とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

2002年の私・・・さまよえる掲示板③

2010-12-12 00:14:23 | 日記
2002年の私・・・さまよえる掲示板③


 
 かつての掲示板の掲載はこれで終わりにします。

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風邪 投稿日:2002年12月23日(月)18時37分34秒
最悪です。でも、なんとか原稿書きました。これはもう業ですね。

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猫のこと 投稿日:2002年12月20日(金)06時40分13秒
家の猫「鈴・りん」。もう帰ってこないようです。二週間くらい前にひょいと家を出たのですが、まだ帰りません。どこで何をしていることやら。事故に遭っていないことを祈っています。
それはかわいい白猫でした。ペットロスト症候群になりそうです。
思えば、五匹の仔猫を産んで、その仔猫を全部引き取っていただいたのですが、それも相当精神的にショックだったようです。寂しそうにしていました。
いや、ひょっとして長い旅を楽しんでいるかもしれません。いやいやそれは甘いかも。
・・・・・・とにかく私は寂しいのです。

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休暇 投稿日:2002年12月13日(金)22時54分33秒
休暇は、奪い取るもののようですね。土日を待ち焦がれていても、なかなかやってきません。むしろ、くたくたになるほど仕事に没頭して、疲労困憊して日々暮らしていると、土日が来るのが早く感じられます。だから、相当なエネルギーで奪い取るものだ、という風に考えています。
しかし、土日も仕事を続けていると、もう機械同然の苦しい立場に追い込まれます。もうこれは、病気ですね。
みなさん、くれぐれも過労にご注意ください。

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人の心 投稿日:2002年12月11日(水)19時57分43秒
人を引き付け、自分の考えを聞いて、頷いてもらうことのいかに難しいことか。これは、話す人が、本物の人間でなくては叶わぬことのようだ。いかに苦しみつつ道を求めているか、そういう気迫が人を引き付けるようである。・・・本物の人間。この歳にして、まだまだという感じがする。

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河童になった龍 投稿日:2002年12月11日(水)06時51分12秒
龍のなれの果てが河童なんですね。初めて知りました。恥ずかしながら。芥川龍之介が、晩年に河童を描いたり、「河童」という小説を書いたりしたのは、かなりな自虐的な気持ちがあったのではないでしょうか。自虐的というのは、当たらないかもしれないけれど、河童は当時の自分のみじめな状況を表していると思いました。龍神は、昇天します。しかし、河童は水の中。大きな違いですね。

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ノーベル賞 投稿日:2002年12月 8日(日)23時00分31秒
私だったら、ノーベル賞を十個もあげたい。もし、もしも癌やエイズを全治する薬を発明した人がいたら、その人に。


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(無題) 投稿日:2002年11月30日(土)07時46分19秒
目と心を開けばもっと見えるものがある。見えないものでも見える。
昨日、職場でストレスマネージメントの講習を受けた。実技があり、リラクゼーションのタッピングや自律訓練などを行った。同僚とペアを組み、軽い運動をすることによってリックスするという方法である。一人でもできるそうだ。
BGMの音の中で、二人で呼吸法の運動などを行っていると、仲間がみんな「家族」のように思えてきた。こういう感覚は、普段あまり感じない質のものである。
窓から外を見ると、陽に輝いている冬の田んぼが見えた。それが黄金色に輝いていた。心が、ふっとどこかに飛んでいくような感覚であった。
女性の臨床心理士がインストラクターであったが、その姿も、聖なるものに見えた。
・・・これはどうしたことだ。後で不思議に思った。
私は、まだまだ見えていないのではないか。変に縮こまった世界に生きているのではないのか。
正直そう思った。

