Nonsection Radical

撮影と本の空間

もし独裁者ならば

2016年10月24日 | Weblog
街中で流れる特に公共交通機関の注意喚起アナウンスを全廃してやる。
そして本当に必要なものだけを厳選し、適した音量で必要な時にだけ流れるようにしてやる。
途切れることなく、手を出すな、端を歩くな、電話をするななどなど効果も考えずに、ただ責任逃れの言い訳のためにだけ流される注意喚起アナウンス。
次の駅に着く寸前まで「乗車の際の注意」をくどくど大きな音声で流す電車。
本当にこれで効果があるのだろうか。
効果があるのならホームからの転落もないだろうし、ドアの荷物の挟み込みもないだろう。
アナウンスで防止できないものをアナウンスだけで済ませてしまっている。
不注意での事故は自己責任だろう。
大人が子供に教え聞かせて伝えていけばいいことを、安直にアナウンスだけで済ませようという考えがさらに安易な考えの人間を生んでいる。
電車内での通話を禁ずる根拠は?優先席付近で電話の電源を切る根拠と効果は?そもそもアナウンスをする効果は?
それをどれほど考え抜いてやっているかの数値的説明は?
な〜んにもなくて何も考えずに従来通りのことの繰り返しではないのか。
その結果が無駄な”騒音”である。
社会がすべて注意喚起アナウンスであふれ、誰もそれに注意を向ける気にもならない。
そんなものなくしてしまえばいいのだ。
必要なことは必要な人が各自伝えていけばいいのだ。
それがオトナの社会というものだろう。
頭を使わない幼稚な社会なら独裁者が必要なのかもしれない。
無駄な騒音アナウンスのない静かさが欲しい。



小田急 向ヶ丘遊園駅南口前
神奈川県川崎市多摩区登戸
撮影 2016年9月9日 金曜日 15時15分
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする