フリージア工房 国道723号店

ハロプロメンバーを応援してアイドル音楽を愛するエッセイブログ

ローカル線の旅の話~その9 山口県 ~宇部線~

2014-10-31 22:37:23 | 町と旅

 ローカル線の旅の話。第九回目、今回は山口県です。

 秋深まる頃、西日本の旅の途中に福岡で観たコンサートの余韻も冷めやらぬまま、山陽本線の宇部駅に着いた。昼公演を見終えて、夕方山口県にやってきたのだ。宇部駅の周りはあまり栄えていないが、宇部市の中心地はここではなく宇部線に乗り換えて行かなくてはいけない。夕暮れ時のしんみりとした空気の宇部線の電車に乗り換えた。

 宇部駅からすぐに宇部市の中心地宇部新川駅に着いた。小さいながらも鉄筋の駅舎は歴史を感じさせるがっちりとした天井の高い駅。駅近くのホテルを今夜の宿として、部屋に荷物を置き散歩を始めた。最初に向かったのは海。少し歩くと町はずれとなり、交通量の多い大きな道路に出た。その道路の向こうは海岸線だ。海岸線にはコンビナートが並び、薄暗くなり始めた空の下で威圧感を放っていた。私は道路の上に架かる歩道橋の上で海や道路を撮った。歩く人はおらず、行き交う車のライトが青い暗闇に浮かび上がる。そんな黄昏の風景を眺めたあと、町に引き返した。

 町に戻りアーケード街を見つけるが、まだ19時過ぎだというのにほとんどシャッターが下り、歩いている人もほとんどいない。夜にホテルで読む本を買いたいのだけれど書店はない。その時、やっと人を見つけて声をかけた。しかし、そのお兄さんはキャバレーの呼び込みであった。
 お兄さんは親切に近くの大通りにあるTSUTAYAを教えてくれたので行く。町と違い店内は割と人がいて賑わっている。
 そろそろ夕食をと思っているがめぼしい店がなく、ウロウロしているうちに駅前に戻ってきてしまった。ラーメン屋があるので入る。店員も客も全員二十代なのては?という活気のある店内。ただ、旅の風情はない。地元の人が入る類に店だ。

 ラーメンを食べたあと再び町歩きを始めた。地元についての話などしてみたくて飲み屋を探すが、これといった良い感じの店がない。そういう飲食店が一角に固まっていそうだけれど、そういう一角が見つからない。
 歩き疲れたので探すのはやめ、コンビニみたいな雑貨屋で地酒を買い、近くの手作りパン屋でパンを買った。ホテルまでの途中、歩道に屋根の掛かった大通りに出る。

 大通りだというのに商店のシャッターは閉まり、街灯も消え真っ暗である。屋根の掛かった歩道も誰も歩いていない。だがよく見ると、真っ暗なバス停のベンチにおばあさんが見動きせず座っていた。バスが来るのかどうかもわからないほど、ただひたすら静かで真っ暗なストリートに、じっと座る姿だけが闇に浮かんでいる。

 翌朝、宇部新川から新山口行きに乗った。白い車体に青と赤のラインの入った通勤型電車な宇部線の車内は高校生だらけで、沿線に女子校でもあるのか、圧倒的に女子が多い。みんな色白で可愛いく、ほとんどの子が黙って勉強している。宇部は勉強熱心な生徒が多いのかもしれない。

 電車は宇部の市街地をゆっくり走り、駅毎に高校生を乗せて走っていく。宇部岬か常盤駅を出たあたりから景色は田園地帯になり、ようやくローカル線らしい眺めになっていく。車内は変わらず静かで、レールの継ぎ目を叩く甲高い走行音が響いている。

