とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 422 ザ・ピーナッツ「情熱の花」

2018-09-06 17:43:39 | 日記
『シャボン玉ホリデー』の番組のイントロで唄が流れてきて、そのハーモニーにうっとりしていました。とにかく本格的な歌唱力をほしいままに・・・、ああ、二人とも亡くなったんですね。

ザ・ピーナッツ「情熱の花」


ザ・ピーナッツ (The Peanuts) は、日本の双子の元女性歌手(デュオ)、女優である。愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)生まれ、同県名古屋市育ち。略称「ピーナッツ」。
発売したシングル、LPの累計売上は1000万枚以上に達する。


人物

姉 伊藤エミ(本名、澤田 日出代(さわだ ひでよ)(旧姓、伊藤)1941年4月1日 - 2012年6月15日)、妹 伊藤ユミ(本名、伊藤 月子(いとう つきこ)1941年4月1日 - 2016年5月18日)。


略歴

生い立ち

愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)生まれ。ただしすぐに転居し、子供-学生時代は同県名古屋市で過ごす。
愛知県名古屋市立西陵商業高等学校(現・名古屋市立西陵高等学校)を2年生の時に中途退学後、主に名古屋市内などで「伊藤シスターズ」名義で歌っていたが、1958年に同市内のレストランにて渡辺プロダクション社長の渡邊晋にスカウトされ上京。同社長宅に下宿しつつ宮川泰に師事し、歌唱レッスンを受ける。

デビュー

1959年2月11日、「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビュー、4月、「可愛い花」でレコードデビュー。事務所はデビューより引退まで16年間一貫して渡辺プロダクションに所属、レコード会社は各社の争奪戦となり、ビクターレコード[注 4]と契約寸前まで達したが逆転され1959年4月2日にキングレコードと契約した。

1959年6月17日から1970年3月31日までフジテレビ系の歌謡番組『ザ・ヒットパレード』のレギュラーに抜擢される。
その後1961年6月4日から1972年10月1日まで日本テレビ系の人気バラエティー番組『シャボン玉ホリデー』でメイン司会を務めた。
『夜のヒットスタジオ』には1969年(昭和44年)1月13日に初出演(曲は「ガラスの城」)して以来、約6年間の間に40回に渡り出演。まだ「歌謡バラエティ」の色が強かった夜ヒットにおける常連歌手の一組であり、『シャボン玉ホリデー』での経験から当時の人気コーナー「歌謡ドラマ」にも率先して参加した。

引退前最後の出演となった1975年(昭和50年)3月31日放送では番組史上初の「サヨナラ」企画が組まれ、ハナ肇、坂本スミ子、伊東ゆかり、中尾ミエ、こまどり姉妹ら歌手・タレント仲間が数多く駆けつけ「情熱の花」や「心の窓にともし灯を」など計4曲を熱唱した。

日本国外でも活躍し、『エド・サリヴァン・ショー』(アメリカ)や『カテリーナ・バレンテ・ショー』(当時の西ドイツ。現・ドイツ)、『ダニー・ケイ・ショー』(アメリカ)にも出演したことがある。

また女優活動も少ないながらも行っており、映画などにも数作出演。中でもモスラでの「小美人」役は現在もなお人気が根強くある。
和製ポップスを海外公演などによって世界に広めた功績は大きく、特に当時の東西両ドイツやイタリアでは、日本の歌手と言えば即座に「ザ・ピーナッツ」と連想されるほどの活躍振りも高く評価された。

引退

1975年2月18日に当時東京都千代田区有楽町の三信ビルヂングにあった渡辺プロダクション社屋[注 7]にて記者会見を開き、現役を引退することを表明(1972年頃より引退を検討していた)した。

同年3月31日には番組開始時より数多く出演をした「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)にて引退記念特集「さよならピーナッツ」が組まれ、続く4月5日にはNHKホールにおいて、高橋圭三司会で「さよなら公演」を興行。
この時、渡辺プロの主要タレントがほぼ総出で見届けていた。なお、このさよなら公演は3月から4月に掛けて大阪・京都・名古屋でも行われていた。同公演を最後に芸能界を引退。以後はほぼ公の場には姿を現すことはなかった。

最終公演

詳細は「ザ・ピーナッツ さよなら公演」を参照

引退後

姉の伊藤エミは1975年6月4日に同じ所属事務所であった元・ザ・タイガースの沢田研二と結婚し、ハナ肇宅の隣に居を構えていた。その後1男を出産するが、1987年1月に離婚した。

ニッポン放送(JOLF)で、1961年(昭和36年)から1965年(昭和40年)にかけて、その名も『ザ・ピーナッツ』というタイトルで、伊藤姉妹がDJを務めていたラジオ番組の音源(放送日のデータは不明)が発見されたのをきっかけに、番組中で歌唱した曲(未発表曲10曲を含む)を集めてコンパクトディスク化したアルバムを、キングレコードが2008年(平成20年)11月26日に発売した。

2005年12月23日より2006年1月15日まで東京都千代田区にある丸ビルで「渡辺プロダクション創立50周年企画 「抱えきれない夢」 日本のエンターテインメントの50年」が開催され、会場内の「ザ・ピーナッツコーナー」の展示品に、さよなら公演で使用されたマイクが伊藤エミ・ユミの提供により展示されていた。

2012年6月15日、姉:伊藤エミが死去。およそ4年後の2016年5月18日には妹:伊藤ユミが死去した。

2016年9月7日、生誕75周年を記念して森高千里、華原朋美、メンバーに吉田美和を擁するユニットFUNK THE PEANUTSら全12組が参加した自身初となるトリビュート・アルバム「ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス」とオリジナル音源を収録したコンピレーション・アルバム「ザ・ピーナッツ オリジナル・ソングス」の2枚が同時リリースされた。

名付け親

グループ名は元・日本テレビの敏腕プロデューサー、井原高忠がグループ名、2人の芸名ともに名付けた。井原はのちにとんねるずの芸名も名付けている。また、個人の芸名を付けたのは渡邊晋である。(「Wikipedia」より)