超訳 法華経 中村圭志著 中央公論新社刊
本当に超訳なので面食らいました。
三タイプの修行者の分け方が面白いです。
1 声聞 学校で勉強するタイプ
2 縁覚 一人で工夫するタイプ
3 菩薩 社会で実践するタイプ
大乗仏教とキリスト教の比較が面白いです。
大乗仏教だけ、キリスト経だけを見ていても、あるいは法華経だけ、
福音書だけを読んでいても気付かないものがあるのだ。
両者を深く読み比べたときに、共通する思考法が見えてきます。
仏教は、物事の相互依存関係と苦をめぐる悪循環・好循環の連鎖を
見極める事を基本テーマとしています。
思考パターンとしては「相対主義」的です。
キリスト教は、一神教で天地創造の神の視点から
一切を眺める事を基本モチーフとしています。
思考パターンとしては「絶対主義」的です。
本当に超訳なので面食らいました。
三タイプの修行者の分け方が面白いです。
1 声聞 学校で勉強するタイプ
2 縁覚 一人で工夫するタイプ
3 菩薩 社会で実践するタイプ
大乗仏教とキリスト教の比較が面白いです。
大乗仏教だけ、キリスト経だけを見ていても、あるいは法華経だけ、
福音書だけを読んでいても気付かないものがあるのだ。
両者を深く読み比べたときに、共通する思考法が見えてきます。
仏教は、物事の相互依存関係と苦をめぐる悪循環・好循環の連鎖を
見極める事を基本テーマとしています。
思考パターンとしては「相対主義」的です。
キリスト教は、一神教で天地創造の神の視点から
一切を眺める事を基本モチーフとしています。
思考パターンとしては「絶対主義」的です。
ひねくれ古典「列士」を読む 円満字二郎著 新潮社刊
「列士」は、老荘思想家の一人と位置付けられています。
現実的な儒教と、観念的な老荘思想は、一見、相容れない考え方のように思われます。
しかし、現実だけを見つめていては苦しすぎますし、観念の世界に閉じこもるのも危険です。
人間には、その方向が必要なのです。中国の思想でも、実際には、
儒教と老荘思想が表裏一体となって展開していきます。
ある時は儒教を掲げて社会の腐敗と戦ったその同じ人物が、
別の時には老荘思想を奉じて隠遁して我が身を守るのです。
中国の文化的枠組みはよくできています。
取足於身 游之至也 求備於物 游之不至也
足るを身に取るは 游の至りなり。 備わるを物に求むるは、游の至らざるなり
「列士」は、老荘思想家の一人と位置付けられています。
現実的な儒教と、観念的な老荘思想は、一見、相容れない考え方のように思われます。
しかし、現実だけを見つめていては苦しすぎますし、観念の世界に閉じこもるのも危険です。
人間には、その方向が必要なのです。中国の思想でも、実際には、
儒教と老荘思想が表裏一体となって展開していきます。
ある時は儒教を掲げて社会の腐敗と戦ったその同じ人物が、
別の時には老荘思想を奉じて隠遁して我が身を守るのです。
中国の文化的枠組みはよくできています。
取足於身 游之至也 求備於物 游之不至也
足るを身に取るは 游の至りなり。 備わるを物に求むるは、游の至らざるなり