橡の木の下で

俳句と共に

「新宿百人町吟行」令和2年『橡』1月号より

2019-12-27 15:21:27 | 俳句とエッセイ

  新宿百人町吟行   亜紀子

 

 十一月の東京例会はいつもの代々木国立オリンピック記念青少年総合センターではなく、新宿区百人町にある俳人協会俳句文学館の会議室で開かれた。それに応じて例会前の小吟行は大久保界隈百人町を歩いた。

 百人町については十一月号の首都圏歳時記に、姉羽さんが分り易い記事を寄せられている。町の細長い短冊状の区画、狭い路地はお江戸を警護した伊賀組百人鉄砲隊の屋敷跡の名残とのこと。現在は韓国・朝鮮を中心に、中国、東南アジア、インド、中東などの生活物資を売る店、飲食店などが並ぶ多国籍タウン。そうしたエスニック系の店を目当ての若者も集まる。いささか年寄った若者の私たちは、新大久保駅近くの皆中神社(百発百中のご利益)に集まった。神、仏とは縁遠い私もにわか信心でお守りをいただく。あとは姉羽さんを信じて迷子にならぬよう後ろを付いて回る。

 六年程前、おこじょ会の吟行でもこの近辺を歩いている。やはり姉羽さんの案内。町野先生と一緒に。ちょうど一月十七日阪神忌だった。降り立った新大久保駅前には数日前の雪が片寄せられて残っていた。小泉八雲旧居址を尋ねたり、綺麗な色のチマ・チョゴリの店を覗いたり。路地を行けば軒端は途切れなく雪解の雫。句会は韓国料理店で。先生はマッコリはお好きでないというような会話を交した記憶。甘いお酒は苦手ということだったような。

 切れ切れの思い出はあるものの、初めて見るような気持ちもしてくる。実際あれから街はだいぶ変わっているようだ。ドラッグストアの軒先で棗を売っていた。

大きく艶つやした生の実。韓国人らしい店員さん曰く、報恩産、ここの棗は韓国で最上品、今だけの期間限定。良い名の土地だなと思い、一つ齧らせてもらう。甘酸っぱい林檎に似た懐かしいあの味。干したのもあり、私は軽い干し棗のほうを買った。

 二十五年も前のカナダ時代。家族ぐるみで仲良くさせてもらっていた若い韓国人夫婦。次女が生まれて病院から戻ったとき、そのご主人がやって来てやおら台所に入ると、韓国で産褥に良いとされているスープを作ってごちそうしてくれた。仰山の和布と少しの牛肉を胡麻油でよくよく炒め、塩こしょうで味付けして水を加えて煮込んだもの。身体が温まった。彼らは新婚で、まだ子もない若者だったのに、心こもったお祝いに感激した。

 或るとき、その二人から二枚の絵を見せられた。一枚はやや暗いトーンの静かな風景画。一枚は抽象画。どちらが好きかと聞かれ、私は風景画を選んだ。奥さんもそちらが好みと言う。風景は典型的な韓国の田舎の景色とのこと。二つともご主人のお姉さんの作品ということだった。ご主人が「この絵の頃はまだ良かったのだが、抽象画のころはもうダメだった」と言われるので、どういう意味かときょとんとしていると、お姉さんは精神を病んで回復に至っていないということだった。それ以上は何も尋ねなかった。当時、韓国の医師資格を持つご主人は働きながらカナダ医師免許取得のための勉強中、奥さんは大学院で勉強中だった。それぞれ目的を果し、さらなる人生もあちらで送っている筈だが。お互いにやり取りも無くなって久しい。記憶の中では時は止まっている。あの二人ももう良い年になっただろう。

 さて、例会前の腹ごしらえはやはり韓国料理屋でランチ。ニンニクと唐辛子を全て平らげて元気百倍。他のお客さんの韓国語、中国語などが普通に聞えているのがこの辺りらしい雰囲気。ちょっと覗いた小さな小売店は棚から棚へところ狭しと品物を並べているのも雰囲気。タイ米も、何と豪州米も十キロ袋で積まれているのが生活感。物珍しい瓶詰や香辛料などなど、興味津々。

 二〇二〇年一月の例会はオリンピク記念青少年センターで行うが、その後は五月大会を除いて俳句文学館が会場となる。東京オリンピック開催で青少年センターが使えない。ではこの次の百人町散策の折には、にわか若人になってエスニック系食材を買って帰ろう。多少荷が重くなっても運べるよう、リュックを背負って行こうかと思う。