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ローカル線の旅の話~その8 福島県~新潟県 磐越西線~

2014-10-11 12:00:16 | 町と旅

 ローカル線の旅の話。第八回目。今回は福島県から新潟県。

 ある年の七月、青春18きっぷを使って鈍行を乗り継ぎ、福島県の郡山に着いた。郡山は東北で二番目の商業都市というだけあって駅前は賑わっている。郡山から磐越西線(ばんえつさいせん)に乗って磐梯高原を抜け、大きな猪苗代湖のほとりを望み、会津若松で乗り換え喜多方に着いた。盆地特有のうだるような暑さが町を包む。夏真っ盛りだ。
 ラーメン屋に入ろうと駅前を歩くと、名物だけあって、店がいくつも並んでいる。都会にあるような専門店風情な店構えではなく、ラーメン屋というよりも食堂といった店構えの店が目立ち、それがまた良い感じに思える。中には店内に芸能人の写真が飾られているような店もあるが、「学生割引あり」と書かれた路地裏食堂みたいな構えの店に入る。学生、つまり地元の人を相手に商売している店だから味に外れはなさそうに思えた。
 運ばれてきたラーメンは鶏ガラのだしが香ばしい、期待通りの素朴な味わいの美味いラーメンだった。
 気分良く駅前の土産屋で冷えた地酒を買って磐越西線に乗り込む。喜多方からは乗客も少なくなり、車両も電車からディーゼルカーになり本数も少なくなる。

 景色は盆地から山間に変わっていき、小さな集落の駅が続く。それにあわせて、少しずつ車内は閑散としてくる。列車は新潟県に入り日出谷(びでや)という駅に停まった。屋根のない一本のホームを二本の線路が挟む無人駅。あたりは小さな盆地で家が少し集まっている。そんな普通の田舎の駅で駅弁が売っているのだという。

 時刻表には駅弁が売られている事を示すマークがある。半信半疑なところに、飲み物とお菓子と駅弁の入った籠をぶら下げた青年が現れた。駅弁を売っていると言っても列車は特別扱いはせず他の駅と同じように30秒くらいの停車時間で発車する。売れたのは飲み物とお菓子だけなようだ。立ち去る青年の背中が寂しげだ。

 日出谷はかつて会津若松方面の山間に向けて機関車の付け替えをしていた駅だそうで、その時間を利用して駅弁を買う人が結構いたのだろう。しかし、現在はローカル線でも一分でも早く目的地に着きたい人が増えた。時代の波から取り残されたままな無人駅の駅舎は、今は農協と同居している。

 緩い下り道を歩いていくと阿賀野川が現れた。山の麓なのに結構川幅が広い。斜面に木々が茂り良い眺めなので、しばらくのんびりする。
 駅に戻ると、まだ新潟方面の列車まで時間がある。喜多方方面に一駅戻ってみることにした。列車の到着時間が近づくと再び青年が現れたので、青年から駅弁を買って列車を待つ。やってきた喜多方行きの乗客からは飲み物しか売れずに発車。

 一駅隣の豊実駅は福島県との県境に近い小さな集落にある小さな駅だった。西日を浴びながら散歩をすると時間がゆったり感じられる。山の麓の農村の眺めは夕日の色に染まり、空気は山の冷気を含んで涼しげ。こういう観光地ではないけれど景色が良い無人駅は落ち着く。空が大きい。
 豊実から新潟行きに乗り再び日出谷を通る。この列車も、飲み物とお菓子しか売れなったように見えた。青年は走り去る列車に一礼する。私はそれをなんともいえない気持ちで見つめた。

 日出谷駅が見えなくなってから私はシンプルなデザインの駅弁の包み紙を開いた。中は素朴な盛り付けの鳥そぼろめしだ。ご飯も、だしの利いたそぼろも美味い。これぞ正調な田舎のご飯だと思った。夕日に照らされた山々を眺めながら食べるのに、これ以上ない弁当だと。

