とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 58 東京ローズ

2016-12-01 18:20:50 | 日記
やなぎみわ「ゼロ・アワー」インタビュー


 東京ローズ(とうきょうローズ、英語: Tokyo Rose)は、日本軍が太平洋戦争中におこなった連合国側向けプロパガンダ放送の女性アナウンサーに、アメリカ軍将兵がつけた愛称。

「ゼロ・アワー」
 日本政府は太平洋戦争中、「ラジオ・トウキョウ放送(現在のNHKワールド・ラジオ日本)」で、イギリス軍やアメリカ軍、オーストラリア軍をはじめとする連合国軍向けプロパガンダ放送を行っていた。捕虜から家族宛の手紙の紹介等をしていた。
 1942年(昭和17年)2月に軍当局の発案で、連合国軍捕虜のラジオ放送の専門家を使う事にし、元オーストラリアABC放送のアナウンサーで、オーストラリア兵捕虜のチャールズ・カズンズ少佐、元アメリカのフリーランスアナウンサーで、アメリカ兵捕虜ウォーレス・インス大尉、レイズ中尉らを参加させた。チャールズ・カズンズ少佐は当初拒んだが、最終的に承諾した。
そして始まったのが「ゼロ・アワー」で、音楽と語りを中心に、アメリカ人捕虜が連合国軍兵士に向けて呼びかけるというスタイルを基本とした。1943年(昭和18年)3月から、1945年(昭和20年)8月14日まで放送され、太平洋前線のアメリカ軍兵士らに評判となった。
英語を話す女性アナウンサーは複数存在したが(同局の女性アナウンサーは4人から20人ほどいたという証言もある)、いずれも本名が放送されることはなく、愛称もつけられていなかった。そこで、魅了する声や口調で、「今頃あなた達の奥さんや恋人は他の男性と宜しくやっている」など、棘のある内容を話す声の主に、アメリカ兵が「東京ローズ」の愛称を付けた。
 1943年11月からアナウンサーに加わったアイバ・戸栗・ダキノ(アイバ・戸栗・郁子)は、自ら「孤児のアン」(Orphan Anne)という愛称を名乗って曲の紹介等をしていた。ANはアナウンサーを意味するとも考えられた。「東京ローズ」の人気はアメリカ本国で戦時中にもかかわらず、映画『東京ローズ』が製作・公開されるほどであった。(Wikiより)

TOKYO ROSE "VOICE OF TRUTH" WWII PROPAGANDA MOVIE 2760



「東京ローズ」の1人であるアイバ・戸栗・ダキノ(GHQによる取調べ時)(Wikiより)

 Aは戦後何度かこのことに関する報道を耳にしました。流暢で心をくすぐる英語の発音。すばらしい日本人がいたものだ、と誇りに思っていました。

「・・・アメリカ海兵隊の皆さん、大きなお船の中はさぞかし快適でしょうね。でも、もうすぐ海の底に沈んでしまうと思えば可哀想な気もするわ。今も特殊潜航艇があなた方の船のすぐ下に忍び寄っていますよ。それに体当たりの飛行機も数え切れないくらい用意されているわ。アメリカの水兵の皆さん、こんなムダな戦争で命を落としてはいけないわ。みなしごになるより、今すぐママのお国に帰った方がお利口さんじゃないかしら」(放送された内容例http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/fusigi_4/works/works_3_e.html「東京ローズ」より引用)


巣鴨に収監された姿は痛々しくて彼女も戦争の被害者だと強く同情し、そういう放送を企てた者たちに憤りを感じました。