これも淡路島の棚田です私が田植えを手伝った65年前は田んぼのあぜ道はこんなに広くはありませんでした。
それでいてあぜ道が崩れ落ちる漏水防止柵などはなく、田んぼの粘土をあぜ道の脇に寄せ集めて水漏れが無い様にしていました。それって全部裸足(はだし)で手作業でしたから・・・ 小学生の頃から当てにされた労働力だったのです小学校に農繁休みという3日位の公休がありました その頃の心の拠り所は二宮金次郎さんhttps://jpnculture.net/ninomiya-kinjirou/。
あぜ道に寄せ集めた粘土に大豆(だいず)・・・今で言う枝豆・・・の種を蒔いて行ったのです。秋に収穫した大豆で味噌作り今思うと、お酒まで全部自給自足でした ドブロクと聞くとそれを思い出すのです
北朝鮮の農家の映像が、テレビで最近時々報道されますが、それと全く同じです。牛が居て、荷車(牛車と言います)があって、田んぼがある。そこにヤギがおれば・・・私はタイムスリップした感じになります 貧しくとも平和な暮らしが良い