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渡る世間に・・・ 投稿日:2002年11月23日(土)07時32分44秒
最近、仕事やプライベートなことで、いろいろなお方と胸襟を開いて話し合い、人を恐れてばかりいてはいけない、と思いました。
私は、どなたともどんなときでも、「おい、○○君、元気かい」などという話し掛けのできない人であります。それでいままでずいぶん誤解されたり、損ばかりしてきました。
でも、人は人で同じ悩みを持っていることが分かりました。みんな「人」を意識しすぎて、遠ざけているんだ、と思いました。時に、その気持ちを抑えて、世間話から入って、「じつはなあ・・・」なんていったら、相手も「ほんとはなぁ・・・」と答えが返ってきます。これは不思議な現象です。
仕事で困っている、と言うと、「じゃ、俺がやってもいいよ」なんて救いの手を差し伸べてくれます。
世間には、実は「鬼」は住んでいないのかもしれません。「鬼」にするのは、実は他でもない、自分なのではないでしょうか。疑心暗鬼を生ず、とはよく言ったものです。実感として、そう思います。


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自然人 投稿日:2002年11月15日(金)16時34分37秒
代休で、近くの里山を妻と歩いてみました。意外にも、赤く色づいた葉がたくさん眺められました。歩いていると、椎の実がたくさん落ちていて、童心に返って、ポケットにいっぱい拾い、持ち帰りました。
子どものころは、この木の実も大事な「おやつ」でした。フライパンで炒ると、小さい粒ですが、香ばしい匂いを放つおいしい味の実がすぐ出来上がります。皮を剥く面倒さを除けば、それはすばらしい「おやつ」でした。
今、台所で妻が炒っているようです。早く食べたい。そういう気持ちになっています。


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構築中 投稿日:2002年11月13日(水)21時58分9秒
今作品世界を構築中です。今度は、かなり苦労しています。


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秘すれば花 投稿日:2002年11月 6日(水)23時11分45秒
秘すればこそ花になる。秘せねば花とならぬ。


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聖と俗 投稿日:2002年11月 4日(月)23時05分43秒
この二つ我にありて、哀し。



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バージョンアップ 投稿日:2002年10月31日(木)06時19分4秒
このところ、書き込みを失礼していました。実は、仕事の多忙もあるのですが、ソフトのバージョンアップをしていたので、設定などをもとに戻すのに時間がかかってしまいました。今、快適な環境で、書き込みをしています。
また、ぼちぼちと歩き始めます。よろしくお願いします。


自分史掲示板
新規に更新しました。心機一転 ?・・・「ぼちぼち参ろう」

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「座礁」10,000回 投稿日:2002年10月23日(水)21時34分9秒
「座礁」が、いよいよ10,000回のaccessを迎えました。、これから新しい方向に旅立つことでしょう。
引き続き御支援くださいませ。


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回転寿司 投稿日:2002年10月13日(日)07時23分43秒
くるくる寿司などと呼ぶと、登録商標になるようです。そのことは、よく分かりませんが、確かそうだったと思います。だから、回転寿司。その寿司屋に初めてゆきました。
もうかれこれ二十年以上前ですか。松江市にそういう店ができて、面白そうな店だなあ、と思っていました。しかし、残念なことに、一度も御縁がなかったのです。
昨晩、娘夫婦に誘われて、うん、面白いな、などと思いつつ、妻とともに出かけました。なんと、人の多いことか。店は順番待ちのお客がたくさんで、その盛況ぶりに驚きました。しかたなく、目的の店を出て、別の店に移りました。しかし、そこも順番待ち。またまた驚きました。
三十分くらい待たされ、やっと四人は、座席を確保しました。
コンベアーは二段になっていて、上が寿司やデザートなどが回っています。下は、湯のみや醤油皿が動いていました。私は、面白い工夫だなあ、としばらく皿を取らずに、見とれていました。
回転しているのは、寿司だけではなく、お菓子類、茶碗蒸、漬物、酢の物、パックの飲み物など、いろいろなものがありました。
四人は、それぞれ好きなものを食べられるだけ食べて、満足しました。すでにセットしてある寿司と違って、選ぶ楽しみ、今度は何が来るのか、という期待があり、食欲が増すしかけになっているということに気が付きました。なので、少し食べ過ぎとなったのです。しかし、代金は、すこぶる安い。これも人気の原因だと思いました。
今になって初めて、回転寿司を体験するとは遅すぎると思われたかもしれません。たまに外食をするのですが、そういう店には入ったことがありませんでした。娘夫婦の誘いに感謝した次第です。
飽食云々ということを言われますが、私は、そのときは、楽しくて、ついそのことを一時忘れていました。


