトイレ掃除好きになろう。
トイレを綺麗にすれば、心も綺麗なるかもしれないのである。
トイレの神様たちからの言いつけである。
そして、それを喜んですることにより、その意味は増すであろう。