※日出谷駅は現在は駅弁販売終了しています。

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ローカル線の旅の話~その7 北海道 上砂川線~

2014-09-25 23:41:59 | 町と旅

 ローカル線の旅の話。第七回。今回は北海道てす。無くなる時に人はそれを祭にする。そんな話。

 私はある年のゴールデンウィーク、札幌から旭川行き特急スーパーホワイトアローに乗り砂川で降りた。ここで函館本線から函館本線に乗り換える。これから乗る路線には特定の線名が付いていないので、そういう表現になる。
 特定の名前が付いていないために函館本線の一部とされ、これまで廃止を免れてきた。だがJRとしても、さすがに利用者の少ない支線を放置しておく訳にもいかず、ついに廃止となるのだ。地元の人は「上砂川線」と呼んでいるそうだ。それにしても、特急の停まったホームはそれなりに立派だったが上砂川線のホームが見当たらない。
 よく見ると木造の古びた跨線橋が雑草の茂る空き地の先に延びていて、そこの端にホームらしきものがある。白っぽい跨線橋は昔の蒸気機関車の煤で黒っぽくなったまま建っている。空き地は炭鉱で採れた石炭を積む貨車を置いていた貨物用の線路があった名残だろう。このあたりは昔は炭鉱で栄えた地域である。

 上砂川線のホームは屋根もなく空き地のはずれにひっそりと存在していた。空はだんだん雲が厚くなり、陽は傾き始めている。白いディーゼルカーが一両でやってきた。ホームには人はまばらだったけれど、車内は結構人がいる。その乗客のほとんどが鉄道ファンなのは、皆が一眼レフを待っている事でわかる。

 私は進行方向左側に座った。隣の席では鉄道ファンが地元の人と上砂川線の話をしている。地元の人も残念だと言いながらも表情はサバサバしているように見える。廃止されるべくしてされる線なのかもしれない。列車は砂川の市街地をすぐ抜けて平野から緩い丘陵に入っていく。左側に川が寄り添い、並行して走る道路沿いにも家はまばら。

 上砂川線はそれほど長い路線ではないので30分くらいで終点の上砂川に着いた。駅は思っていたより立派な駅で、小さいながらも駅舎があり待合室もある。そして女性駅員もいた。小さな駅前広場に出ると人が大勢いる。車で記念撮影に来ている人もいる。というか、列車で来ている人よりも車で来ている人が多い。廃止になるという事でいろんな人が駆けつけてきているのだ。
 振り向いて駅舎を見ると駅名標が上砂川駅ではなく悲別(かなしべつ)駅となっている。以前テレビドラマの舞台になり、この駅が悲別駅として使われたらしい。待合室にはロケ中の写真が飾ってある。上砂川線は廃止されればレールは消えるけれど、きっと上砂川駅、いや悲別駅は観光名所として残るのだろう。
 悲別という名前とは皮肉に、駅の周りは悲しい別れという雰囲気ではなく、ちょっとした祭りな光景になっている。帰りの砂川行きは満員となり、ホームには大勢の人が見送りに出た、その中に色白で美人な駅員さんも手を振っている。廃止を目前に控えた上砂川線最後のゴールデンウィークは、去るものへの祭りで賑わう。その姿には哀愁めいたものは無いように思えた。手を振る人たちを見ていると不思議なもので、どこか感傷的な気分はなくなっていく。祭りの範囲気がそうさせたのだろう。

