つぎは武家屋敷の青柳家です。
雪に埋もれた3000坪の敷地を経巡ります。
青柳家と姻戚関係にあるということで小田野直武の像がありました。
脇に解説があります。
平賀源内に師事して秋田蘭画を確立し「解体新書」の挿絵を描いたそうです。
青柳庵ミュージアムには、
僅か16歳で描いたという唐美人図が展示されています。
プロポーションが少し狂っているように見えますが、さすがに上手いですね。
秋田蘭画が成立した背景には、新しいものを取り入れる進取の精神があるのかもしれません。
そういえば幕末の戊辰戦争でも、秋田藩だけは新政府の薩長軍側についています。