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とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち 「SYOWA」 18  生老病死の「生」

2016-05-06 22:34:18 | 日記
 Aは、1944年(昭和19年)3月5日生まれ。
 そして、長年、「生老病死」の「生」は生まれいづる苦しみだと理解してきました。最近は、それは生きることの苦しみだと俗な解釈が優先していて、Aは真の解釈に苦しんでいました。最近、ほぼ納得できる解説に接することが出来ました。ああ、そうだ、そうだ。こうなんだ。と霧が晴れたようにさわやかになりました。





「 赤ちゃんはこの世に生まれてくるときに、それまでの心地よい羊水の中から地上の大気の中へと出てきます。その時に生じる衝撃は、エラ的呼吸から肺呼吸へと移る時の苦しさであり、平均36,5度の羊水から20度前後の外界へ出るときの冷たさがあります。
そして産道を抜けるときの苦痛を味わい、生まれること、生きることは、こんなにも苦痛なものかという原体験として無意識に沈ませていると言われます。人はその原体験を引き受けて生きていく宿命を負っているのではないでしょうか。

人の最初の「生まれいづる苦しみ」という負の体験から、母親は、どのようにして赤ちゃんを救いだせるのでしょうか。 赤ちゃんを安心で包んでくれるものは、やさしい語りかけと、 肌と肌の触れ合いに尽きるでしょう。赤ちゃんは羊水に包まれているときに最も安らいでいました。そのときの羊水の温かさと同じ温かさのものが自分に触れる。赤ちゃんにとって、どんなにか心安まることでしょう。

赤ちゃんは、自分が生まれでた世界は安全で、 自分は温かくやさしく迎えられることを知って安心します。「ここって、けっこう、よいところみたいだな」と、きっと気持ちが落ち着くことでしょう♪(「BTU福岡」のHPより http://www.btu-fukuoka.com/)」

 Aは、「糸巻の聖母」が好きです。この世の絵画の最高傑作と思っています。
 十字架を思わせる糸巻き棒に、幼子イエスは夢中だ。そのさまを聖母マリアが愁いに満ちた表情で見守っている。後に磔刑(たっけい)となる彼の過酷な運命を察したのだろうか。聖母子と前景の岩はダ・ヴィンチが描き、背景は後世の加筆とされている。・・・これは解説文の引用ですが、聖母マリアの愁いの表情そして宙に浮いたとまどいの右手には母親の愛の普遍性が表現されていると思います。