永遠なる母子
フレデリック・レイトン (1830年-1896年 イギリス 古典主義)
母と子(さくらんぼ)(1865作 Blackburn Museum and Art Gallery所蔵)
この作品を見ていると、心の故郷に帰ったような落ち着いた気持ちになる。私の母はこれほど美しくはなかった。しかし、そういうことを超えた心の震えを感じる。子どもはさくらんぼを母に食べさせようとしているのであろうか。横になっている母はその仕種を快感として全身で受け止めている。親子の情愛とかそういう観念的なものではなく、ふわっと辺りを包み込む甘美な世界を描出している。因みにサクランボはキリスト教の世界ではその赤い色から「キリストの受難」の象徴とされる。ということはこれも宗教画で、聖母子像かも知れない。ただ、私はそういうことにはあまり拘らない方がいいと思っている。
二人展のテーマが決まりました。「永遠なる母子」。古賀画伯からそう連絡を受けた私は、やっぱり・・・という思いでほっとしました。画伯と長柄さんと私は招待されて、二人で描きあげたたくさんの作品を見せて貰いました。
一貫性があっていいですね。二人の呼吸がぴったり合っている。と古賀画伯。
こんなすばらしい作品だから、たくさん見て貰うといいね。と長柄さん。
私は、展示の場所のことを気にかけていましたので、そのことを二人に尋ねました。心のうちで銀座の例の画廊を思い浮かべていました。すると、お母さんが仰いました。
京子、冴子さんにも招待状を出すの。
どうしようかしら。・・・佐山さんどう思う。
見て貰いたいですね。
そう、じゃ、長洲さんに頼んで銀座に出しましょう。と京子さん。
京子さん、相当の覚悟がありますね。でも、会場の賃貸料、それに往復の輸送費、ばかにならないと思います。ああ、それから肝心のことを忘れていました。販売するかどうかということも・・・。古賀さんはさすがに慎重でした。
気に入っていただけるお方がいたらそうしたいです。家族の当面の生活がかかっていますから。
・・・家族の生活。私は実のお母さんのことを意識してそう言いました。
そうです。新しい家族です。
きっぱりそう断言した京子さんに強固な決意を私は感じました。
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フレデリック・レイトン (1830年-1896年 イギリス 古典主義)
母と子(さくらんぼ)(1865作 Blackburn Museum and Art Gallery所蔵)
この作品を見ていると、心の故郷に帰ったような落ち着いた気持ちになる。私の母はこれほど美しくはなかった。しかし、そういうことを超えた心の震えを感じる。子どもはさくらんぼを母に食べさせようとしているのであろうか。横になっている母はその仕種を快感として全身で受け止めている。親子の情愛とかそういう観念的なものではなく、ふわっと辺りを包み込む甘美な世界を描出している。因みにサクランボはキリスト教の世界ではその赤い色から「キリストの受難」の象徴とされる。ということはこれも宗教画で、聖母子像かも知れない。ただ、私はそういうことにはあまり拘らない方がいいと思っている。
二人展のテーマが決まりました。「永遠なる母子」。古賀画伯からそう連絡を受けた私は、やっぱり・・・という思いでほっとしました。画伯と長柄さんと私は招待されて、二人で描きあげたたくさんの作品を見せて貰いました。
一貫性があっていいですね。二人の呼吸がぴったり合っている。と古賀画伯。
こんなすばらしい作品だから、たくさん見て貰うといいね。と長柄さん。
私は、展示の場所のことを気にかけていましたので、そのことを二人に尋ねました。心のうちで銀座の例の画廊を思い浮かべていました。すると、お母さんが仰いました。
京子、冴子さんにも招待状を出すの。
どうしようかしら。・・・佐山さんどう思う。
見て貰いたいですね。
そう、じゃ、長洲さんに頼んで銀座に出しましょう。と京子さん。
京子さん、相当の覚悟がありますね。でも、会場の賃貸料、それに往復の輸送費、ばかにならないと思います。ああ、それから肝心のことを忘れていました。販売するかどうかということも・・・。古賀さんはさすがに慎重でした。
気に入っていただけるお方がいたらそうしたいです。家族の当面の生活がかかっていますから。
・・・家族の生活。私は実のお母さんのことを意識してそう言いました。
そうです。新しい家族です。
きっぱりそう断言した京子さんに強固な決意を私は感じました。
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