露地にハーブが倒れ込んでくるので
緑のポールで簡易の柵としていましたが、みっともないので
木と棕櫚縄で庭柵を作ります。
長さ60㎝の焼杭30本と太さ3㎜の棕櫚縄をケーヨーD2で入手しました。
この木杭に上端から5㎝と15㎝の所にドリルで6㎜の穴をあけます。
この木杭を一定間隔に木槌で打ち込みました。
木杭は40㎝が地上に現れるようにします。
木杭の上端から15㎝の所にあけた穴が、木杭の見付長さ40㎝の5/8にあたるので
この穴を通る棕櫚縄によって木杭が水平に黄金分割されることになります。
という理屈を構築して完成したのがこの庭柵です。
どうでしょうか?
なんの変哲もない庭柵ですが・・・
小理窟を構築すると作った本人の自己満足度が倍増するという効果はあります。
緑のポールで簡易の柵としていましたが、みっともないので
木と棕櫚縄で庭柵を作ります。
長さ60㎝の焼杭30本と太さ3㎜の棕櫚縄をケーヨーD2で入手しました。
この木杭に上端から5㎝と15㎝の所にドリルで6㎜の穴をあけます。
この木杭を一定間隔に木槌で打ち込みました。
木杭は40㎝が地上に現れるようにします。
木杭の上端から15㎝の所にあけた穴が、木杭の見付長さ40㎝の5/8にあたるので
この穴を通る棕櫚縄によって木杭が水平に黄金分割されることになります。
という理屈を構築して完成したのがこの庭柵です。
どうでしょうか?
なんの変哲もない庭柵ですが・・・
小理窟を構築すると作った本人の自己満足度が倍増するという効果はあります。
一日一花 川瀬敏郎著 新潮社刊
花には二つの方法があります。
「投げ入れ」るか「立て」るかです。
「なげいれ」は、人為を加えず草木花のおのずからなる姿を
愛でる素の花として「茶の湯」に通じるものです。
「立て花」は、器の中で花を「とめる」という人為そのものであり、
そこに様々な工夫が生まれ、人為を競う花としての
「いけばな」に通じるものです。
「なげいれ」の花は、心にとまった花をさっと掴み、
さっと水に放つもので、道端で目にしたなんでもない一本の花が、
ときには崇高な姿を見せてくれる時があります。
その366日分の「なげいれ」が一冊の本にまとめられています。
これを私の茶花稽古の座右の書とします。
花には二つの方法があります。
「投げ入れ」るか「立て」るかです。
「なげいれ」は、人為を加えず草木花のおのずからなる姿を
愛でる素の花として「茶の湯」に通じるものです。
「立て花」は、器の中で花を「とめる」という人為そのものであり、
そこに様々な工夫が生まれ、人為を競う花としての
「いけばな」に通じるものです。
「なげいれ」の花は、心にとまった花をさっと掴み、
さっと水に放つもので、道端で目にしたなんでもない一本の花が、
ときには崇高な姿を見せてくれる時があります。
その366日分の「なげいれ」が一冊の本にまとめられています。
これを私の茶花稽古の座右の書とします。
ツルヤの帰りに風越公園の野球場に
さしかかったら何やら催し物です。
軽井沢エクストリーム・チャンピョンシップ競技 地区予選の真っ最中です。
後で調べて分かったのですが、これは1999年に始まった飼い主と愛犬によるドッグスポーツのようです。
今行われている競技は「ハイスピード」といって、
スタートからゴールまでにハードルを20個越えてタイムを競うそうです。
スタート台にうずくまった犬が、飼い主からの合い図をじっと待っています。
合い図と共に駆け出し、猛スピードでハードルを越えていきます。
訓練不足なのか、自立心が通よいのか、空気が読めないのか、勝手に駆け出してしまう犬もいます。
しばらく観戦していました。
こうした犬に比べ、我が家の犬などは何の訓練も受けずただ漫然と生きていますが