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自己証明書 投稿日:2002年10月12日(土)07時24分17秒
あなたは、今日勤務規律を守り、精励恪勤努力しましたか。なんて、毎日毎日問われ、証明書を書いて、上司に確認の印鑑を貰う。その書類をPC入力しておいて、何かあると、ほれ、この通りきちんと「○○夫」は勤めてました、いや、場合によっては、「○○夫」は、こんなに怠けてました、などとPC書類でその男を評価する。その書類は、自己証明書といっていいでしょう。自分は、ここにこうして働いてます、憶えておいてください。昨日は、風呂敷残業もしました。などと、口頭で言っても通用しなくなりました。当然のことだと言えば、それはそうですが、「ここにこうしてきちんと働いている」と自己の存在感で証明することはできないものでしょうか。証明書とここにいる生身の人間・その実績とどちらが信用できるでしょうか。
時代は、生きるということの「証明書」を残さなければならない方向に向かっています。みなさん
どう思いますか。これは、いろいろな社会的な場面に浸透しつつあります。今に、PC上の個人の情報の蓄積が人格を持つことになるでしょう。私は、そのことを恐ろしく感じています。


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さあどうする 投稿日:2002年10月 5日(土)10時52分10秒
「さあこれからどうする」という場面は、どこでも、いつでも、だれでも、突然訪れますね。
ええままよ、なんて捨て鉢になることもありますね。しかし、一晩寝て、明くる朝になると、なんだか、不思議と元気になっていますね。人間は、不思議な生き物です。
とにかく、これとあれと・・・、いろいろあるけど、目の前のこれだけ今日はやっとこう、なんて思うと気が楽になります。
私は、こうして、このページで、自分に話し掛けているのです。


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事故&事故 投稿日:2002年 9月28日(土)10時13分10秒
朝、六時半ごろ、「どーん!」という音が立て続けに二回響き、二回目には、家全体がびりびりと振動した。
「事故だ!」。とっさにそう思い、また悲惨な現場を見なければいけないのか、という気がして、
実に嫌な気分になった。
一台は交差点の角のところで大破して煙を上げていた。さてもう一台は?と見回すと、なんと、我が家の東のブロック塀に激突していた。道理で家が揺れるはずだと納得。軽自動車同士の出会い頭の衝突事故だった。運転者はいずれも若いひとで、交差点でうずくまって携帯で連絡していた人は女性。これまた車から出てきて立ち上がって携帯を取り出したのは,男性。
大きな怪我でなくてよかった。そう思いながら、女性の方に声をかけた。「大丈夫ですか。痛いところはありませんか」。その女性は、蹲りながら、「眼鏡、眼鏡を探してください」とうめくように言った。私は、狂ったようになって、眼鏡を探し回った。眼鏡は、座席の下に転がっていた。
赤い縁の眼鏡だった。後ろの座席には、チャイルドシートが乗っかっていたので、子どもが乗っていなくてよかった、と思った。男の人は、話し掛けても、わりと元気に答えていた。「こりゃ、大丈夫だ」と思った。
・・・私の家の東側の交差点は、事故の名所である。いつだろうが私たち夫婦が駆け出して、声をかけたり、救急車を呼んだりする。数年前の夜中、がーん!という相当大きな音がしたので、二人とも飛び出した。見ると、車らしきものはどこにもなかった。よく見ると、どちらも田んぼの中に落ちていた。
信号機を取り付けてほしいと、いろいろなところへ言ったが、いまだ実現していない。なんとかならないものか。
・・・私は、ふと不安に思う。私が、家族が、助けられることになっては嫌だな。今まで大きな事故をせずに済んだのは、奇蹟といってよい。



