フリージア工房 国道723号店

ハロプロメンバーを応援してアイドル音楽を愛するエッセイブログ

矢島舞美写真館 2008~2010

2010-06-20 21:34:52 | ハロプロ(℃)
 昨日は中澤裕子さんの誕生日でした。中澤姐さんはお世辞抜きに若々しく可愛い人です。いつまでも若々しい中澤姐さんでいてほしいと思います。

 中澤姐さんと言えば、元モーニング娘。リーダー。未だに一般的には、「モーニング娘。リーダー」でイメージされる人は中澤姐さんかもしれません。黄金時代のリーダーであった事も理由として確かですが、リーダーとしてのキャラクター性が非常にインパクトあったのが大きいように思います。
 その中澤姐さんのリーダー像というスタイルがあまりに強烈であったから、今のハロプログループの各リーダーおよびキャプテンは、自らのリーダー色を前面に出さなくなってしまったのかなと、ぼんやり思います。

 そんな中、中澤姐さんとは違う形で、みんなに好かれて担ぎ上げられるリーダーという今までにないスタイルを貫いているのが℃-uteの矢島舞美ちゃんです。
 その矢島舞美ちゃんが、この前写真集を発売しました。

 「矢島舞美写真館 2008~2010」と名付けられたこの写真集。雑誌「UP TO BOY」に連載された写真企画「矢島舞美写真館」を一冊にまとめたものです。2008年夏から2010年春までの矢島舞美が一冊に詰まっています。四季の変化と共に、少女から大人の階段を登っていく女の子の美を追求した一冊という表現も出来そうです。

 明るい矢島舞美。真剣な表情の矢島舞美。凛々しい矢島舞美。色んな矢島舞美が表現されている中、自分的に気に入ったのはこの一枚。

 デジカメを、ISO感度上げて片手持ちで撮影したので鮮明さはイマイチですが、実際の写真集は綺麗な写真です。スイマセン。
 この「海と制服と矢島舞美」というシチュエーションが青春映画ド真ん中な感じで、写真が綺麗なだけでなく、前後の動きまで想像出来てしまうような良さを感じます。そういう動きを感じる写真に見えるのは、まさに青春映画チックな一枚だからではないでしょうか。
 あと、この写真も好きです。

 非常に自然体というか、撮影の時は「はい行きます~はいOK!」みたいな一連の流れで撮られている一枚なんでしょうけど、そういう作ったポーズではないんじゃないか?と思わせてくれるカットですね。こういう自然な雰囲気の写真が好きです。

 他にも良い写真がたくさんありますが、それを紹介していくとネタバレ大会になってしまうので、気になる方は是非買ってくださいという事で、宜しくお願いします。
 他には、写真だけではなくインタビューも入っています。矢島舞美の一人語りという形式で、子供の頃の話から℃-uteとしての現在までを振り返っています。
 そのページの中にある子供の頃の写真が、なかなか貴重なショットが揃っています。ピアノを弾く姿や、野球をしているユニフォーム姿。レアな写真が楽しめます。


 自分はあまり写真集を買わないヲタなんですが、この「矢島舞美写真館 2008~2010」は矢島舞美ちゃんの事が好きな人なら間違いなしのオススメ本です。16歳から18歳までの変化が綺麗な写真で表現されています。それだけで、好きな人には理屈はいらないと思います。
 こういう「記録」的な写真集は是非他のメンバーでも出してほしいと思いますが、準備期間が長くなるからか、なかなか出ません。そういう意味でも、よくぞ出してくれたという一冊であり、これも連載のおかげだとも言えます。ワニブックスさんありがとうございました。

 先週、この写真の発売を記念してイベントが行われました。残念ながら落選して行けませんでしたが、かなりの手厚いサービスが行われたようです。当ブログと相互リンクしている、こちらのブログに参加レポートが載っていますので、イベント内容に興味のある方はお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/Jasmine029/20100614/1276471983
http://d.hatena.ne.jp/Jasmine029/20100615/1276530407
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ユーゴスラビアから今へ

