出雲大社に向かって左右に銅像が建っています。
左側が先に見た「因幡の白兎」で、右側が「幸魂奇魂」です。
銅像は、大国主が幸魂奇魂を拝戴している姿です。
出雲大社の祝詞を唱えているのでしょう。
幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきみたまえ)
そういえば
出雲も大国主が自らの和魂を大物主として祀ったのが、
奈良の三輪神社(大神神社 おおみわじんじゃ)ですから、
私の旅も「やまと旅」から「いずも旅」へと太古の日本を辿っていることになります。
日本の古代は、
九州の大和族と山陰の出雲族の抗争の歴史で、
大和族の神武が出雲族を東北へと敗走させ、大和朝廷を樹立し、
その子孫の桓武天皇が、坂上田村麻呂を東北に派兵したのは、
出雲族の子孫を蝦夷として平定するためだったという説もあります。
左側が先に見た「因幡の白兎」で、右側が「幸魂奇魂」です。
銅像は、大国主が幸魂奇魂を拝戴している姿です。
出雲大社の祝詞を唱えているのでしょう。
幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきみたまえ)
そういえば
出雲も大国主が自らの和魂を大物主として祀ったのが、
奈良の三輪神社(大神神社 おおみわじんじゃ)ですから、
私の旅も「やまと旅」から「いずも旅」へと太古の日本を辿っていることになります。
日本の古代は、
九州の大和族と山陰の出雲族の抗争の歴史で、
大和族の神武が出雲族を東北へと敗走させ、大和朝廷を樹立し、
その子孫の桓武天皇が、坂上田村麻呂を東北に派兵したのは、
出雲族の子孫を蝦夷として平定するためだったという説もあります。