Nonsection Radical

撮影と本の空間

止まった電車の中で原発事故を考える

2013年08月08日 | Weblog
”誤報”だった地震情報で、関西の国鉄は全面的に麻痺した。
誤報情報はすぐに伝わったから、すぐに運転再開できそうなものだが、そこは自慢の運行システム。
いざ運転が止まったら、昔のように「線引き屋」がダイヤを手動で調整するような時代遅れではなく、システムコンピュータのすべてのプログラムをリセットして(としか思えない)スタート地点にすべての車両と人員を配置し直して、始発のようにリスタートしないと一本も動かないようだ。
関西の場合、とにかく動かすのは「新快速」で、それ以外の電車は新快速の隙間を縫って走る事になる。
それで大阪駅で各駅電車はずっとずっと待ち続ける事になる。
もちろんいつまでたっても来ない新快速を先行させるためだ。
そういうシステムになっているのだろう。
それはそれで構わない。
ただ駅や車内放送で「地震情報のため」とは言わないで欲しい。
「運行ダイヤ調整のため」ぐらいの他人事ではない”良心”が欲しいものだ。

また途中駅で長時間停車したままになっていたのだが、車内放送では「ホームで具合の悪い人を介抱していて」という。
なぜホームで介抱していると電車が発車しないのかがわからないのだ。
ホームの具合悪い人は、駅員に任せるのが”連携”ではないのか。
それとも、ホームに具合の悪い人がいた場合、電車はずっとずっとずっと停車したままでいると決まっているのか。
決まっているのなら、その合理的理由は何か。
それがわからない。
もし動かす事が出来ない状態で疾病人がホームにいた場合、それに合わせて2時間でも5時間でも動かないのか。
もし途中で動かすとすれば、その合理的判断の理由はあるのか。
それもわからない。
やはり運転再開後の車内放送では「地震情報とホームでの介抱で」とそれだけでは理解出来ない理由しか言わなかった。
それを責めているわけではない。
車掌など何もわからないのだ。
権限もない。
ただマニュアルに沿って正しい行動をしているだけだ。
問題なのは”マニュアル”の存在と価値であろう。

電車が動くまで、ボッと座っていたのだけど、原発事故処理の事が頭に浮かんだ。
現場では現在も多くの人が対策処理のために働き続けている。
事故対処のためだ。
そこには前もっての計画があるわけではない。
マニュアルもあるわけではない。
何も対策がない事故に対して対処しているのだ。
次々に想像を絶する現象が現われる。
漏水問題もだ。
まさか原子炉の底が抜けるとは思わなかった。
まさか放射性物質が漏れだし、それを止める事が出来ないとは思わなかった。
まさか地下水がこんなに海に流れているとは思わなかった。
すべて事故想定した事以外の事が起こり、それをどうにも出来ない状態で、とりあえず毎日目の前の対応に追われているだけなのだ。

こんな状態と、事故さえなければ精密なダイヤ通りに動くが、いざ何か起こればいつまでも運行に支障をきたして元に戻せない国鉄のシステムは、根もとの所では同じ考えで作られているのではないか、と思えるのだ。
その考えを正しいとするのか、別の考えを考慮する必要があるのか当事者ではないのでわからない。
ただ当事者でさえも、まったくのお手上げ状態になるというのもどうかと思うのだけど、他人事のような記者会見も車内放送も、やはり根もとは同じ考えであるような気がするのだが。




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