昨日、物件調査のために通った通路です。桜が咲いていましたので 場所は泉岳寺と高輪中学・高等学校の間にある通路です。桜の木は泉岳寺の境内にあります。過日、この通路を通ったときに、手押しの揚水ポンプを見つけてブログしましたが、路を覚えていたので今回もここを通りました。この通りは、都営地下鉄泉岳寺駅から高台にある高輪アパートへ通り抜けるのに便利です。
防災の観点から都心でもこのようなところがあるのにある意味ではショック でもまたある意味では路地の古風な雰囲気が残っていることに安心感を覚えたり 両脇の塀を取り除いて、境界を30cm位の高さの花壇で仕切るとどんなに素晴らしい景観が生まれるかと・・・他人事ながら雨の中で思いました この通路は探すのに一苦労します。一つ間違えば、塀が高いため・・・怪しい人 に間違われます。私は都市再開発歴約40年のプロ。しかも都心で3年間新聞配達をしていましたから、ここは初めてですが、この手の路地には慣れています
今日は、ひな祭り 娘夫婦が生後5ヶ月半の孫を連れてやってきます。この孫は両親以外に抱かれるとよく泣くのであやすのが一苦労。そこでふと思ったのですが、今この世に生きている人は例外なく産れたばかりの頃は、誰かに、基本的には母親にですが、抱かれて面倒を見てもらって居ます。そしてある時から勝手に1人で育ったような顔をするようになる・・・と・・・
更に自分の生い立ちに思いを馳せると・・・広島に原爆が落ちた時、私は爆心地ではありませんが、広島の「下鎌刈島」で生後二カ月。誰か、多分母親が、付きっきりで面倒を見てくれたはず。胃ガンで56歳で亡くなった兄もこのときは5歳で多分生まれたばかりの私をあやしてくれたはず 世界中の人は誰一人として生まれたばかりのときは1人ではないのです
凶悪犯罪を犯す人達、ホームレスの方々、大統領や独裁者も・・・生まれたばかりの頃は全く同じように誰かに抱かれて面倒を見てもらったのです。自分の原点に対する感謝の気持ちは常に持ち続けなければいけないのですが、私を含め殆どの人はいつも忘れがち 感慨深いひな祭です