2010-06-20 10:39:04 | サッカー
 グループリーグは意外な結果が続いています。初戦快勝したドイツがスイスに負けたり、フランスやイングランドが苦戦していたり。
 そんな中、大会前は弱いと思われていた国の善戦も光ります。48年ぶりのW杯勝利を挙げたチリ。W杯初勝ち点を挙げたニュージーランド。ブラジル相手に大善戦した北朝鮮。そして、大会参加国で一番人口の少ない(約200万人)のスロベニアの健闘。

 スロベニアは、かつて存在したユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立した国です。ユーゴスラビアという国は、かつて「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」と言われていました。「6つの共和国」とは、現在のスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア。これらの国の独立運動による内紛などのため、90年代には国際サッカー連盟(FIFA)や国際オリンピック連盟(IOC)から、国際大会への出場や対外試合の禁止の通達を受けた過去もあります。
 その旧ユーゴスラビアが最後に出場したW杯は、1990年イタリア大会。ユーゴスラビアはディエゴ・マラドーナのいる優勝候補アルゼンチンと準々決勝で対戦しました。ユーゴスラビアの監督は、元ジェフ千葉監督であり前日本代表監督であるイビチャ・オシム監督。

 試合は延長戦でも決着が着かず、PK戦の末アルゼンチンが勝利しました。オシム監督は千葉監督時代、ナビスコカップ決勝のPK戦で「心臓に悪い」とロッカールームに下がった事がありましたが、このW杯の時の事がトラウマになっているようです。

 当時のユーゴスラビアは、優勝の可能性もあると言われた強豪でした。東欧のブラジルと言われるセルビア人のテクニック。フィジカルに強いクロアチア人の守備。チームの攻撃の中心にいる司令塔ドラガン・ストイコビッチの華麗なプレイは観客を魅了したそうです。
 私はこの大会はリアルタイムで見ていないので、後から動画で選手のプレイを見ましたが、ストイコビッチのプレイは確実に当時の世界のトップレベルであったと思います。

 そんなユーゴスラビアが内紛と国際舞台への参加制限を経て、1998年に新ユーゴスラビアとしてW杯に出場しました。この大会にはユーゴスラビアから独立したクロアチアも初出場を決め、同じく初出場だった日本と試合をした事を憶えていらっしゃる方も多いかと思います。
 クロアチアのエースストライカーであるダボール・スーケルは、スペインの名門レアル・マドリードの選手であり、ズボニミール・ボバンはイタリアの名門ACミランの選手でした。
 対して、新ユーゴスラビアの背番号10の司令塔ストイコビッチは、ヨーロッパではなく日本の名古屋グランパスでプレイしていました。ヨーロッパの一流クラブでプレイ出来る素質を持ちながら、内紛や国際舞台への参加制限などに心身疲れた背番号10はヨーロッパを離れ、安らぎを求めてやってきた日本で新たなキャリアをスタートさせていたのです。
 元々は一つの国の代表であった選手達が、様々な事情を持って離散していく。政治とスポーツは別物と言われながらも、実際はスポーツは政治に振り回されるのです。

 W杯イタリア大会から20年という月日が経ちました。20年前のユーゴスラビアの監督は日本で名声を高め、日本のテレビ局のコメンテーターとしてW杯南アフリカ大会と関わっています。そのオシム氏は、ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナ出身。司令塔「ピクシー」(妖精という意味)ことストイコビッチは、選手生活を日本で終えて、今はその日本のクラブ名古屋グランパスの監督。クロアチアは今大会はヨーロッパ予選で敗退。代わりにという訳ではないけれど、スロベニアが出場して、その逞しいプレイっぷりで台風の目になりそうな存在。
 すべては、20年前のユーゴスラビアの人達には想像出来なかった光景であるかもしれません。
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