とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

白拍子

2013-05-27 16:44:21 | 日記
白拍子




 葛飾北斎 「白拍子図(仮題)」

北斎筆の白拍子図である。静御前を描いたものと思われる。筆致の確かさ、表情に漂う品格。白拍子図としてこれに勝るものはないのでは・・・。と私自身は思っている。




 上村松園「静」(1944年)


 吉野山 峯の白雪 踏み分けて 入りにし人の あとぞ恋しき
しずやしず しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな


 松園が繰り返し描いたという源義経の愛妾静御前の図。静御前は当代名うての白拍子だった。上の歌は、静御前が義経と吉野山で行き別れた後、捕えられて頼朝の命で鎌倉の鶴岡八幡宮に舞を奉納する際に、舞いながら詠んだものである。頼朝に媚びることなく、下手したら命に関わるなか義経を慕う歌を詠んだ静御前の姿である。

 「『義経記』によると、日照りが続いたので、後白河法皇は神泉苑の池で100人の僧に読経させたが効験がなかったので、100人の容顔美麗な白拍子に舞わせ雨を祈らせた。99人まで効験がなかったが、静が舞うとたちまち黒雲が現れ、3日間雨が降り続いた。静は法皇から『日本一』の宣旨を賜った。また法皇は、静を見て『カノ者ハ神ノ子カ?』と感嘆したと言う。その後、住吉での雨乞いの時に、静を見初めた義経が召して妾にしたという。」(Wiki)

 上の歌は「自分の名前『静』を『倭文(しず)』とかけつつ、頼朝の世である『今』を義経が運栄えていた『昔』に変える事ができれば、と歌っている。『伊勢物語』32段『古(いにしえ)のしづのをだまきくり返し昔を今になすよしもがな』を本歌とする。」
                                (Wiki)


 ご縁美術館に笙子さんの巫女の絵が十数作展示してあると聞いて、私は出かけました。他にも客が数人いました。坂本学芸員がすぐ出てきて、説明してくれました。ぐるりと一回りして作品をすべて見て、一つ不思議に思ったことがありました。

 巫女の舞姿がテーマで笙子さんの修業の賜物だと思います。お義父さんがご覧になると、喜ばれることでしょう。ただ、一作だけ、何でしょう、白拍子らしい絵がありましたが・・・。

 そうなんです。静御前を描いた作品ですね。お義父さんが以前来られて、笙子はどうして静御前を描いたのか分かりません、と仰っていました。ま、でもじっとその作品を見ておられました。

 巫女の絵は自画像のような雰囲気ですが、白拍子の絵は違うような・・・。

 畝本さん、よく分かりましたね。そうなんです。これはご自分で仰っていました。

 で、どなたなんですか。

 母だと仰っていました。

 ええっ、あの、お亡くなりになった・・・。

 そうです。母の姿を永遠に残そうとしたともとれます。

 そうかも知れませんね。

 劇団の郁子と琢磨君が後で来て、ああ、松江さんもご一緒でした、・・・郁子が、お父さん、静御前の舞を受け継いだのが出雲の阿国でないかという気がしてきた、と突然言いました。松江さんと琢磨君も納得した感じで、続いて新作劇の構想の話題になりました。

 ということはですね、坂本さん、阿国はかぶいていたと言われるけれど、実はかぶいていなかったということに、・・・モデルは静御前ですからね。実はこの前、笙子さんにお会いしたとき、湖笛で二人の阿国という劇の構想が温められているようで、もう一人の阿国として出演してくれと郁子さんに言われたとか・・・。

 そうですか、それは初耳です。それで、どうなったんですか。

 断ったそうです。お目出度のようで・・・。

 やっぱり、そうですか。

 笙子さんのお目出度は知っておられた・・・。

 そうです。以前、笙子さんのお姉さんが取材に来られ、そうとも取れることを仰っていました。

 坂本さん、二人の阿国という発想、どう思います。

 いやー、いいじゃないですか。面白いですよ。しかし、静御前と一緒に登場することはないでしょうね。

 それはないでしょう。・・・いや、あり得るこですね。

 そんな・・・。

 喜多川という曲者が指導してますからね。

 喜多川・・・。

 そうです。フェニックス喜多川です。

 会ってみたいですね。

 私もです。・・・二人の関心の対象はいつしか喜多川さんに向いてしまいました。

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