木偶房 日日録

江上之清風 山間之明月

いずも旅13 出雲大社 幸魂奇魂

2018年04月30日 | 一見記
出雲大社に向かって左右に銅像が建っています。
左側が先に見た「因幡の白兎」で、右側が「幸魂奇魂」です。

銅像は、大国主が幸魂奇魂を拝戴している姿です。

出雲大社の祝詞を唱えているのでしょう。
幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきみたまえ)

そういえば
出雲も大国主が自らの和魂を大物主として祀ったのが、
奈良の三輪神社(大神神社 おおみわじんじゃ)ですから、
私の旅も「やまと旅」から「いずも旅」へと太古の日本を辿っていることになります。
日本の古代は、
九州の大和族と山陰の出雲族の抗争の歴史で、
大和族の神武が出雲族を東北へと敗走させ、大和朝廷を樹立し、
その子孫の桓武天皇が、坂上田村麻呂を東北に派兵したのは、
出雲族の子孫を蝦夷として平定するためだったという説もあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いずも旅12 出雲大社 大黒様

2018年04月29日 | 一見記
出雲大社境内の左手に銅像が見えたので行ってみると、
「因幡の白兎」で有名な大黒様でした。

この時大黒様の持っていた大きな袋は、
兄の八十神(ヤソガミ)に持たされていた荷物で、
白兎を救った本人もいじめにあっていたのでした。

大黒様は心優しい神様で、そのせいか妻も六人いるようです。
多くの妻に多くの子供を産ませたので「縁結びの神様」となっているようです。
正妻は、出雲の須勢理毘売(スセリビメ)です。
この姫は、映画「バーフバリ」の正妻(デーヴァセーナ)に似た誇り高い強気タイプです。
正妻を娶る前に、白兎を救った因幡に八上比売(ヤガミヒメ)がいました。
残りは、
沼河比売(タナガワヒメ)
多紀理比売(タキリヒメ)
神屋楯比売(カムヤタテヒメ)
鳥取神(トトリノカミ)
の四名です。
大黒様は、殺されては生き返り、殺されては生き返りの波乱の人生でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いずも旅11 出雲大社 参道

2018年04月28日 | 一見記
玉造温泉から出雲大社に向かいました。
松江からここまでは高速道路があるので案外早くついたせいか
出雲大社の鳥居周りもまだ人影がまばらです。

参道を進んでいくと、また鳥居が現れました。

参道の周りは桜が満開です。

日本の春は本当に美しいです。
さらに奥に進むと、ようやく出雲大社が見えてきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東北(とうぼく)

2018年04月27日 | 舞謡記
謡と仕舞のお稽古は、「紅葉狩」を終えて、5月から「東北」になります。

テキストもCDも揃えたのでお稽古もバッチリです。
仕舞は「東北キリ」に違いないと勝手に決めつけていました。
仕舞稽古形附にも「東北キリ」しか載っていませんし・・・
ところが、東北クセをやると言って先生が白板に書き出しました。

これだけじゃ予習も復習もできません!
しかもクセはキリの倍の長さです。
どうしよう?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋代のあんずまつり5 科野のムラ

2018年04月26日 | 一見記
迎えのバスの時間が来たので説明員の方とお別れして、バスで麓に戻って来ました。
「説明ありがとうございました。」
広場の向こうに茅葺屋根が見えるので、
屋代駅行のバスが来るまでの間見に行ってみました。

竪穴式住居群です。
のどかないい雰囲気です。

高床式住居も復元されています。

これは、離れでしょうか。
いずれも古墳時代のムラを復元したものです。
このムラなら、皆、幸せに暮らしていたに違いありません。
今日は千葉まで帰らなければならないので、あんずまつりツアーはこれで終わりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋代のあんずまつり4 科野のクニ