 行きと同じ風景を眺め、日が落ちてきた砂川に着く。先ほどと同じように空き地の中の寂しいホームが現れる。ここには祭りはない。ようやく現実に戻り、私は跨線橋を上った。

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ローカル線の旅の話~その6 高知県 土讃線~

2014-09-18 23:29:08 | 町と旅

 ローカル線の旅の話。第六回。今回は高知県です。

 残暑厳しい季節、高松から高知行きの特急に乗った。香川県と高知県を結ぶ主要路線である土讃線(どさんせん)は電化されていないので特急も鈍行も電車ではなくディーゼルカーで、しかも単線。幹線だけど実態はローカル線である。
 雨が少ないので溜池の多い讃岐平野を抜けて山間に入ってきた土讃線は、高知県に入ると更に山深い風景に車窓を変えた。谷はとても険しく頂は高い。100m以上はあるかという高さ。深いところだと200mほどの高さだという。そんな渓谷を川に沿って線路は左右にカーブしながら続いている。
 私は大歩危(おおぼけ)という駅で降りた。谷が深く急な斜面を形成しているので駅は川面に近い低い所にある。字面の通り、鉄道のない大昔は歩くのがとても難しく危険な所だったのだろう。マイクロバスが回転できるくらいの狭さしかない駅前広場から延びる道路は駅前から急な坂道になっている。基本的に平坦な部分のない駅前風景である。
 ここから更に奥に入っていくと祖谷(いや)という集落があり、そこは平家の落人が流れ着いて住んだという言い伝えがある。かずらを編んで作った吊り橋「かずら橋」というものもあり、嶮しくそびえる谷に架かっている。
 そういう観光地に向かうのも悪くないけれど、暑くて仕方がないので駅前の大衆食堂に入った。古びたサッシの戸を引くと、飾りっ気のない店内は何十年前の内装といった造りだ。食堂の片隅にあった本棚には1980年代の少年漫画の単行本が並んでいる。手書きのメニューから私はアメゴ定食というものを注文した。
 出て来たのは身がプリッとしていて脂の乗り具合がさっぱりした川魚で、美味しかった。店は空いていたが、それは単に時間帯が昼食時から少しずれていたためだろう。昼食も済んだところで、特急で一つ先の大杉駅に行ってみることにした。
 大歩危ではとても深かった谷は大杉のあたりから川幅とともに広がり始め、線路の周りにも少しばかりの平地が広がっていた。それでも、景色はまだ渓谷と呼べる深さを保ち、夏の夕方の日差しが木々を斜めから包み込んで淡く照らしている。大杉の集落は駅のまわりに京成されている平地に広がっている。。集落を一回りしてから川を橋の上から眺めた。せせらぎの音が残暑を忘れさせてくれる。冷えたラムネが飲みたくなるような、そんな緑の風景だ。

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ローカル線の旅の話~その5 三重県 紀勢本線~

2014-08-29 22:00:33 | 町と旅

 ローカル線の旅の話。第五回は三重県の話です。

 大晦日が迫り、買い物客で賑わう名古屋から電車と気動車を乗り継いで多気(たき)という駅にやってきた。駅舎も駅前通りも小さいけれど、紀勢(きせい)本線と参宮線が分岐する主要駅だ。駅前の雑貨屋でおやつを買い出しして鈍行に乗り込む。
 多気から乗った気動車は国鉄時代からのくたびれた車両で、座席は少し硬めだが座り心地は良い。車内は閑散としていて、先生と中学生くらいの生徒十人ほどの集団がいるのが目立つ程度。その一角だけが明るい。何かの部活の帰りだろうか、会話が和気あいあいといった感じで弾んでいる。
 紀勢本線の鈍行は山中に入っていき薄暗い小駅に停まりながら走る。薄暮れに迫ってきた車窓から眺める小駅はどこか寂しげで、冬の張り詰めた風に吹きさらしになっているホームには人の姿もほとんどいない。そんな風景の中を走っていくうちに、ようやく少し町な駅である熊野市に着くと、先生と生徒達が降りていった。木工が盛んなこの町で今夜は泊まろうかとも思ったが、もう少し乗っていたい気もするのと、今夜は港町に泊まってみたいので、その先の尾鷲(おわせ)まで行く事にした。尾鷲は雨の多い事で知られる港町。