2002年の私・・・さまよえる掲示板②

2010-12-12 00:05:41 | 日記
2002年の私・・・さまよえる掲示板②


 原文のままですので、表記の間違い、文脈のよじれ等お許しください。

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夜の散歩 投稿日:2002年 9月22日(日)08時48分1秒
このところ妻と夜のウォーキングを行なっています。せいぜい20分から30分くらいです。
歩いていると、なんと仲間の多いこと。中年の女性一人。夫婦。中年の女性数名。中年男性五六名。さまざまですが、すれ違うと「今晩は」などと挨拶したりで、急に親しみを感じてしまいます。
そのためか、体調が少しよくなったみたいです。いいことしてるなあって感じですね。初めは、過度の疲労から、面倒くさいと強烈に思っていましたが、だんだんと癖になりました。習慣は恐ろしいですね。みなさんもやってみてください。


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季節の移ろい 投稿日:2002年 9月 7日(土)22時40分10秒
昼は暑い日もありますが、朝晩は過ごしやすくなりました。秋を感じますね。コオロギが今年は少ないようですが、もう少したてば、ころころとたくさん鳴きだすことでしょう。
田んぼの稲刈りが始まったようです。黄色の稲田を眺めていると、この米を食べて生きてきた人類の歴史を感じます。稲穂は、見たところ、がさがさしていて、ちっともこころに優しくありません。しかし、その中から、つるつるの米粒が飛び出してくるのです。
昔、私の家は米屋をしてました。子どものころ、小さい自転車で米の配達をしていたことを、懐かしく思い出します。
あのころは、貧乏だったが、いや、それは今もかわらないが、実に良い時代でした。みんな輝いていましたね。
父もいたし、母も、祖母もいました。でも、三人とも逝ってしまいました。
季節は確実に秋に向かっています。「白秋」ですね。「白」は、秋なんですね。いい色ですね。


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きばらずに 投稿日:2002年 8月31日(土)07時17分0秒
あまり普段TVを見ないが、たまたま見ていた何とかという番組で、女優の田中美里さんが、「みすゞ」という映画に出演が決定してから、ひどいパニック障害の症状が出た、という話を聞いた。幸い、数ヶ月で脱出することができ、撮影を続けているとか。そのとき、監督さんが、眠っているお釈迦さんの像をプレゼントしたそうだ。きばらずに、いい子ぶらずに、ゆったりと生きなさい。みすゞの役は、あなたしかいない。と励ましたそうだ。
見ていて、他人ごとではない、と思った。
いつも、次は何をしようか、時間が惜しいなどと、焦燥感をいだきつつ生きている私は、田中さんと同じような症状に陥ってしまった。もう、長いあいだ脱することができない。
躓いた時、空を見る。すると、どこからか、声が聞こえてくる。
「きばらずに、肩肘張らずに・・・」
ああ、そうだった、と思うことがよくある。


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松本侑子さんのページ 投稿日:2002年 8月25日(日)13時30分6秒
私たちが運営している同人誌「座礁」のサイトに、作家松本侑子さんのページを新設しました。
エッセイを寄稿していただいています。LINKのページから御訪問ください。(「座礁」のページ)
松本さんには、感謝いたしております。感想等は、松本さんに直接でも結構ですし、管理人の村上さんか私宛でも結構です。掲載の作品だけではなく、松本作品全般のことでも結構です。お待ちいたしております。


