木偶房 日日録

江上之清風 山間之明月

続々・報国寺 参拝す

2013年10月31日 | 日日録
竹林を巡って本堂の裏に出ると、絶壁に横穴が開けられ墓が並んでいます。

ここに足利家時ほか足利一族の墓があるそうです。
足利氏には「置文伝説」があります。
源義家の「自分は7代の子孫に生まれ変わって天下をとる」という置文が存在し、
7代目の足利家時は自分の代では達成できなかったため、
八幡大菩薩に「3代後の子孫に天下をとらせよ」と祈願して願文を残しました。
まさに3代目が足利尊氏であったというものです。
その家時が眠っています。
本堂の裏の中庭は、庭園になっています。

鎌倉の庭園は、京都の庭園等に比べると田舎の庭です。
さほどのものではありません。
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続・報国寺 参拝す

2013年10月30日 | 日日録
本堂の脇で拝観料200円と抹茶代500円を払い裏庭に出ると、
そこは約2000本の孟宗竹の竹林です。

急に竹林に入ったので目が慣れず真っ暗です。白い光の筋が至るところで輝いています。
見上げると微かに空が見えるだけです。

竹林の奥に、休耕庵があります。
ここで、竹林を眺めながら抹茶をいただきます。

自動露出調整で写真は明るく写っていますが、かなりほの暗い空間です。

やすらぐ仕掛けです。
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報国寺 参拝す

2013年10月29日 | 日日録
鎌倉に日帰り旅行しました。
パンフレットに竹林の美しい「竹の寺」と紹介されています。
地図で見ると駅から遠そうなので、タクシーで行くことにしました。
鎌倉タクシーは、狭い路地を巧みに運転します。
やがて、山門に着きました。

ここは、足利氏ゆかりの寺のようです。
足利尊氏が子の基氏を鎌倉公方に据えて四代九十年に渡って栄えましたが、
四代目の持氏の嫡子義久が自害して果てた鎌倉公方終焉の寺だという事です。

「二つ引き両」は、確かに足利氏の紋です。

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理趣経 読す

2013年10月26日 | 読後記
理趣経            松長有慶著      中央公論新社刊


これは名著です。理趣経の解説本としてベストだと思います。
「般若心経講義」と二冊並べて座右の書とします。

理趣経は「あれはしてはいけない。これもしてはいけない。」と
あちこちから手足をがんじがらめにして、
倫理的な教えを説き示そうというお経ではありません。
結局、人間の生、行きているということの根源に立ちかえって
もう一度考え直してみようではないかというお経なのです。
大欲とは絶対的な欲ということです。
相対的な、裏切られたら苦に変わるような欲、満たされないために苦しむ欲、
いらいらしたり、がつがつしたりするような欲望ではないのです。
欲を持つことが楽しみになり、自分の励みになるような、そういう欲を持てということです。
新プラトン主義とかデカルトとかスピノザとかニーチェとかフッサールとか色々読んできましたが、
還暦近くになってようやく「般若心経」と「理趣経」に辿り着きました。

蛇足ですが、
お経の読み方には、呉音読みと漢音読みがあります。
呉音読みが一般的ですが理趣経は漢音で読むそうです。
「毘盧遮那仏」は、
呉音読みでは「びるしゃなぶつ」と読みますが、
漢音読みでは「ひろしゃだふ」と読みます。
理趣経では、最後の合殺で「ひろしゃだふ」と8回繰り返します。
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庭を読み解く 読す

2013年10月18日 | 読後記
庭を読み解く              白幡洋三郎著         淡交社

「にわ」は、平坦な土の地面を指し、儀礼・仕事の場であり、
「その」は、植物が植えられる場所で、人間にとって好ましい囲われた場所です。

キリスト教は、貧弱な庭園文化鹿生み出さなかったが、仏教寺院は、
京都で多くの庭園を生み出しました。
(ところが、奈良の仏教寺院には、庭園はありません。)
日本の庭園(寝殿造庭園・枯山水庭園・書院造庭園・回遊式庭園)は、
全て京都で生み出されました。
30の庭園が紹介されていますが、「法然院」についてこう書かれています。
庭園を造り出すにはしかるべき思想を持った人物による方向つけが必要です。
でなければ、いかに周囲の景観が見事であっても人の心に響く庭園は生まれません。
法然院の庭園からいつも受ける印象は「清浄」です。
・・・行ってこの目で見たい。
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球根 再び植える

2013年10月15日 | 園林記
来春の花園を目指し、今秋も球根を植えます。

スイセンと原種系チューリップ、ジャーマンアイリスです。
昨年は、花壇風にまとめて球根を整列させて植えた為
自然の風情が一なわれてしまい失敗でした。
今年は、庭のあちこちに自然に生えたかの様な雰囲気を目指してみました。
が、ジャーマンアイリスは、丸太の八つ橋のまわりに植えて、

青、青と黄色、白、白と黄色、黄色と変化するように整列させました。
どんな風になるかな?
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土手の草 刈る

2013年10月14日 | 園林記
軽井沢はもうすぐ冬です。
来春まで冬眠状態になるので越冬準備を始めました。
越冬準備第一弾は、土手の草苅です。
生え放題にしてきたので、土手は全くの自然状態です。

土手を丸刈りしました。

まるで床屋に行ったような刈り上がりです。
陽当たりが良くなると今まで眠っていた種達が活動を再会し、新たな生存競争が始まります。
どんな植生になるのか楽しみです。
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空海の夢 読す

2013年10月11日 | 読後記
空海の夢              松岡正剛著         春秋社刊


空海がありとあらゆる視点から縦横無尽に論じられていますが、あとがきで述べているように
・・・「結局、真言宗にはふれえなかったことになる。」

「いろは歌」は弘法大師の作だと固く信じられていました。
真言宗中興の祖である覚鑁が「いりは歌」を「大般涅槃経」の偈に見立てました。
   色は匂へど散りぬるを  (諸行無常)
   わが世誰そ常ならむ   (是生滅法)
   有為の奥山今日越えて  (生滅滅已)
   浅き夢見じ酔ひもせず  (寂滅為楽)
これを真仮名で表すと
   以呂波耳本へ止千利奴流乎
   和加餘多連曽津祢那良牟
   有為能於久耶万計不己衣天
   阿佐伎喩女美之恵比毛勢須
となります。
竹田出雲の「仮名手本忠臣蔵」は、四十七人の義士をいろは四十七文字に見立てていたものでした。
まさに縦横無尽です。
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