 すでに薄暗くなり始めた尾鷲に着くと、宿を探す事よりもまずは駅前の一本道を歩いて港に行った。誰もいない海に陽は沈む。
 部屋の空いていた駅前の小さく綺麗な鉄筋旅館に荷物を置いて、まずは銭湯に向かった。線路沿いに少し歩いた所に古びた銭湯があった。銭湯で暖まってから帰りは来る途中に目星を付けた居酒屋に入る。小さな町なのであれこれ選べるほど店はないが、なんとなく良さそう予感のする店である。
 店内は忘年会の最中だった。カウンターの奥に一人で店を切り盛りしてる女将さんの姿がある。四十代前半くらいな雰囲気の女将さんは「ごめんなさいね。八時半で(忘年会は)終わるからそれでも良ければ」と言う。
 私はカウンターに座りテレビを見ながら夕食的な飲み方をした。座敷の忘年会は予定通り終わり店内にはお客さんはいなくなった。
 ようやく始まった女将さんとの会話で、町の話などをした。女将さんは穏やかで品のある喋り方で、見た目も含めて失礼ながら田舎の小さな飲み屋に立っているのが勿体ないレベルと思わされる人だった。その女将さんが「実は私、東京にいた事があるの。大学は田町にある大学を出たのよ」と言ってきた。田町の大学と言う事はあの大学の事だろう。私は驚いた。田町の大学を出た人が、どういう経緯でこの港町で小さな飲み屋を一人でやっているのかは、さすがに聞けなかった。
 帰り道は夜風が生暖かかった。南国の風だ。

 翌朝、更に南な和歌山方面に向かう。海岸線は複雑で険しい地形で、駅が現れる度に深く切れ込んだ入江となり、駅の周りに小さな漁村が存在する。この深く切れ込んだ入江を利用して、大昔は水軍、つまり海賊がこの地に住んでいたのだという。道路などない時代、深い入江は人に見つかりにくい絶好な隠れ家だったのだろう。
 今は小さな無人駅ばかりの漁村地帯。そんな景色を古びた気動車は少し哀愁味のある音色の汽笛を奏でて走る。

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ローカル線の旅の話~その4 宮崎県~鹿児島県 日南線~

2014-07-23 23:22:39 | 町と旅

 ローカル線の旅の話 第四回。今回は宮崎県です。

 ある年、初めて宮崎県を訪れた私はそのまま鹿児島に向かうつもりでいたけれど、宮崎県南部の町都城から先は台風の影響で不通となっていた。予定変更を余儀なくされた私は宮崎市まで戻り日南線に乗ることにした。今夜は日南線の終点志布志(しぶし)に泊まろうと決めた。
 南宮崎で日南線に乗り換え車内に入ると、夏休み最後の日に宮崎で買い物をしてきた中高生で満員だった。海が見える進行方向左側は埋まり、仕方なくドアの近くのロングシートで向かいの人の頭越しに海を眺めた。
 青島を過ぎて日南市に入ると青々とした海が広がる。車内の女の子はみんな色黒で瞳パッチリ。
 日南市は港町の油津、お寺が多い小京都な飫肥(おび)など駅ごとに良さげな町が現れる。市内のはずれの南郷まででほとんどの乗客が降り、ようやく海側の席に移ったら景色は海岸から峠の山村の景色に変わってきた。
 海と山の景色を両方持つ日南線。人家の少ない農村に夕日が当たり景色が鄙びてくる。宮崎県の南端の町である串間を過ぎると今度は平地に雄大に広がる畑の景色に変わった。その広い眺めは北海道の道北あたりを思わせ、ここも南の果てなんだと心がゾクゾクした。
 福島高松という畑の中の無人駅で反対方向の列車を待つため停車。運転士がエンジンを切ると物音一つしない静かな駅になった。

 終点の志布志は港町。かつては日南線の他に2つの路線が分岐していたので駅にはその跡形の空き地が広がる。
 駅前の老夫婦が営む小さな旅館に泊まることにした。一階が居酒屋を兼ねていて、そこで夕食となった。ニコニコと笑顔を絶やさない無口な旅館兼居酒屋の主人のおじいさんが刺身を運んできた。港町志布志の夕食はとても美味しかった。
 ほろ酔いで港を歩きたくなり、女将さんのおばあさんに出かけますと一声かけてから、海岸に散歩に出かけた。南国な志布志は8時近いのにまだ空がうっすらと明るかった。随分と遠くまでやってきたんだなと思いながら海を眺めた。