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ウイルスにご注意 投稿日:2002年 8月11日(日)09時34分7秒
見事にやられました。ウイルスがこんなにも面倒なものとは・・・。
WORMのKLEZ.H及びBADTRANS.Bでした。
対策は万全を期し、すべて汚染ファイルは修復・削除しました。過去maleもaddressもすべて削除しました。アウトルックのプレビューも閉じました。ソフトも常駐させました。お断りのmaleも出し、返事を恐々待っているところです。
もう、このHPもmaleもやめなければならなくなるかもしれません。
被害を受けられたお方には、お詫び致します。被害状況をお知らせください。

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明るく 投稿日:2002年 8月 5日(月)23時02分10秒
いかなる時も、自分の世界がすべてではなくて、他の人は別の世界に住んでいて、前向きに、気分転換をすばやく行ない、機敏に動作し、すっきりと生き抜いていることを忘れまい。
自分というフィルターは、ときどき外してみよう。すると、すばらしい、今まで見えなかった世界が無限に広がっていることが分かる。


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ルーツ 投稿日:2002年 7月29日(月)06時47分26秒
こちらの田舎では、まだ、本家、分家という言葉が使われています。
もうなくしてよい言葉と考えます。
最近、その「本家」の「本家」に当たる家の人が死に絶えました。そして、昨日四十九日の法要を営んだわけであります。
本家・分家という言葉は抜きにしても、我々の祖先が次々に死んでゆくことに限りない寂しさを感じます。私の、依って立つところが潰えてゆく寂しさ。なんともいえません。いずれ、私たちのルーツはどうなっていたのか分からなくなってゆくでしょう。それでいいのですね。この世の中。


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生き物の闘い 投稿日:2002年 7月28日(日)07時24分24秒
前回の続きです。以前何かの会で、「人生は競争だ……」などと言ってはっぱをかけた先輩の話を書きました。私は、むっときて、「では人生に勝ち・負けがあるのか」と絶叫口調で反論しました。人の一生を、勝ち負けで総括してほしくなかったからです。そのことと同じことが、他の会でもあり、私の信用は地に落ちたのであります。
それから、ずっとそのことを考えています。
というのも、周りの人たちは、一見和やかだが、何かお互いを牽制しあい、自らの出口を探して生きているような感じがするのです。私もそうなんです。この一見和やかというのが、いい感じじゃないんですね。
反面、あくのつよい人は、語気も荒々しく、自分がすべてリードしなければ、という風な趣です。弱いものは、どう生きたらいいのか。……弱いなりに闘うしかありません。その人たちと、そして、自分と。生きていくのは、「競争」だと考えたくありません。「闘い」なのです。静かなる闘い。私は、だれかが勝ちで、誰が負けかという経済の論理そのままの考えを人生に持ち込みたくありません。負けたっていいじゃないですか。人生では、それも一つの闘い方だと思います。
甘いね。なんて声が聞こえてきます。
負けたら、生きていけないよ。そんな声も聞こえます。
それはそうでしょう。会社が潰れたら、家族もろとも地獄ですから。公務員に対する風当たりが強くなってくる気持ちも分かりすぎるほど分かります。しかし、だれしも生きるために体を張って厳粛な闘いを続けています。仕事の内容、また、仕事のあるなしにかかわらず。
家の猫たちも闘っています。生きるために。



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記憶すること 投稿日:2002年 7月27日(土)08時01分54秒
炎暑の中、高校野球を三回観戦しました。もう、私にとっては拷問と言ってもいいくらいでした。
じっとしているだけでも息苦しいのに、手をたたいて拍子を取ったり、大声で声援を贈ったりと、
ひと試合で一年分の運動をしたような気分になりました。
どうして、高校野球だけがこうも人を興奮されるのか。不思議でなりません。高校のサッカーの試合も何度か観戦しましたが、まことに静かなものでした。
私の一番嫌な閉塞状況から逃れる術は、とにかく外に出るしかありません。しかし、じっと我慢できたのは、どういうことが原因か。
おおげさですが、集団の中に身を置くということが、生きるということだと思ったからでした。そして、この場面をきちんと記憶する。そういうことの積み重ねが人生ではないか、などと考えました。
そこの場所に私がたしかにいて、何かを考え、感じていた、ということは、その物理的なその位置には、なにも印を残すことはできません。ただ、記憶して頭の中に残しておくことはできます。
その記憶の集積がその「人」そのものだと思いました。人生といってもいいかもしれません。
集団の中に身を置いて、自分の位置を記憶する。どう関わったかを憶える。どう思ったか、感じたかを憶える。それしかできないのではないでしょうか。
今日の球場には、私の痕跡すらも残っていないのですから。