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選後鑑賞令和2年「橡」1月号より

2019-12-27 15:17:28 | 俳句とエッセイ

 選後鑑賞    亜紀子

 

黄落や畳敷きなる天主堂 寳來喜代子

 

 キリシタンの歴史は一六世紀に遡り、禁教、抑圧により潜伏。時流れ、禁を解かれて自由を得た十九世紀後半、天主堂、即ちカトリック教会が建てられる。現在は信仰の場としてはもちろん、その文化的遺産としての価値が認められている。掲句の教会も長崎、天草地区などのそうした建造物の一つだろう。畳敷きの素朴さに日本に根付いた信仰の純情を感じ、黄落の明るさにのびやかな開放感を覚える。

 愛知県犬山市の明治村に明治四十年創建の聖ヨハネ聖堂が京都市より移築されている。プロテスタント教会で、ヨーロッパ風の概観である。二階が礼拝堂、一階は広間として開放されている。広間は子供の遊び場で、壁から滑り台のような構造の板があって子供達は靴下を脱いで飽きることなく滑って遊んでいた。畳敷きの語にあの幼子の素足の感触を思い起こした。

 

魚市へ蜜柑売り来て籠を置く 大野藤香

 

 小さな浦の小さな朝市のようだ。魚介のみならず、近所の畑作物や、果物なども売られている様子。捥ぎたての蜜柑を売りに来た人も、勝手知ったる地域のお仲間と見える。背負った蜜柑籠を下ろし、特別に断りを言うわけでもない。いつも通りの慣れた所作が感じられる。作者は山盛りの蜜柑の色に目を奪われたのだろう。こんな素朴な市をふらりと旅してみたいもの。

 

ディズニーへ孫の案内や神無月 大澤文子

 

 いきなりのディズニーの語に先ず意識が向く。お孫さんに連れられての微笑ましい状況が分る。さて、下五に置かれた神無月になるほどと思わされた。実際その通りで、新暦ならちょうど十月頃の天気に恵まれた日、旧暦ならおよそ十一月、刈り入れも終り一段落した頃に旅されたのだろう。ことさら神様と関係があるわけではないが、出雲へ旅立たれた神々よろしく電車に乗って出かけディズニー巡りの作者の姿。どことなく重なって、季語の斡旋に納得。

 

遠巻きに子らの見守る穴まどひ  深谷征子

 

 冬眠する前の秋の蛇、あるいは当然眠っている頃なのにまだ見かける秋の蛇。穴惑いの季語のニュアンスだろうか。自分の子供時代はヤマカガシやアオダイショウなどごく普通に見かけたのだが、最近はめったに目にすることはない。季語になっているくらいだから、昔の人は蛇の生態に親しく、気温もだいぶ下がってから目にする蛇に特別の思いを持ったということか。夏の盛んな頃とはその動きも違って見えるのだと思われる。掲句の蛇の様子がいかにも秋の蛇らしい。それは蛇を避けようとはせず、遠巻きながら見つめている子供たちの様子から察せられる。穴窓いの実写。

 

縁側を鏡拭きして月を待つ  萩原肇

 

 鏡拭きの語に惹かれた。縁側をピカピカに磨き拭いて、供え物を設え、今宵の月を待つ。床しい習慣。自ずと鏡のような望月が想像される。

 

色褪する木々の溜息暮の秋  青山政弘

 

 上五中七、晩秋の風情が濃く漂う。シャンソンの一節を思い出した。

 

あいさつも風もあたたか今朝の冬 相川寛子

 

 暖冬は気候変動の表れかもしれないが、掲句のような日は有り難い。

 

刈上げの餅といそいそ米洗ふ  塩野澄江

 

 その年の農事を無事に終え、収穫を感謝して餅をつき神に供える刈上げ餅の行事。一年でも最も喜ばしいハレの日。旧暦の九月の終わり頃という。掲句、米を洗う段からもういそいそと喜びが溢れている。

 

 


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令和2年「橡」1月号より

2019-12-27 15:13:11 | 星眠 季節の俳句

大白鳥大和島根に来て餌づく  星眠

             (青葉木菟より)

 

 音韻のおおらかさ、内容のおおらかさ、

     心に呼び覚まされる日本の風景。

              (亜紀子・脚注)


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草稿12/27

2019-12-27 09:44:16 | 一日一句

凩に残る月日が飛んでゆく  亜紀子


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草稿12/26

2019-12-26 10:06:02 | 一日一句

懐かしき焚火の匂ひいづくより  亜紀子


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