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ローカル線の旅の話~その3 富山県氷見線~

2014-07-14 22:27:29 | 町と旅

 ローカル線の旅の話。今回は富山県です。

 高岡市には路面電車が走っている。泊まったホテルの前の道を電車が駆け抜けていった。
少し歩いた所にJR氷見(ひみ)線の越中(えっちゅう)中川駅があった。町中の小さな駅は高岡駅に向かう高校生で賑わっていた。私は逆の方向の氷見(ひみ)行きに乗る。
 氷見線はしばらく高岡の町中を走ると、やがて製紙工場の工業地帯に入った。あまりローカル線っぽくない風景だけれど車両は古びたディーゼルカーで風情はある。
 伏木を出た辺りから前方に日本海が見えてきた。線路は海に向かって真っすぐ伸び、だんだん海が大きく見え始めた頃、直角に左に曲がった。そこからは海岸線の横を走る。義経と弁慶が雨宿りをしたという雨晴(あまはらし)海岸と雨晴駅を過ぎると終点の氷見。

 氷見は北前船の港町でブリが名物だけど、まだ朝なのでそういう気分になれずにいると少年が写真を撮ってくださいと声をかけてきた。駅名標と少年の2ジョットを撮ってあげた。
 少年は新宿区に住む高校生で周遊券で北陸を旅していた。私も同じ切符だけれど、それは特急と急行の自由席がタダになるので便利だからだ。北陸は特急が多い。しかし彼はとんでもない使い方をしていた。大阪~新潟を走る夜行急行「きたぐに」の自由席を宿代わりにしていたのだ。自由席だから座席である。
 今日もこれから新潟方面に移動して夜は大阪行の「きたぐに」で寝るそうだ。明日は福井県あたりをブラブラして新潟行の「きたぐに」で寝るのだろう。そんな旅を10日ほどするらしい。
そんな彼と旅の話をしながら高岡行きに乗って氷見線を引き返した。訪れた駅で記念写真を撮ってるという彼の話は明るかった。
 高岡駅に着き、金沢方面のホームに向かうために跨線橋の上で彼と手を振りながら別れた。「良い旅を!」と、お互い笑顔だ。いろんな形の旅がある。だから面白いのだなと後ろ姿を見送った。

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ローカル線の旅の話~その2 岩手県岩泉線~

2014-07-08 22:51:57 | 町と旅

 ローカル線の旅の話。今回は岩手県。

 春に三陸鉄道が全線復旧したのは嬉しかったけれど、その陰で岩泉線が廃止になった。災害で休止していたのが復旧させる予算とメドがつかなかった。
 もっとも岩泉線は人里離れた山奥の森と深い谷を往く線だから大金かけて復旧させるのは難しかったとは思う。
 深い谷の中腹を走り、途中の駅はいわゆる秘境駅ばかり。森の中にポツンとホームだけあったある駅なんて、すぐ横に廃屋があった。とにかく人家の少ない所を走る岩泉線。
 しかし、終点の岩泉は小さいながらも町がある。日が暮れそうな秋から冬にかかった日の夕方、駅前を歩いた。
 町に向かって歩いているのは自分と、孫の手を引いて歩くおじいさんだけ。そんな二人の後ろ姿を見ながら薄暗く道だけ立派な駅前通りを歩く。向こうに灯りが見える。そこが町らしい。
日が完全に暮れた頃、岩泉の町に入った。それほど店がある訳ではないが、山奥を通ってきた身には立派な通りに思えた。
 折り返しの列車の時間が気になるので駅に戻る。
駅舎かと思って入った建物はバス乗り場のための待合室だった。岩泉駅は鉄道よりバスが主役なようだ。
 がらんとした待合室には小さなストーブがポツンと置かれ、その前に小さなおばあちゃんが一人座っていた。物音しない待合室で時間まで過ごした。
 岩泉線の起点茂市(もいち)駅に戻り、夜は三陸を代表する港町宮古に泊まった。町のなんてことのない構えの寿司屋に入って、旬を見繕って握ってもらって食べた寿司はとても美味しかった。今でも私にとって日本一の美味しかった寿司は宮古の寿司だ。