これも一つの生き方でしょう。
さしかかったら何やら催し物です。
軽井沢エクストリーム・チャンピョンシップ競技 地区予選の真っ最中です。
後で調べて分かったのですが、これは1999年に始まった飼い主と愛犬によるドッグスポーツのようです。
今行われている競技は「ハイスピード」といって、
スタートからゴールまでにハードルを20個越えてタイムを競うそうです。
スタート台にうずくまった犬が、飼い主からの合い図をじっと待っています。
合い図と共に駆け出し、猛スピードでハードルを越えていきます。
訓練不足なのか、自立心が通よいのか、空気が読めないのか、勝手に駆け出してしまう犬もいます。
しばらく観戦していました。
こうした犬に比べ、我が家の犬などは何の訓練も受けずただ漫然と生きていますが
これも一つの生き方でしょう。
本丸まで上りつめて唐沢山神社に着きました。
この神社は 藤原秀郷が御祭神です。
この城は江戸初期の山城禁止令では廃城になるまで
700年間続いていいますから真の関東の名城です。
そういえば、
平家物語の「橋合戦」に登場し、
急流の宇治川を無理矢理渡河して源頼政を討った
足利俊綱と足利忠綱の父子も藤原秀郷の子孫です。
この平家物語に登場する足利氏は藤姓足利氏といわれ、
源氏の足利氏の前に足利を治めていた一族ですが、
鎌倉の源頼朝に従わなかった為に滅ぼされてしまいました。
その藤姓足利氏の子孫がこの地に移り佐野氏となって栄えたという訳です。
この城から見渡す景色こそまさに「強者どもの夢の後」です。
この神社は 藤原秀郷が御祭神です。
この城は江戸初期の山城禁止令では廃城になるまで
700年間続いていいますから真の関東の名城です。
そういえば、
平家物語の「橋合戦」に登場し、
急流の宇治川を無理矢理渡河して源頼政を討った
足利俊綱と足利忠綱の父子も藤原秀郷の子孫です。
この平家物語に登場する足利氏は藤姓足利氏といわれ、
源氏の足利氏の前に足利を治めていた一族ですが、
鎌倉の源頼朝に従わなかった為に滅ぼされてしまいました。
その藤姓足利氏の子孫がこの地に移り佐野氏となって栄えたという訳です。
この城から見渡す景色こそまさに「強者どもの夢の後」です。
山頂の唐沢山神社を目ざして登り始めると
大きな井戸が現れました。
この井戸は今日まで枯れた事が無いといいますから
籠城には力強い味方です。
神橋を渡って参道を登っていきます。
参道の脇は絶壁になっていて難攻不落の城の面影があります。
佐野氏15代「佐野昌綱」の唐沢山城の戦いは有名です。
なんと、あの軍神「上杉謙信」に10度攻められ10度負けなかったそうです。
この関八州は、戦国時代に足利氏と北条氏と上杉氏が覇権を争って
三つ巴の戦いを繰り広げた地です。
戦国といえば、織田氏、毛利氏、長宗我部氏,島津氏と西国ばかりが有名ですが
この関八州こそ真に戦国だったので、幾多の強者どもの攻防があるのですが
余り取上げられないのが残念です。
大きな井戸が現れました。
この井戸は今日まで枯れた事が無いといいますから
籠城には力強い味方です。
神橋を渡って参道を登っていきます。
参道の脇は絶壁になっていて難攻不落の城の面影があります。
佐野氏15代「佐野昌綱」の唐沢山城の戦いは有名です。
なんと、あの軍神「上杉謙信」に10度攻められ10度負けなかったそうです。
この関八州は、戦国時代に足利氏と北条氏と上杉氏が覇権を争って
三つ巴の戦いを繰り広げた地です。
戦国といえば、織田氏、毛利氏、長宗我部氏,島津氏と西国ばかりが有名ですが
この関八州こそ真に戦国だったので、幾多の強者どもの攻防があるのですが
余り取上げられないのが残念です。