とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

織田広比古という画家

2010-12-23 00:01:25 | 日記
織田広比古という画家



 織田氏は今夢中になっている画家です。先ずHPをご紹介します。

 織田広比古氏のHP


 織田氏は1953年東京に生まれ。1976年東京造形大学絵画科卒業。1990年二科展会友となる。1996年二科会会員に推挙さる。ところが、2009年若くして逝去。織田広喜氏の長男。

 私はこの程度の知識しか持ち合わせていない。しかし、画風を父君と比較するとよく似ている点がある。それは、いわゆる写実ではなく、女性像をかなりデフォルメして表現している点である。しかし、私は、ネット上でかなりの作品を鑑賞させていただいたが、広比古氏の作風につよく惹かれるものを感じた。
 仏像を描いた作品もある。氏が描く仏像は宗教的な雰囲気はあまり感じない。何かしらつるりとしていて女性的な風貌である。そこに親しみを感じた。
 作品のほとんどは女性像である。中でも裸婦が多い。
 一口に裸婦画とは言っても、写真のようなリアルなものやイラスト風のもの、豊満な肉体を殊更強調したもの、素朴な色合いのもの等々いろいろあって、洋画のジャンルでも非常に作風が多種多様である。
 織田広比古氏の裸婦は、簡単に言うとコケティッシュで言うなれば漫画的である。そこに詩的で幻想的な情緒がある。ある夢物語を見ているような、極論すれば、深層心理をやんわりと突いてくる刺激もある。だから、家に飾っておいても恥ずかしく感じるような作風ではない。まことに爽やかである。
 裸婦でなくても詩的で音楽的な情感が漂っている。バイオリンのような弦楽器を奏でている絵柄のものがよくある。服装はほとんどがカラフルなドレスである。月とか川とか池を背景に楽しそうに夢見ているように演奏している。顔は一様にシンプルな描き方である。深水 のような色っぽさはない。むしろあどけない少女の姿に描いてある。
 オークションに出るとたちまち高額となることが多い。だから、私は、非常に低額で落ちたものを一つ持っているだけである。一つだけだが、宝物のように大切にしている。
 世に美人画なるものがあり、とりわけそれが裸婦ともなるとすばらしく高値で取引される。洋画部門では微細な写実的画風の森本草介氏の作品はそのいい例である。背中から描く作品が多い。私もある種惹かれるものを感じている。
 ここで、広比古氏の作品を貼り付けたいのだが、それは出来ないので、HPでごゆっくり鑑賞ください。