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鈴  投稿日:2002年 7月19日(金)05時36分14秒
鈴(りん)というネコの話です。
三ヶ月前に五匹の子どもを産んだことを「鈴物語」のページで紹介しました。その後、三匹が貰われてゆき、鈴は、残りの二匹の子どもの世話を続けています。もうすっかり大きくなり、人間でいうと三歳児くらいかな、という感じです。
その子どもがまだお乳を飲んでいるのです。長い体が二つ親ネコの乳房に吸い付いているのを見ると、滑稽な感じがします。
「鈴」の表情をじっと見ていると、何かしら「女」のせつなさが伝わってきました。そして、ぱっちりした眼を見ると、何かを訴えているように見えました。そして、「女」の哀感と艶麗さをも感じとりました。すばらしく人間的な視線。いや、人間を超えた生き物としてのやるせない視線。
そういうものを観て取って、私もやるせなくなりました。


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晴天の霹靂 投稿日:2002年 7月18日(木)06時14分23秒
現実の生活では、ほんとにこのようなことが多いですね。
私も、突然の身に覚えのない出来事に衝撃を受けることが、たまにあります。
悪因悪果。仏罰。そういうものが無意識のうちにたまっていたのでしょうか。
まあ、生きていくためには、いつまでもこだわっていてはいけませんね。


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白い船 投稿日:2002年 7月13日(土)09時20分5秒
「白い船」・錦織良成監督作品を松江で鑑賞しました。映画を観たのは十年ぶりですかね。
舞台は、平田市の塩津小学校。日本海に面した十数人の児童しかいない「二十四の瞳」の現代版といった場面設定。沖合いをいつも決まった時刻に通る「レインボーラブ」という九越フェリーの白い船。それに気付いていつも双眼鏡で見つめる男の子。いつしか学校中がその船と交流したいと考えるようになります。手紙のやりとり。ファクスの交信。……そして、子どもたちが船に招待されます。ラストは、塩津の漁港近くを子どもたちを乗せた船が通りかかります。すると、夥しい数の漁船が大漁旗を掲げて近づいてきました。陸の上では、たくさんの漁村の人々が手を振っています。主人公の子ども、先生も船上から手がちぎれるくらい盛んに手をふります。
「ただ、こうして手を振っているだけなのに、どうして涙がこぼれてとまらないのでしょうか」
先生(中村麻美)は最後に呟きます。

久しぶりに映画を観て、素直に泣けました。
そして、かつての名画「二十四の瞳」のシーンと重ね、そして、職場と重ね合わせて、いろいろなことを思いました。
今夏、全国で上映されますので、ぜひみなさんも御覧ください。


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訂正 投稿日:2002年 7月 3日(水)05時59分15秒
前回の書き込みの最後の「…なんとかとなければ」は、「…なんとかしなければ」の間違いです。
訂正します。
まだまだ、私は未熟ですね。


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生き方 投稿日:2002年 6月30日(日)06時04分50秒
近所で葬儀があり、役員をしている私は、仕事を休んだり、休日返上で「務め」をした。
ふだんあまり話をしないような人とも打ち解けていろいろ語り合うことができた。私とは別の世界で生きている人たちの話は、まことに参考になる。そういう生き方もあるなあ、なんて思ったりする。立派な人だなあ、と感心する。
自分より数段上をいっているなあ、なんて思ったりすると、石川啄木のような心境になり、「花」を買って、妻と楽しみたくなる。……人は偉い、なんとかとなければ。そう感じるこのごろである。