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ローカル線の旅の話~その1 北海道夕張~

2014-06-30 23:29:19 | 町と旅

 最近、ツイッターでローカル線で旅をした時の話をつぶやいています。ツイッターだと書いたものが流れてしまうので、ブログにまとめて形にしておきたいと思いました。そんな訳で、そのローカル線の旅の話をまとめたものを、随時掲載していきたいと思います。第一回目は北海道の夕張の話です。


 自分の旅の記録を見ても6月はあまり旅をしてないけれど、どこか行きたい気分MAX。
 過去の6月の旅で思い出深いのは北海道の道東から夕張へと回った旅。吹く風の心地よさ。湿気の少ない北海道ならではだった。
 よさこいソーラン祭りを大通公園で見て、その夜の夜行で札幌から釧路に向かった。3時くらいにはもう空は明るくなり始めた。ジャガイモ畑の広がる十勝平野に昇る太陽は大きかった。
 釧路からは釧網本線の始発列車。見渡す限り原っぱが広がる釧路湿原の雄大さに息を飲んだ。

 夕張はどの駅前も時代の流れが止まってるかのような静けさがあった。かつて炭鉱で栄えた夕張の栄枯盛衰が車窓からも垣間見えた。
 鹿ノ谷という無人駅で降りたのは自分とJK一人。JKは小さな駅舎の待合室の掃除を始めた。終わるのを見計らって声をかけて夕張の話を聞いて、記念写真を一枚撮った。
 夕張では古い木造旅館に泊まった。他にお客さん無し。おかみさんは優しいおばあちゃん。6月なのに石油ストーブを焚いて夜を過ごした。
 夕飯は近くの居酒屋。カウンターにたくさん並んだ煮物から好きなのを指差してという元気な女将さんの盛りつけた煮物で酒を飲んだ。寒くも温かかった夕張の夜。

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フォトメモリーズ その2

2011-03-18 22:30:28 | 町と旅

 ~この度の震災で被害を受けた方々へお見舞い申し上げます。そして、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。~

 前回に続いて三陸の写真を掲載いたします。今回は岩手県の沿岸部の町を載せてみました。


 盛岡から山田線に乗ってやってきた宮古駅。北上山地は雪深かったのに、太平洋沿岸部の宮古は雪がありません。構内が広いです。


 山田線の釜石行きに乗り換え。宮古~釜石間は海に沿って走ります。三陸海岸らしさ溢れる眺めを撮影。


 浪板海岸駅。ホームの向こうに見えるのは民宿でしょうか?こういう古びた民宿が案外食事が素晴らしかったりします。私的には建物が古くても食事がとても美味しいのならば大満足です。


 吉里吉里は井上ひさしさんの小説「吉里吉里人」のタイトルの由来になったらしき所。変わった駅名で、思わず降りて散策してみたくなるけれど山田線は本数が少ないので予定外な行動がやりにくいのです。


 大槌駅。ホームでの風景には、全国どこにでもあるような日常が写し出されています。こういう日常がとても尊いものであると今は思います。


 釜石駅で食事をしたあと、釜石の町を散策しました。三陸はどこの町も昭和、それも1970年代あたりの雰囲気に包まれているのですが、釜石も古びた商店街が広がり、私の好みの町でした。駅の裏では新日鐵の製鉄所があり、大きな煙を空に飛ばしています。


 港に出ると桟橋があります。この桟橋で朝市が開かれるのですが、今は昼過ぎなのでひっそりとしています。


 港もいい感じの錆びた色合いが、太平洋らしさのある鮮やかなブルーの海と調和して綺麗です。しばらくの間、海を眺めていました。


 この日は内陸部に向かって北上に泊まり、翌日は仙台空港を見学してきました。ロビーには牛タンの店があるのがさすが仙台です。綺麗な空港でした。色が変なのは窓越しに撮っているからです。

 以上、今回は岩手県を中心にお届けしました。いつかまた三陸を旅で訪れたい。災害を受けた町は災害後は観光客の客足が鈍る傾向にあるそうですが、町が復興してきたら現地を観光で訪れるのも立派な義援です。町の人達も笑顔で旅人を迎えてくれる筈です。早くそういう日が訪れるといいなと心から思います。

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