とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 576 畠山みどり / 出世街道

2018-12-05 23:58:17 | 日記
扇子を持った袴姿。ここまでやるか、と当時思っていました。しかし、歌詞とともに唄いっぷりがなかなかのもの。つい引き込まれてしまいました。今、こういう気風のいい歌手が少なくなりました。根性根性ど根性。いやいや、様になっていますね、今視ても。

畠山みどり / 出世街道



畠山 みどり(はたけやま みどり、本名:千秋 みどり、1939年4月5日 - )は日本の演歌歌手。北海道士別高等学校卒業。



来歴

北海道稚内市出身。高校卒業後、デザイナーを志し上京し文化服装学院に入学するも、幼少時からの歌手の夢が棄て難く退学。古賀政男ギター学院へ入学し、レッスンに励む。

1960年、素人のど自慢番組『トップライトショウ』(ニッポン放送)で優勝したことでレコード会社の関係者の目に入り、日本コロムビア入社。入社後1年4ヶ月間、船村徹の下でレッスンに通う傍ら、島倉千代子などコロムビアの看板歌手の前座を務めた後、1962年「恋は神代の昔から」でデビュー。袴を履いた巫女姿の歌謡浪曲路線で畠山の名は一躍、全国に知れ渡る。

続いて「出世街道」も大ヒットし、1963年には第14回NHK紅白歌合戦に初出場。紅白歌合戦には計3回出場している。
1965年、千秋与四夫(当時フジテレビディレクター)と結婚。同年長男を出産。
昭和40年代からはタレント/実業家としての活躍が目立ち、1970年にはベストセラーになった弘田三枝子のダイエット本「ミコのカロリーBook」に触発され出版した「みどりの6時間絶食法」、1975年には紅茶キノコ健康法が脚光を浴びる。1983年には「ポカポカあたためてグングンやせる」が50万部のベストセラーとなる。バブル期には株に手を出し、大成功を収めていたものの、バブル崩壊と共に55億5000万円の借金を背負う。

1995年には「ASAYAN」に『小室哲哉に曲を書いて欲しい』と出演したことが話題を呼ぶ。翌年には「金曜テレビの星」でバンジージャンプに挑戦したことも話題となり、一時バラエティに引っ張りだこになった。(「Wikipedia」より)

現在は借金も完済し、歌手業に専念しており、以前ほどタレントとしての活動は減ったものの、芸歴50年を越えた今もなお健在で、講演(株の恐ろしさ)・舞台やテレビ(「NHK歌謡コンサート」「思い出のメロディー」「夏祭りにっぽんの歌」「年忘れにっぽんの歌」など)精力的に活躍している。

人物[編集]