新古今集 後鳥羽上皇と定家の時代 田淵句美子 角川学芸出版刊
御子左家(みこひだりけ)は、藤原俊成・定家以降、中世において
勅撰集選者を代々拝命し、中世歌道家の中で頂点に立った家です。
御子左家が登場する以前は六条藤家が和歌の主流でしたが、
新風和歌を押し進めた御子左家の藤原定家が歌狂いの後鳥羽上皇と
邂逅することにより和歌の黄金時代を開きました。
定家が登場する基盤を作ったのは俊成であり、定家がそれを強固にし、
その子為家が長く継承する道筋を固めて生きます。為家の没後に御子左家は、
二条家と京極家、そして冷泉家の三家に分裂し今日へとつながります。
新古今時代は、上皇も摂関も、廷臣も女房も、宮廷全体が熱に浮かされたように、
数年にわたって、日々生み出される言葉を注視した時代で、
この本からその熱気が伝わってきます。
山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水 式子内親王
繊細で清冽な美しさに満ちています。改めて知りました。
御子左家(みこひだりけ)は、藤原俊成・定家以降、中世において
勅撰集選者を代々拝命し、中世歌道家の中で頂点に立った家です。
御子左家が登場する以前は六条藤家が和歌の主流でしたが、
新風和歌を押し進めた御子左家の藤原定家が歌狂いの後鳥羽上皇と
邂逅することにより和歌の黄金時代を開きました。
定家が登場する基盤を作ったのは俊成であり、定家がそれを強固にし、
その子為家が長く継承する道筋を固めて生きます。為家の没後に御子左家は、
二条家と京極家、そして冷泉家の三家に分裂し今日へとつながります。
新古今時代は、上皇も摂関も、廷臣も女房も、宮廷全体が熱に浮かされたように、
数年にわたって、日々生み出される言葉を注視した時代で、
この本からその熱気が伝わってきます。
山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水 式子内親王
繊細で清冽な美しさに満ちています。改めて知りました。
卒業式の後、渋谷に行きました。
夜の渋谷なんて何十年ぶりです。
渋谷駅前の交差点は人波また人波です。
坂を上って、bunkamura ル・シネマを目指します。
「トレヴィの泉で二度目の恋を」を見ようと来たのですが上映されておらず
これしかやってないので「パリよ永遠に」を見ました。
第二次世界大戦末期、「パリ壊滅作戦」を命じられたドイツの将軍「コルティッツ」と
目以来中止を決断させようとする中立国スウェーデン総領事「ノルドリンク」の緊迫の
舌戦と心理戦です。
面白かった!
中止を決断したコルテッツ将軍に国家より個人を優先する西洋人の強さを感じました。
こうしてパリは救われましたが、東京はアメリカ軍の大空襲により壊滅し、
広島、長崎はアメリカ軍の投下した原子爆弾で灰燼に帰しました。
アメリカにはコルテッツはいなかったか?
夜の渋谷なんて何十年ぶりです。
渋谷駅前の交差点は人波また人波です。
坂を上って、bunkamura ル・シネマを目指します。
「トレヴィの泉で二度目の恋を」を見ようと来たのですが上映されておらず
これしかやってないので「パリよ永遠に」を見ました。
第二次世界大戦末期、「パリ壊滅作戦」を命じられたドイツの将軍「コルティッツ」と
目以来中止を決断させようとする中立国スウェーデン総領事「ノルドリンク」の緊迫の
舌戦と心理戦です。
面白かった!
中止を決断したコルテッツ将軍に国家より個人を優先する西洋人の強さを感じました。
こうしてパリは救われましたが、東京はアメリカ軍の大空襲により壊滅し、
広島、長崎はアメリカ軍の投下した原子爆弾で灰燼に帰しました。
アメリカにはコルテッツはいなかったか?
立原道造詩集「僕はひとりで夜がひろがる」 魚喃キリコ画 PARCO出版刊
漫画家の魚喃キリコが挿絵を描いた立原道造の詩集です。
本人も道造ファンで「ミチゾー」「ミチゾー」と呼んでいるようです。
立原道造記念館が閉館してしまった今、上田の「立原道造記念展示室」と
浦和の「ヒヤシンスハウス」が残るのみとなってしまいました。
それでも必ず道造ファンが現れてくるのは「琳派」のようなもので、
いつかは「道造派」と呼ばれる一派を形成しているかも知れません。
そういう私も道造ファンで、
定年を機に「立原道造の会」に入会しようかと目論んでいます。
だれも 見ていないのに 咲いている 花と花
だれも きいていないのに 啼いている 鳥と鳥
通りおくれた雲が 梢の 空たかく ながされて行く
青い青いあそこには 風が さやさや すぎるのだろう
草の葉には 草の葉のかげ うごかないそれの ふかみには
てんとうむしが ねむっている
こういう本は何処で手に入るのでしょう?
コミックコーナーの魚喃キリコの棚にも無いし、詩集コーナーにも無いし・・・
漫画家の魚喃キリコが挿絵を描いた立原道造の詩集です。
本人も道造ファンで「ミチゾー」「ミチゾー」と呼んでいるようです。
立原道造記念館が閉館してしまった今、上田の「立原道造記念展示室」と
浦和の「ヒヤシンスハウス」が残るのみとなってしまいました。
それでも必ず道造ファンが現れてくるのは「琳派」のようなもので、
いつかは「道造派」と呼ばれる一派を形成しているかも知れません。
そういう私も道造ファンで、
定年を機に「立原道造の会」に入会しようかと目論んでいます。
だれも 見ていないのに 咲いている 花と花
だれも きいていないのに 啼いている 鳥と鳥
通りおくれた雲が 梢の 空たかく ながされて行く
青い青いあそこには 風が さやさや すぎるのだろう
草の葉には 草の葉のかげ うごかないそれの ふかみには
てんとうむしが ねむっている
こういう本は何処で手に入るのでしょう?
コミックコーナーの魚喃キリコの棚にも無いし、詩集コーナーにも無いし・・・