とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 554 石川ひとみ - まちぶせ T.U. Nu Disco VDJ Remix

2018-10-28 03:16:45 | 日記
一人でこういう迫力を持っているアイドルは数少ないと思います。松田聖子とはちょっと違う。倉田まり子似とか。そう言えば。とまれ昭和のアイドルはぐっと迫るものがありました。いや、勿論平成のアイドルもそういう歌手はいますが、あっと思う迫力を言っています。誤解なきように。


石川ひとみ - まちぶせ T.U. Nu Disco VDJ Remix



石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、1959年9月20日 - )は、日本の歌手、女優。70年代アイドル。本名、山田ひとみ(旧姓石川)。愛称はひっちゃん。血液型はB型。


来歴・人物

生い立ち

愛知県海部郡美和町(現:あま市)出身。出生は名古屋市西区、伊勢湾台風が東海地方に上陸(昭和34年9月26日)した直前で、台風のさなかすやすやと眠っていたという。2歳の時に海部郡美和町に転居した。子どもの頃はおてんばな女の子だった。幼稚園(七宝幼稚園)時代には近所の男の子と田んぼの中で大喧嘩し、泥だらけになって帰宅したこともあった。

小学6年(正則小学校)時にはソフトボールに熱中し、エースで4番を務めた。スポーツ以外では幼稚園の頃からピアノを始め、小学6年の昭和47年3月19日にCBCテレビの、のど自慢番組『どんぐり音楽会』に出場し南沙織の「潮風のメロディ」を歌い優勝し、それが初めてのTV出演となった[いつなにで?]。中学生(美和中学校)時代は軟式テニス部に所属。ダブルスでは前衛を務めた。当時から大きなひとみで、一際かわいらしさが目立っていて、男子生徒の間で早々に親衛隊が形成された。

名古屋短期大学付属高等学校(現:桜花学園高等学校)卒業。高校2年時、フジテレビ系で放送されていたオーディション番組『君こそスターだ!』でチャンピオンとなる。同番組のオーディション1週目では岩崎宏美の「ドリーム」を歌ったが、歌詞を間違えたため思わず「ごめんなさい」と叫んでしまい、収録のVTRを止めたことがある。

駅にあった東京音楽学院名古屋校の広告を見て同校に見学へ行ったが、その日は偶然入試の日だった。同校職員に「もしよければ受けていただいてもいい」と言われたため受験したところ、合格する。

デビュー〜ブレイク

1978年5月25日、キャニオン・レコードのNAVレコードより「右向け右」で歌手デビュー。
同年、全国58大学で構成される全国ビューティ・オール学生協会から「'78マスコット・ガール」に選ばれるなど、デビュー当時からルックスと歌唱力が高く評価され、大学生を中心に絶大な支持を得る。そのためか男性誌を中心に水着姿でのグラビア撮影が多かったが、石川は水恐怖症だったので芸能界入りするまでは水着を1着も持っていなかった。なお石川は、自らの水恐怖症の原因として、生まれて6日後に襲来した伊勢湾台風の影響を示唆している。

1981年には11枚目のシングル「まちぶせ」(三木聖子のカバー)がヒットする。それまでヒット曲に恵まれなかった石川は、同曲を最後の曲とするつもりだったという。同曲のキャンペーンで全国を駆け回り、「歌の楽しさを思い出して、辞めるのはやめようと思った」という。

「まちぶせ」がロングヒットを記録したため、次のシングル曲として予定されていた「にわか雨」の発売見通しが立たず、にわか雨の時期を過ぎてしまったということもあって発売見送りとなった。代わりに「まちぶせ」と同じく三木聖子のカバー曲である「三枚の写真」が発売された。この年、念願だった『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。なお、「にわか雨」は2年後の1983年6月21日に16枚目のシングルとして発売された。

1979年から1982年までNHKの人形劇『プリンプリン物語』で声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し、同局の歌番組『レッツゴーヤング』では太川陽介と司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍、『レッツゴーヤング』では1978年にサンデーズに加わった倉田まり子と顔が似ているとも言われていた。(「Wikipedia」より)