とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

夫婦ということ

2012-04-03 23:23:39 | 日記
夫婦ということ



「皇妃ジョセフィーヌ」ピエール・ポール・プリュードン (1758年-1823年フランス 新古典主義)

 この女性はナポレオン・ボナパルトの皇妃としてあまりにも有名である。フランス領西インド諸島マルティニーク島の生まれ。祖父の代から母国を離れたクレオールの出身。結婚前の正式名は、マリー・ジョゼフ・ローズ・タシェ・ド・ラ・パジュリだった。貴族の娘でエキゾチックな美貌の持ち主だったが、大変な浪費家でもあった。生家は貴族といっても名ばかりであり困窮していたという。
1779年にアレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と結婚、一男ウジェーヌ、一女オルタンスをなしたが、当初から夫婦仲が悪く、1783年に離婚した。後にボアルネ子爵は、フランス革命中の1794年7月23日にギロチンで処刑されてしまう。離婚後、マルティニーク島の実家に戻っていたジョゼフィーヌも、島での暴動の多発に不安を感じてフランスに戻ったが、夫や友人の助命嘆願が罪に問われてカルム監獄に投獄されてしまう。獄中では、ルイ=ラザール・オッシュ将軍と恋人同士となったと伝わる。しかし、ロベスピエールが処刑されたことにより、8月3日に釈放された。(『Wiki」』より)
 このように経歴を読んでみると波乱万丈の人生で「恋多き女」と記されている。ナポレオンと結婚した後もいろいろと噂が絶えなかったという。この絵は他のはなやかな雰囲気のものとは違い、どこかしら孤独で悲しげである。私の気のせいだろうか。


 私は、ずっと京子さんの義理の母親のことが気にかかっていました。・・・勿論眼の不自由なお父さんもそうではありますが。そのことについて古賀画伯から意外な事実を知らされました。


 ええ、京子さんの義理のお母さんのことについて、長洲さんから意外なことを教えていただきました。

 意外な・・・ですか。

 そうです。京子さんはご存知だろうと思いますが、私は初めて知って驚きました。

 驚かれたんですか。

 そうです。家を出られたきっかけは何だか私ははっきり分かりません。ただ、家を出られて二人で生活できるゆとり、というと失礼ですが、まあ、生活ですね、そこのところが気にかかっていました。

 それは私もです。

 そうでしょうね。・・・実は何にも心配することはないようです。

 と言いますと・・・。

 実はですね。長洲さんの話によりますと、もうお亡くなりになられた大島画伯の孫娘さんのようでして・・・。

 大島さん ?

 ご存知ないですかね。日本の具象画の基礎を築いたお方の一人です。

 いや・・・。

 そうでしょうね。いろいろな事件がありまして、晩年は不遇でした。

 ・・・。

 しかし、作品の評価は不思議と下がることはなかったですね。それほどファンの層が厚かった・・・。

 ・・・。

 だから、お亡くなりになってから作品はますます高く取引されるようになったんですね。

 ・・・。

 いや、分かります、分かります。

 で、その遺作を管理しておられるのが、京子さんの義理のお母さんです。

 えっ、すると・・・。

 そうです。不自由どころか、豊かと言ってもいいだろうと思います。

 京子さんは唆されたと仰っていたんですが・・・。

 私はそこらへんの事情がうっすら分かってきたような気持ちになっています。

 へえー、そうですか。

 私は京子さんやお母さんの気持ちが何だか読めるような気がしてきました。

東北関東大震災 緊急支援クリック募金←クリック募金にご協力ください。