2018年04月25日 | 日日録
森将軍塚古墳の円墳部にやって来ました。
なんと善光寺平が一望できます。

ここは、武田信玄と上杉謙信が雌雄を決するべく戦った地です。
川中島の話になった途端、
今日で二日目という説明員の方が急に饒舌になりました。
川中島の戦いは、5回ありました。・・・
・・・ものすごく詳しく説明していただきました。

右に見える山が4回目合戦で啄木鳥戦法の舞台になった妻女山です・・・

「鞭声粛々夜河を渡る」と謡われている川があそこです・・・
ちなみに、川中島の戦いは
1回戦 更科八幡の戦い
2回戦 犀川の戦い
3回戦 上野原の戦い
4回戦 八幡原の戦い 信玄と謙信が軍配と刀で打ち合ったあの戦いです。
5回戦 塩崎の対陣
で、決着つかずでした・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋代のあんずまつり3 森将軍塚古墳

2018年04月24日 | 一見記
シャトルバスの中で科野の里歴史公園なら色々みるものがあると聞き、
そこで下車してみることにしました。
山の上に石垣が見えます。

何かと思えば、復元された森将軍塚古墳です。
麓の森将軍塚古墳館からバスが出ています。
乗客は、私たち夫婦だけですが、
今日が二日目というボランティアの説明員の方が同乗してくれました。
曲がりくねった急坂を登りきると一気に視界がひらけます。

今日が二日目というボランティアの説明員の方が色々説明してくれました。
四世紀ごろにこの地を支配していた王の墓だとのことです。
前方後円墳ですが、平地じゃないので地形に合わせて歪んでいるそうです。

石積みの墓の周囲には、埴輪が並んでいます。
円墳の上まで行くと見晴らしが良いというので行ってみることにしました。
今日が二日目というボランティアの説明員の方は、
老後は人の役に立つことがしたいとこの仕事を申し込んだのですが、
研修を受けた直後に膝を壊して入院してしまい
今日が復帰後二日目になので、研修で習ったことはほとんど忘れてしまい
勉強中とのことでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋代のあんずまつり2 あんずの里

2018年04月23日 | 一見記
屋代駅に着きましたが、観光客らしき人がいません。
駅の売店で
「あんずの花は咲いてますか?」と聞いてみると
「あんずはみんな散ってしまいました。」との答です。
それでも一応行ってみようかと、シャトルバスの停留所に行き
「あんずの花は咲いてますか?」と聞いてみると
「あんずはみんな散ってしまいました。」との答えです。
「それでも行ってみますか?」と聞かれ、
「せっかく来たので行ってみます。」とバスに乗車しました。
乗客は、当然私たち夫婦のみです。
花さか村 上平展望台です。



花は全て散ってしまいましたが、面影はあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋代のあんずまつり1 しなの鉄道

2018年04月22日 | 一見記
木偶房をいつもより2週間前に開いたのは訳があります。
屋代のあんず祭りに行きたいのです。
当日はあいにくの雨予報だったのですが、
夜中降っていた雨も朝に小降りとなり雲が切れてきたので
意を決して出発しました。
中軽井沢の駐車場に車を停め、しなの鉄道で出発です。

この1日2本しかない長野行急行で屋代に向かいます。
これを逃すと小諸で乗り換えになってしまいます。
中軽井沢から屋代までは、1時間の旅です。
帰りに屋代駅で、走るレストラン「ろくもん」電車に出会いました。

好奇心の強い奥さんが、この電車をみて乗ってみたいと言い出したので、
そのうち乗ってみることになるかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能短冊十二月

2018年04月21日 | 茶湯記
能短冊十二月です。
松野奏風の作です。
禅語の茶掛の代わりに能絵を掲げるのも一興と考えました。
一月 翁
二月 羽衣
三月 熊野

四月 草子洗小町
五月 杜若
六月 雲雀山

七月 班女
八月 三井寺
九月 松風

十月 花筐
十一月 葛城
十二月 猩々

一枚の短冊を契機として
茶のイメージと能のイメージが脳内で交錯するという趣向です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする