木偶房 日日録

江上之清風 山間之明月

みやこ旅 27 明月堂

2017年01月31日 | 一見記
清水寺から五条坂を下りきって、宮川町の明月堂を目指します。
娘に明月堂の「ニッキ餅」を買ってくるように頼まれたからです。
地図を見ながら路地道を探し歩きやっと見つけました。

よくよく目を凝らして見つけないと通り過ぎてしまそうな店構えです。
ついに「ニッキ餅」をゲットしました。
ここは、実は京都五花街(ごかがい)の一郭です。
祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東の五カ所が京都の花街です。
京都って奥深いですね。
目的を達成したので、五条大橋のたもとからタクシーで京都駅を目指します。
充実した旅でした。
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みやこ旅 26 清水寺

2017年01月30日 | 一見記
清水寺は、征夷大将軍の坂上田村麻呂ゆかりの寺です。
東北抵抗軍の英雄「阿弖流為」の追悼碑があります。



謡曲「田村」では、坂上田村麻呂の霊が現れて戦功を語ります。
「東夷を平げ、悪魔を鎮め、天下太平の忠勤たりしも
即ち当寺の仏力なり。」
これは勝ち組「大和朝廷」の言い分です。
朝廷軍は、二軍に分かれて岩手に進軍してきました。
今の国道4号線を攻めてきた「東山道軍」と
海沿いに石巻、気仙沼、陸前高田、大船渡と進軍してきた「東海道軍」です。
私の育った陸前高田付近では、小友の早虎、猪川の龍幅、矢作の熊井
の三名の首領が討ち取られてしまいましたが
負け組の抵抗軍には何の言い分も残されていません。
この後も、東北地方は、
平安末期に「前九年の役・後三年の役」でやられ、
江戸末期に「奥羽越列藩同盟」でやられ
やられっぱなしの歴史です。
東北贔屓なのでつい力が入ってしまいました。
追悼碑から見上げると清水寺の舞台が迫ってきます。

この後、茶碗坂を下って帰途につきました。

こちらはひっそりしています。

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みやこ旅 25 三年坂

2017年01月29日 | 一見記
書蓮院門跡から清水寺に向かいます。
円山公園から高台寺の前を通り
一年坂(一念坂)、二年坂(二寧坂)、三年坂(産寧坂)
に来ました。

着物姿の若い女性がたくさんいて、とても華やいだ雰囲気です。
どうも「レンタル着物で街歩き」が大流行しているようです。
外国人観光客も着物姿です。
清水寺の前も着物姿が溢れています。



清水の舞台です。

そういえば、
謡曲「熊野」も清水寺が舞台です。
南を遥かに眺むれば、大悲擁護の薄霞・・・
・・・花の春は清水の 唯たのめ頼もしき春も千々の花盛り。
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みやこ旅 24 青蓮院門跡

2017年01月28日 | 一見記
門跡寺院の第2弾は青蓮院門跡です。
門跡寺院は、格式が高いといわれるだけあって
伽藍が充実していて見所がたくさんあります。
ここにも「左近の桜」「右近の橘」があります。

入口には、超巨大な「楠」です。

大覚寺は真言宗、青蓮院は天台宗と
いずれも平安時代から由来する仏教寺院です。

これは、豊臣秀吉が寄進した「一文字手水鉢」です。

こちらは、相阿弥が作庭した「龍心池」です。

まるで歴史のモザイクです。
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みやこ旅 23 十松屋福井

2017年01月27日 | 一見記
いよいよ十松屋福井です。

仕舞を始めて練習用の扇は持っているのですが,
本当の扇が欲しくてここまでやって来た訳です。
ビルの2階なので、階段を上がって中に入ると
こじんまりしたお店です。

わたしは、「負け修羅」の扇が欲しくて京都までやってきたのです。
ネットでも入手可能なのですがそれじゃ味気ないですよね。
「負け修羅」は、

最上段の真ん中の扇です。
平氏の公達が主人公の時に使うものです。
源氏が主人公のときは、「勝ち修羅」になります。
私は、観世流ですが、
「流派によって扇の何処が違うのですか?」とお店の人に聞いたら
それぞれの流派の扇を見せてくれて、詳しく説明してくれました。
とても勉強になりました。大満足!
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みやこ旅 22 池坊

2017年01月26日 | 一見記
六角堂は池坊の発祥の地でもあります。

昔々、この六角堂の北側の池のほとりに僧坊があり
「池坊」と呼ばれていました。
ある時、六角堂の住職を務める池坊が仏前に花を供える中で
様々な工夫を重ね続け、室町時代に至って、
池坊専応がその理論を確立したことで「いけばな」が成立しました。

時代が下って江戸時代には、池坊専好が立花を確立しました。
その立花を復元したのがこのモニュメントです。

確かに今の池坊を彷彿とさせる「縦に伸びたのプローポーション」です。
昨日見た嵯峨御流とは明らかにプロポーションが異なりますね。
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みやこ旅 21 六角堂

2017年01月25日 | 一見記
旅も三日目に入りました。
今日の旅は六角堂から始まります。

この寺は、紫雲山頂法寺といい聖徳太子の創建です。
門を入ると右手に柳の木があります。

この柳には、
「昔々、妃になる女性を探していた嵯峨天皇の夢枕に
六角堂の如意輪観音が現れて「六角堂の柳の下を見て見なさい」と告げたので、
見にいってみると美しい娘が立っていたので、ただちに妃とした。」
という言い伝えがあるそうです。
正面から見ても六角形を感じないのですが、
裏に回ると確かに六角形です。
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水墨山水

2017年01月24日 | 茶湯記
掛軸第二弾は「水墨山水」です。
栗本光陽の作だと思います。
この何も無い風景が気に入っています。
じっと見ていると静かな気配も感じます。

今年は必ず木偶菴を完成させるぞ!
完成させないと掛軸を掛ける機会がないのです。
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巻絹(まきぎぬ)

2017年01月23日 | 舞謡記
国立能楽堂に着きました。
前回は脇正面の席でしたが、今回は正面の席を確保しました。

能は正面性があるので、脇から見るより正面から見る方がいいですね。
普及公園なので、はじめに歌人の梅内美華子さんから
「和歌の徳と神がかりの巫女」と題でお話がありました。
狂言は「寝音曲(ねおんぎょく)」です。
これはとても楽しめました。
狂言役者は、ほんとに芸達者ですね。
能は「巻絹(まきぎぬ)」です。
発端となった和歌は、
音無に かつ咲き初むる 梅の花 匂はざりせば 誰か知るべき
です。
後半は巫女が舞い続けるのですがとても美しい舞です。
こんなに長時間に渡って舞う能は始めて経験しました。
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いけばな池坊展 2017

2017年01月22日 | 日日録
東京都美術館で行われている「いけばな池坊展」を
見てきました。

一品だけの生け花もあります。



生きた花を葉と茎に分解してから再構成した姿がこれのようです。
花は野にあるように入れるという「茶花」の考え方とは
対極にあるのが「生け花」のようで
こちらは近代芸術を目指しているようです。
また生け花は、正面性が強調されているので
脇から見ると舞台裏になってしまうので
必ず正面から見ます。
この後、国立能楽堂に行って能と狂言を楽しみます。
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