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書きたいこと  投稿日:2002年 6月22日(土)23時09分27秒
それは、たくさん有りすぎて、書ききれないのですが、父が戦地から帰ってきたときの記憶をもとに何かできないものかと、思っています。
できるかな。


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あちらこちら命がけ  投稿日:2002年 6月17日(月)23時37分25秒
これは、たしか坂口安吾の言葉だったと思う。わたしは、「生きるも地獄、死ぬも地獄」という言葉を日常繰り返し、襲いくるばけもののような様々なものに耐えています。
しかし、地獄のようなこの世にも仏神の慈悲はもたらされるのです。俗物の権化のような私でも、
「蜘蛛の糸」は垂らされてくるのです。ありがたいことです。糸にすがりついてくる人を私は蹴落としたりしないと思います。・・・そう信じたいです。


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片言隻語  投稿日:2002年 6月16日(日)08時11分41秒
前回の書き込みの「片言隻句」は、「片言隻語」と訂正します。


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返事があるということ   投稿日:2002年 6月13日(木)22時59分3秒
こんなこと・・・HPのことです・・・をやってて、一番の力になることは、返事をいただくこと、感想の書き込みがあることです。どんなお方か全く分からないという人でも、突然、書き込みをいただく。文章のニュアンスから大体年齢やおおまかな性格等はすぐに分かるものです。
言葉遣いにいたく感動することもあります。すごいひとだなあ、なんて思ったりすることもあります。
「○○○と申します」などというタイトルのmaleをいただいたりすると、今の世の中捨てたもんじゃないな、なんて感じてその人に興味・関心をつよく持ちます。
相手が有名人の場合、ほんの数行の返事の中に、瞬時に「人間」を感じ取ります。長年駄文を書いてきたので、片言隻句でもイメージできるのです。こりゃ自慢でもなんでもありません。だれでもできることです。
「寒いね」と言えば「寒いね」と答えられる人は、立派です。これは対面している場合ですが、maleのやりとりでも、こちらのこころの奥底を感じて、言葉を選んで書ける人はすばらしいですね。
そんな人に、私の方もなるように努力します。

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仔猫   投稿日:2002年 6月 4日(火)23時00分58秒
仔猫が、昨日も一匹貰われてゆきました。若い娘さんでした。「かわいい」と言ってくださって、
無上の喜びを感じました。長毛の「ロン」でした。「ロン」は、他の兄弟よりおっとりしていて、
いつもいじめられていました。
でも、貰われていって、きっと幸せになるでしょう。
涙腺過敏症の私は、あとで、少しうるうるになりました。……いい歳してからに。
残りは、三毛と白の短毛の二匹となりました。五匹が二匹となりますと、ほんとに寂しくなります。親猫は、心なし、うつろな感じでなりゆきを見守っていました。

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だれかが・・・。 投稿日:2002年 6月 4日(火)22時51分9秒
いつどこで、誰が私を見つめているかわかりません。認めるもの、認めないもの。いろいろでしょう。しかし、私は、私を通してゆきます。それしか、生きる道はありません。


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分身の術 投稿日:2002年 5月28日(火)23時14分7秒
あちらを立てれば、こちらが立たず。右顧左眄しているわけではありませんが、あちこち八方美人的に過ごしていますと、却って義理が果たせないし、信用を損なうことだってありますね。
だから、三つくらい分身がいればよいのに、と思うことしきりであります。
仕事が立て込むと、どこから手をつけていけばいいのか分からず、進むにも進めないし、引くにもひけないという極めてひどい状況になります。・・・今の私がそうなのであります。